2020年12月27日大阪東教会主日礼拝説教「出発」吉浦玲子
【聖書】
さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。
【説教】
<神のご計画が優先される>
パウロたちは宣教の旅を続けていました。熱心にキリストを証し、福音を宣べ伝えていました。しかし、不思議なことに「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」とあります。御言葉を語ることはけっして悪いことではありません。しかし、聖霊が禁じたのです。具体的にどういうことが起こったのかはよくわかりません。迫害やら困窮といったことであればパウロはひるまず宣教を続けたと思います。聖霊から禁じられたとパウロが判断せざるを得ない形で神が彼らの宣教にストップをかけられたのです。
6節に「フリギア・ガラテア地方を通って」とあり、ここにガラテアという地名が見えます。ガラテアの信徒への手紙の中に「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」という言葉があります。つまりガラテアでパウロは病気になったということがわかります。おそらく病気になってガラテアにとどまらざるを得ない状況となり、そこで福音を告げ知らせたようです。しかし、その病は「さげずんだり、忌み嫌ったり」されるような類の病であったようです。このガラテアの信徒への手紙に記されている出来事が、使徒言行録の今日の聖書箇所と関わりのあることなのかは断定はできません。しかし、この時期、パウロにとってはどうしようもない挫折と感じざるを得ない出来事を神がなさったということは事実のようです。
さらにビティニア州に入ろうとしたが「イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。「イエスの霊」は聖霊と同じことです。ここでも、神がお許しにならなかったのです。パウロは途方に暮れたことでしょう。やろうとしていたことが次々とうまくいかないのです。「聖霊に禁じられた」ということも「イエスの霊がそれを許さなかった」ということも、パウロにとっては、かなり厳しい事態です。先ほども言いましたように、パウロたちはけっして悪いことをしようとしていたわけではありません。それなのに神にストップをかけられてしまったのです。
しかし、今日の聖書箇所を最後まで読むと、神がパウロたちをヨーロッパへと導くご計画を持っておられ、導いておられたことが分かります。パウロたちはもともと小アジアのなかの中心都市をめざして宣教していたのですが、結局、トロアスというアジア州の最西端の海沿いの町にいかざるをえなくなりました。そこで幻に現れたマケドニア人から「マケドニア州に渡って来て、助けてください」と懇願されます。つまり、現在のギリシャ、ヨーロッパへ向かって進めということが示されたのです。
あとから考えると、「なるほどあの時うまくいかなかったのは、神様の別の計画があったからだ」と分かることがあります。しかし、うまくいかないことが度重なるとき、その渦中にあるときは、混乱して、深く悩みます。パウロが、ガラテアの信徒への手紙にあるように、もし人からさげずまれるような病気をしていたとしたら、余計、彼の苦しみは深かったことでしょう。
一方で、クリスチャンは、「神のご計画」とか「神の御心」ということを言います。しかし、実際、人間が神のご計画に従うこと、神の御心を受け入れていくことは、簡単なことばかりではありません。<私は自分の命だって神にすべてお委ねしています>と思っていたとしても、自分の命以上に大事なものを差し出しなさいと神がおっしゃることもあります。旧約聖書の創世記で、愛する息子を焼き尽くす捧げものとして捧げよと言われたアブラハムもそうでした。パウロ自身は何度も命を狙われ、実際リストラでは半死半生の目にあいました。パウロは自分の命を神に捧げて歩んできました。しかしなお、神はその壮大なご計画の中で、さらにご自身へのへりくだりを求められたと考えられます。パウロのプランをすべて反故にし、ご自身のまったく新しいご計画を示されたのです。
<御心を知るプロセス>
そして神の御心を知るということについて今日の聖書箇所で知らされるのは、段階を踏む場合があるということです。使徒言行録の9章によると、パウロはかつてダマスコ途上で復活のキリストと出会いました。いきなり光に包まれ、地面に叩きつけられました。そしてキリストの声を聞きました。それは決定的なことでした。このように劇的に、神と出会うこともあります。御心を知ることもあります。このように比較的短期間で神の御心を知り、それに従うことができる場合もあります。
しかし、一方で、今日の聖書箇所のように、フリギア・ガラテア地方を通り、ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州には入れず、トロアスまで行くというように、なかなか御心がわからず道に迷うこともあります。ある意味、トロアスという西の果ての町まで行って、ようやく神は御心を示されたともいえます。こういうことは私たちの人生にもあります。トロアスまで行く前に、なぜガラテアあたりで示されなかったのか、せめてビティニア州に行く前に示してくださったら良かったのに、とも思います。トロアスはアジア州の最西端、西の端だと申し上げました。エーゲ海に面したところでした。西の果ての海に面したところというと、自分自身が九州の最西端の町の出身なので、どこかわびしい港町のイメージがあります。
ちょうど8年前の12月、私はまさにその西の果ての港町、長崎県の佐世保にいました。認知症だった母はその町のグループホームにお世話になっていました。会社員生活最後の出張先が博多で、博多に行く前に長崎の母のところを訪問したのです。午後に行ったのですが、母は「あんた晩御飯はどがんすっと」と聞くのです。「今日はこれから博多に行って博多で食べる」と私は答えるのですが、三分ぐらいしたらまた「あんた晩御飯はどがんすっと」と聞いて来るのです。何回も何回も同じ会話をしたあと、母に別れを告げて博多に向かいました。その時は、それが母との最後の会話になるとは思いませんでした。その12月いっぱいで私は会社を退職し、その1か月半の後に母は天に召され、私は伝道者としての歩みを始めました。自分の新しい出発は、あの冬の佐世保の暗い港のイメージと重なっています。あれが自分にとってのトロアスだったと思います。
聖書に出てくるトロアスは実際はどんな町だったのかはよく分かりません。エーゲ海沿いなので明るい海が見える町だったかもしれません。しかし、パウロ自身がどんどんと西に追いやられていっているという追い詰められた心理状態であったことはたしかでしょう。このように、なぜかは分からないけれど、自分の思惑からどんどんと離れていく状況の中で、ようやく知らされる御心というものがあります。トロアスまで行かないと分からない、示されないこともあるのです。しかし、逆にトロアスまで来たゆえに、いざ御心が示された時、すぐに「確信するに至った」のです。そしてすぐに彼らは出発したのです。上からどんと光がやってくるような御心の示され方ではなく、さまざまな道を遠回りのように歩んだ末に、西の果ての町まで来た時、ようやく御心の確信が与えられる、そのような信仰の歩みもあります。
コロナのためにすべてのことが様変わりしたこの2020年は、ある意味、アジア州の中心を目指しながら、どんどんと西へと向かっていたようなものかもしれません。私たちはどこまで行けばよいのか、現時点では分かりません。どこがトロアスなのかまだまったく分かりません。しかし、神は必ず御心を示してくださいます。ですから、私たちは仮に思うようにはならない日々であったとしても、安心して、生きていきます。実際、今日の聖書箇所には記されていませんが、トロアスまでの旅の中でも、先ほど申しましたようにガラテアなど、いくつかの教会が開拓されたようです。思うようにはならない中でも神の恵みは与えられるのです。そしてまた私たちはもうこれから先はない、という西の果てのトロアスまで来た時はじめて御心を知る者でもあります。人間的に言えば、退路を断つということでもありますが、断ってくださるお方は神ご自身です。神によって、方向が決められ、人間自身の中の余計なものを削ぎ落とされ、人間は謙遜な者とされます。そして新しく出発する、船出する者とされます。
<人間を越える神のスケール>
さて、パウロが見た幻にはマケドニア人が出てきました。ここからパウロはヨーロッパに足を踏み入れることになります。キリスト教にとって大きな転換点を迎えた場面です。実際のところ、パウロに先行してヨーロッパにもすでにキリスト教徒はいたようです。しかし、パウロという大神学者がヨーロッパで本格的に宣教を行うということはたいへん大きなことでした。パウロは最終的にローマにまで行きます。皇帝ネロの厳しい迫害の時代、ローマの信仰者を導きました。それは、のちにキリスト教がローマの国教となり、ヨーロッパ全土に広がっていく礎となりました。
しかしまたそれは、パウロの企てたことではありませんでした。今日の聖書箇所の場面でマケドニアに足を踏み入れるまで、パウロの頭にはヨーロッパはありませんでした。神のご計画はパウロという優秀な大伝道者の宣教計画をはるかに飛び越え、もっともっと大きなスケールで進んでいたのです。
ところで、実はこのマケドニア人は、この使徒言行録の著者であるルカ自身ではないかという説があります。それが正しいのかどうかはわかりません。しかし、これからあとの使徒言行録の文章の雰囲気がかなり変わっていると言われます。おそらくこのあたりから、パウロたちの一行にルカが同行したのではないかと考えられています。次週の聖書箇所になりますが、そこから文章の主語が「わたしたち」になるのです。つまり著者であるルカが主語の中に含まれていると考えられるのです。ギリシャ人である、つまりマケドニア人であるルカはこれからのパウロの宣教の大きな力になったと思われます。さらにルカは医者であったと言われます。最初に申しましたように、パウロがこの旅行の途上で病気であったかどうかははっきりとは分かりませんが、少なくとも、パウロはのちに「身のとげ」と自分で表現をしている病を得たのはたしかです。そんなパウロに医者でありヨーロッパ人であるルカが与えられたのは神の恵みであったといえます。
そもそもこの旅の最初には、マルコと呼ばれるヨハネを旅に連れて行くかどうかでバルナバと争い、結局、物別れとなってしまったという出来事がありました。それまでずっと一緒に宣教をしてきたバルナバとの別れはパウロにとって辛いことであったでしょう。さらに追い打ちをかけるように、その後の宣教計画の度重なる挫折がありました。しかし神は、それらすべてを補って余りある恵みをパウロに与えられました。神は壮大なスケールでご自身のご計画を進められます。しかしまた同時に一人一人に細心の配慮をなさいます。ですから神のご計画の内にあるとき、私たちも大胆に歩めます。
2021年がどのような年になるか誰にもわかりません。しかし、すべては神の御手の内にあります。神の細心の配慮のうちにあります。ですから私たちは恐れることなく歩んでいきます。トロアスは西の果ての町でした。行き止まりのような町でした。しかし、神が旅立たせてくださったマケドニアからみたら、当たり前のことですが、トロアスは東に位置します。神によって旅立たせていただくとき、気がつくと、行き止まりと思っていた先の道が拓けているのです。もうこれでおしまいとばかり思っていた場所が、もっと大きな世界への入り口であったことに気がつくのです。私たちは、今、新しい大きな世界の入口に立っています。旅立たせてくださるのは神です。2021年、神に従って大胆に歩み出します。