2020年大阪東教会主日礼拝説教(復活祭説教)「復活の朝」吉浦玲子
【聖書】
新約聖書: ヨハネによる福音書 第20章1〜10節
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。
【説教】
<主イエスが奪われた!>
主イエスの弟子であったマグダラのマリアは週の初めの日、すなわち日曜日に主イエスが葬られた墓に向かいました。他の福音書の記事と照らし合わせますと、主イエスの亡骸に、香油を塗るなどの丁寧な処置をしたかったからであるようです。主イエスの遺体は十字架から引き下ろされたのち、アリマタヤのヨセフとニコデモによって、それなりにきちんと埋葬はなされたのです。上等の亜麻布にくるまれ、没薬と沈香を施されました。園丁がいるような園の中の立派な墓に葬られました。しかしそれは金曜日、過越し祭の特別な安息日が始まる日没前に、大急ぎでやったことでした。大事な先生の亡骸に対して、もっと丁寧な葬りをしたい、そうマグダラのマリアは考えたのです。
しかし、マグダラのマリアが見たのは、驚くべきことでした。当時一般的だった洞穴式の墓を閉ざしていた巨大な石が取りのけてあったのです。ここでマリアが墓の中を確認したとは書いてありません。しかし、石を取り除かれているのですから墓穴の中の異変にマリアは気づいたのです。
主イエスの遺体がない!
「主が墓から取り去られました」そうマリアはペトロともう一人の弟子のもとにいって告げました。これは<何者かが遺体を墓から持ち去った>という言葉で、つまり遺体が奪われたとマリアは言っているのです。
主イエスの亡骸がうばわれてしまった。かつて親しく言葉を交わし、さまざまに教えてくださった先生であるお方、なによりこの方こそ、救い主であると信じたお方、言葉にも行いにも不思議な力があったお方、そのお方が非業の死を遂げてしまった。その死の事実は動かしようのないことでした。彼女は主の十字架でのお姿をゴルゴダで最後までつぶさに見たのです。主が釘打たれ、血を流されたそのお姿を見たのです。そして確かに息を引き取られた、そして引き下ろされたすでに息をしておられない遺体を見たのです。
マリアにとって、主イエスの死は動かしようのない現実でした。その胸を引き裂かれるような現実の中でさらなる理不尽な出来事が起こりました。主イエスの亡骸まで失われてしまった。何者かによって奪われてしまった。主イエスの十字架によって、主イエスに賭けていた希望も未来も砕けたのに、さらにその悲しみの心を整理するために、せめて丁寧に葬りをしたい、そう願ったのに、その願いすら壊されてしまった。
第二次世界大戦中に、戦争に出兵した家族が戦死をなさったという方からお聞きしたことがあります。戦死の知らせののち、遺骨の箱が家に届きました。箱の中を見ると、骨はなく、紙切れだけが入っていた、と。大事な家族を失った、しかし、遺骨すら戻って来ることなく、空の箱だけを送られてきた。空の箱だけで大事な家族の死を受け止めるというのはとても残酷なことです。故人が確かに生きたという証である亡骸すらないということは残された者にとって痛切なことです。そのようなことがマリアにも起こったのです。
<見て、信じた>
さて、主イエスの復活の出来事はすべての福音書において、主イエスの墓が空っぽであったという記述から始まります。墓が空虚であった、墓に何もなかった、これはある意味、復活の出来事の記述のあり方として、あまり上手いあり方ではないのではないかとも感じます。キリストが復活をされた、その核心のところが何かぼかされているようにも感じます。そもそも墓が空であったということは、いろいろな詮索を引き寄せてしまうのではないでしょうか。実際のところ、空の墓というものを提示されたとき、人間は、まさにマグダラのマリアが考えたように、何者かが遺体を奪っていった、そう考えるのが一番自然です。
さて、マリアの言葉を聞いて二人の弟子たちは墓まで走っていきます。そこで見たことは、たしかに主イエスの遺体がない、ということでした。しかし、マリアは石が取りのけてある墓の外から様子を見たと思われるのに対して、ペトロともう一人の弟子は墓の中に入りました。ですから彼らは墓の中の状況を詳細に確認することができました。彼らはその状況を見て、遺体が盗まれたわけではないことを理解しました。彼らは亜麻布が置いてあること、そして主イエスの頭を包んでいた覆いが離れたところに丸めて置いてあることを確認しました。もし、主イエスの遺体が奪い去られたのであれば、亜麻布や頭の覆いごと奪われるはずです。少なくとも、亜麻布や覆いは乱雑に散らばっているはずです。しかし、覆いは丸めて置いてあったのです。泥棒が来て盗んだのであれば、ご丁寧に丸めて置いていくなんてことはするわけがありません。
泥棒ではない、では何が起こったと彼らは理解したのか?8節から9節を読みますと「それから、先に墓に着いていたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」とあります。この箇所はさまざまに解釈されるところです。
ここで「もう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」とある、「信じた」というのは何を信じたのでしょうか?彼らは聖書の言葉をまだ理解していなかったと続きますから、復活ということを信じたわけではないとも解釈できます。あくまでもマリアが「遺体がなくなった」と言ったその言葉を信じたのでしょうか?
しかし、「見て、信じた」という言葉は特徴的な言い方です。ヨハネによる福音書の20章には、主イエスの復活を信じられなかったトマスの前に主イエスが現れてくださった場面があります。そしてトマスは主イエスの復活を信じたのですが、そのトマスに対して主イエスはおっしゃいます。「わたしを見たから信じたのか、見ないのに信じる人は、幸いである。」と。
<見て、信じる>これは信仰のあり方を示している言葉と解釈できます。トマスが見て、主イエスの復活を信じたように、この場面で、ヨハネも「見て」、主イエスの復活を「信じた」のです。もちろんそれがまだ、旧約聖書で預言されていた救い主の復活とまでは理解はできていなかったでしょう。しかし、彼は信じたのです。主イエスの遺体が盗まれたのではなく、主イエスが「復活をなさった」ということを。
<死で終わりではない>
それにしても墓が空であったという聖書の記述は不思議なことです。先ほども申し上げましたように、墓が空であったとあえて記すことは、かえって変な詮索をされる恐れのあることです。しかしなお、聖書は復活の出来事に対して、まず墓が空であったということを記すのです。マルコによる福音書に至っては本文とみなされる最後のところは「空の墓」の記述で終わっているのです。その後の補記として、復活のキリストが現れる場面がありますが、もともとの本文としては、墓が空であったということで福音書は終わっているのです。
マタイによる福音書を見ますと、主イエスの墓は厳重に見張られていたと記されています。ユダヤの権力者たちは、主イエスが三日目に復活すると言っていたことを覚えていて、そのようなことが広まれば、かえって主イエスへの信仰が再び高まってしまうと恐れたのです。もちろん彼らは本当に主イエスが復活するなどとは思ってはいませんでした。弟子たちが遺体を運び出して復活したと吹聴することを恐れたのです。ですから主イエスの墓は封印をされ、番兵が見張りをしたと書かれています。映画などを見ますと、ものものしく封印がされ、武装した兵が見張っている様子が描かれています。しかし、そのように厳重に警戒されていたにも関わらず、墓の封印は破られました。大きな石は取り除かれました。
そもそも私たちにとって、誰にとっても、揺るがしがたい現実は「死」です。仮死状態から蘇生するということはあっても、蘇生した人もまたやがていつか必ず死にます。それが動かしがたい現実です。
しかしその死の現実が破られたということが、墓が空であるということなのです。私たちの前に、厳しい現実はたしかに立ちはだかります。そして最終的には墓という形で、厳然と現実は立ちはだかるのです。本日は例年ならば、午後に墓前礼拝に行くはずでしたが、今日は墓前礼拝はありません。その墓前礼拝を行う大阪東教会の教会墓地がある服部霊園には、大阪東教会の墓地のみならず、おびただしい数の墓が並んでいます。霊園を一周するにはかなりの時間がかかります。服部霊園だけでも、それだけの死の現実があるのです。墓の一基一基に、多くの人の悲しみ、痛み、慟哭があります。おびただしい数の絶望があるのです。人生に立ちふさがるさまざまな試練に対して人間は抗い、闘います。そしてそれらをどうにか乗り越えたとしても、絶対に乗り越えることができないものがある、それが死です。墓はその絶望、ここで終わり、行き止まりであることの象徴です。
しかし、聖書は語るのです。その絶望、終わり、行き止まりが取り去られることを。人間のすべての悲しみ、痛み、慟哭が破られる。墓の封印が破られ、墓が空であるということは、新しい現実が、起こったことだと語るのです。死は打ち破られた、動かしようがない現実などどこにもない、そう聖書は語るのです。それがキリストの復活の出来事でした。
墓に主イエスの亡骸はありませんでした。それは主イエスが肉体を捨てて、霊魂だけになられたということでもありません。復活のお体をもって墓を破られた、死に勝利をなさったということです。
<見て、信じた>
さて、「見て、信じた」という言葉にもう一度聞いてみたいと思います。私たちは見たから信じることができるでしょうか?むしろ見ても信じない、聞いても信じないということの方が多いのではないでしょうか?こと信仰の事柄については、エビデンスを突きつけられたとしても、そのエビデンスはねつ造だと考えたり、別の解釈をしたりして、信仰の核心のところである復活や奇跡を信じられない、そういうことがあるのではないでしょうか。マリアは、空の墓を見て、遺体が盗まれたと考えました。ペトロは、盗まれたのではないと理解しました。もう一人の弟子はおそらく復活を信じたと考えられます。見ても、それぞれに感じ方は違うのです。
ところで、この場面で、ペトロともう一人の弟子が墓まで走って行って、ペトロよりもう一人の弟子の方が早く墓に着いたと記されています。キリストの復活という、聖書における最大の出来事の場面で、なぜわざわざ二人の走る速さの違いなどを書く必要があったのでしょうか?これもいろいろな解釈があるところですが、ひとつ言えますことは、一人一人、復活を信じることに至る経緯や時間は違うのだということを示しているのです。
子供のころ、教会学校に行っていた、早くから御言葉を聞いていたけど、中学高校と成長するにつれて教会から離れてしまった。最終的に信仰を得たのは、中年になってからであったという人がおられます。一方で青年期に初めて教会に行ってすぐに信仰を得る方もおられますし、80代、90代で初めて御言葉と接して信仰を得る方もおられます。初めて御言葉に接する年代も違えば、御言葉を聞いてすぐ信じる人もいれば、長く時間をかけて信じる方もおられます。
しかし、神はすべての人が信じる者となることを望まれて、それぞれに道を備えてくださいます。ペトロよりもう一人の弟子の方が優れているとか、マグダラのマリアはだめだ、などということはないのです。皆、一人一人違う。しかし、一人一人に応じて、信じる者とされる道を備えてくださる、それがキリストの復活の出来事の場面でも描かれているのです。私たちもまたそれぞれに応じたあり方で信じる者として招かれているのです。そこに神の恵みがあります。
<復活のキリストと出会う>
さて、マグダラのマリアも、ペトロたちも、やがて復活のキリストと出会います。その出会いの前に空の墓がありました。私たちにも空の墓のような、すぐには何が起こったのか理解できないことがあります。復活のキリストがすぐさま声をかけてくださったら良いのに、ただ、しんとした空の墓だけが見えている、そのようなことが信仰の途上でもあります。復活という素晴らしいことがすでに起こっている、しかしそれが見えないときがあります。困難だけが見え、その困難がまるでむなしい墓のように見える時があります。墓だけが見え、まるで神が沈黙なさっているようにすら感じるときがあります。今、新型コロナ肺炎の蔓延の中、このことを通して神が私たちに示されていることを私たちが知ることはできません。ある意味、私たちはいま2020年のこの現実の中で、空の墓の前に立たされているのかもしれません。しかし、静かにその現実の前にたたずみ、そして御言葉に耳をすませる時、やがて私たちは必ず知らされます。墓は破られる、試練の封印は解かれるのだということを。私たちは今も、そしてこれからも復活のキリストと出会うのです。試練の墓は破られ、永遠の希望の光がわたしたちは見ます。
キリストは確かに復活されました。いまそのキリストと共に喜び祝います。