大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第18章24節~第19章10節

2021-01-31 17:55:32 | 使徒言行録

2021年1月31日大阪東教会主日礼拝説教「翼を広げて上る」吉浦玲子

【聖書】

さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。

アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。

パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。

パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。

【説教】

<水の洗礼と聖霊による洗礼>

 パウロは二回目の宣教旅行を終えて、いったんシリア州のアンティオキアに戻ったあと、三度目の宣教旅行に旅立ちました。三度目の宣教旅行は、それまでに開拓伝道をした教会を訪問し、指導をするということがメインでした。そのころ、アポロという雄弁家がイエス・キリストを受け入れ宣教を始めました。このアポロはエフェソという現在のトルコの西部に位置する町にいました。やがて、ギリシャ側のコリントへ宣教に向かいます。コリントの信徒への手紙Ⅰの最初にアポロの名前は出てきます。コリントの教会が分裂していて、創立者であるパウロ派とそののちに伝道牧会をしたアポロ派に割れていたようです。それに対してパウロは「わたしは植え、アポロが水を注いだ」とコリントの人々を諫めています。つまりアポロは、パウロの後継としてコリントの教会を引っ張ることのできた力ある宣教者だったのです。

 ところで、今日の聖書箇所では少し不思議と言いますか不可解なことが語られています。アポロは最初、主イエスのことを信じ熱心に語っていたにもかかわらず、ヨハネの洗礼しか知らなかったと書かれています。また19章の最初のところでもエフェソの人々が信仰に入ってはいたけれど、聖霊を知らない、やはりヨハネの洗礼しか知らなかったと書かれています。

 そもそもヨハネの洗礼とはなんでしょうか?これは福音書に書かれている洗礼者ヨハネが授けた洗礼のことです。洗礼者ヨハネは主イエスが公の活動を始められる前、メシア―救い主-の到来に先立って、人々を導いた人物です。端的にいうと洗礼者ヨハネは人々に「悔い改め」を迫ったのです。救い主が来られるのだから、自分たちのあり方生き方を見直し、神の救いにふさわしく悔い改め、神の方を向こうと語りました。そしてその悔い改めの儀式として洗礼を授けたのです。それはヨハネの洗礼でした。そのヨハネは言いました。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」ヨハネはかなり激しい言葉を語ったのです。人々にとって、ヨハネの教えは衝撃的でした。ユダヤの人々はユダヤ人であるということで、当然に神の救いにあずかれると考えていたのです。自分たちは神に選ばれた特別な民だと思っていたからです。しかし、洗礼者ヨハネは、<『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな>つまり、血筋としてアブラハムの子孫だということは救いにとって何の意味もない、血筋としてアブラハムの子孫だからと言って差し迫った神の怒りは免れることはできないと語りました。神の怒りを免れるためには、罪を悔い改めて神の方を向ねばいけないのだと説きました。そしてその言葉を聞いた人々は、心打たれて、ヨハネから悔い改めの洗礼、つまり水の洗礼を受けたのです。

 しかし、そのヨハネ自身が、こういうことも語っています。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」つまり洗礼者ヨハネ自身が、自分の洗礼と、やがて後から来られる方の洗礼は違うのだと語っていたのです。あとから来られる方は、もちろんイエス・キリストです。イエス・キリストが「聖霊と火」で洗礼をお授けになるとヨハネは語っているのです。今日の聖書箇所である使徒言行録で問題になっていることも、ヨハネがいうところの「水の洗礼」と「聖霊と火の洗礼」の違いから来るものです。

<今このときから>

 ところで、昨年、大阪東教会では、三人の方が信仰告白をされ、洗礼に授かるというたいへん大きな恵みをいただきました。コロナの禍の中、洗礼式が行われる礼拝に出席できない方も多くおられ残念でした。しかし一方、夏から開始した礼拝のネット配信で、洗礼式をご覧になった方々もおられ、喜びを共にしてくださいました。この会堂でも、またネットを通しても、洗礼式をご覧になった方は覚えておられるでしょう、現代において、教会で持たれる洗礼式で、私たちの目に見えるものは「水」だけです。肉眼で「聖霊と火」は通常は見えないと思います。そういう意味では、現代でも肉眼に見える洗礼のあり方は洗礼者ヨハネの言う「水の洗礼」と変わらぬようにも見えます。しかし、使徒言行録以来、現代のおいても、洗礼はイエス・キリストの名において授けられます。ですから、肉眼には見えなくてもそれは「聖霊と火」による洗礼なのです。肉眼では見えなくても、洗礼の場には聖霊が注がれ、また火という言葉で表される神の力が働くのです。洗礼式のみならず、聖餐も含めた聖礼典には、実際のところ、ダイナミックな聖霊の働き、神の力があります。あまり神秘主義的なことを申し上げるつもりはないのですが、聖礼典の場にはいろんなことが実際起きるのです。今日の聖書箇所では、聖霊が注がれるのが当時の人々には目に見える形で見えたようですが、現代においても、たしかに聖礼典には特別な力が働いています。

 そもそもヨハネの洗礼とイエス・キリストの名による洗礼はどう違うのでしょうか?それはひと言でいえば、救いの時間が異なるということです。洗礼者ヨハネの水の洗礼は、来るべき裁きを前に、裁きで滅びないために悔い改め、神に向かって心を向ける洗礼でした。言ってみれば、その洗礼は、未来に向かっての備えでした。譬えとして適当かどうかは分かりませんが、洗礼者ヨハネの洗礼は、未来における裁きからの救いの予約を得るようなものです。

 それに対して、イエス・キリストの名による洗礼は、その瞬間から、救いの中に私たちが入れられる洗礼なのです。救いは未来ではなく、今この瞬間に起こるのです。もちろん世界全体の救いの完成は黙示録にあるように将来のことです。しかし、洗礼を受けた一人一人の救いはすでに洗礼の瞬間から始まっているのです。

 ヨハネの洗礼がコンサートの予約チケットを手に入れるようなものだとしたら、主イエスの名による洗礼では私たちはすでにコンサート会場に入って音楽を楽しんでいるのです。もちろん主イエスがふたたびこの世界に来られる時、もっと桁違いに盛大なコンサートが開かれ、私たちは素晴らしい音楽を聞きます、しかし、現在でもすでに私たちは音楽を聞き、喜ぶことができるのです。ただ予約チケットだけを手にしてコンサートの日を待っているのはないのです。

<恵みの信仰>

 ところで、そもそも、アポロやエフェソの一部の人々がヨハネの洗礼しか受けていないということを、アキラとプリスキラの夫婦やパウロが気づいたのでしょうか?アポロはすでに主イエスのことを熱心に語り正確に教えていたとあります。エフェソの一部の人々もおそらく真面目な信仰生活を送っている人々であったでしょう。しかし、彼らから決定的な喜びが感じられなかったのだと思います。イエス・キリストが救い主であること、十字架と復活のことを知り、信じてはいたけれど、なにかそこに生き生きとしたものを感じなかったのだと思います。そもそも、洗礼、バプテスマの語源は浸す、洗うという意味です。つまり、イエス・キリストの名による洗礼を受けたということは、イエス・キリストに浸された、イエス・キリストによって洗われたということです。

 パウロはエフェソの人々に「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と聞いています。さきほど聖礼典には神の力が働くと申し上げましたが、聖霊を受けるというのは、単に何か神秘的な体験をするということではなく、神の恵みを感じるということです。ヨハネの洗礼は悔い改めのしるしでした。言ってみれば人間の側が変わることの証しでした。それに対して、イエス・キリストの名による洗礼は、神からの恵みにあずかるということです。イエス・キリストの祝福にどっぷりと浸される、イエス・キリストの恵みによって洗われるということです。人間はあくまでも受け身であり、ただただ神の恵みの中に新しく生かされるということです。恵みのシャワーを浴びるのです。ですからそこには、一方的な神の恵みを感じる、本当の喜びがあります。自然と神への賛美や感謝がわきあがってくるのです。霊的なあたたかさ、やわらかさが与えられるのです。それに対して、まじめに信仰しているけれど、熱心に奉仕や祈りはしているけれど、そしてそれなりに親切な雰囲気はあるけれど、実際のところはどこかひんやりしている信仰があります。それはイエス・キリストにどっぷりと浸された信仰ではありません。表面的な厳粛さを求めがちな長老教会が時として陥ってしまうのが、そのようなイエス・キリストにどっぷりと浸されていない冷たい信仰、喜びのない信仰です。そしてまた、実際、冷たい信仰、喜びのない信仰はしんどいのです。救われた平安がなく、それどころかもっとまじめにしないと天の国は入れないかのような不安すら沸き起こってくるのです。そしてまた冷たい信仰には罪への後悔やうしろめたさはあっても、本当に意味での悔い改めはないのです。洗礼者ヨハネは恐ろしい終末の裁きを語りました。そのヨハネの洗礼ではなく、イエス・キリストの名によって洗礼を受けたはずなのに、ヨハネの洗礼にとどまっているかのような信仰、聖霊を受けていない信仰を私たちは持っていないでしょうか?

<聖霊の風を感じよう>

 もうずいぶん昔になりますが、マラソンをしていた頃、よく神崎川の川沿いの自転車道を走っていました。神崎川は淀川の支流で、淀川区に住んでいた当時、自宅付近から神崎川の川岸に下りて、川沿いを南東に走っていくと本流である淀川に出ました。神崎川の川沿いには、犬を散歩させている人、トランペットを吹いている人、競技用の自転車で走り去っていく人、魚を釣っている人、さまざまな人がいました。春は桜の咲いている所も見えましたし、バーベキューをしている人たちもいて、いい香りが漂っていました。また神崎川沿いには正露丸を作っている会社もあって、風向きによっては、正露丸の匂いがしてくる場所もありました。当たり前のことですが、神崎川を実際に走らなければ、トランペットの音を聞いたり、正露丸やバーベキューの香りを嗅いだり、桜の花をみることはできません。

 信仰もそれと同じで、信仰に生きていなければ、生き生きとした恵みを感じることはできません。信仰もまた体全体で、人生のただなかで感じ取り、味わうものだからです。机上の勉強や論理ではないのです。イエス・キリストの名による洗礼を受けても、信仰生活と自分の実際の日々が断絶していたら、そこには生き生きとした信仰の現実はないのです。日々、神の恵みを感じ取り、感謝が自然とあふれてくる、そのような日々の中で私たちの霊的感性は養われていきます。信仰が頭だけのものであるとき、神が与えてくださる美しい花も見えなければ、良い香りを感じることもありません。もちろん実際、トレーニングでランニングをするときは、楽しいだけではありませんが、良い季節にきれいない景色を見ながらゆったりと自分のペースで走っていくとき、時に口から歌がこぼれます。信仰生活もまたそうです。あたたかな光や風を感じながら、思わず神への賛美があふれてくる、感謝の思いが満ちてくるのです。ここにおられる信仰者は皆、イエス・キリストの名による洗礼を受けられました。すでにイエス・キリストにどっぷりと浸されているのです。恵みをいただいています。シャワーのように浴びているのです。その恵みを体全体で、心全体で感じながら新しい一週間を歩みましょう。

 

 

 

 

 


使徒言行録第18章1~23節

2021-01-24 16:09:59 | 使徒言行録

20211月24日大阪東教会主日礼拝説教「語り続けよ」吉浦玲子 

【聖書】 

 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 

 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。 

 ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。 

 パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。 

【説教】 

<神にゆだねる> 

 今日の聖書箇所に出てくるコリントは、ギリシャ南部のアテネの西に位置する大きな町でした。先週もアテネの説明のところで少し触れましたが、コリントは猥雑な街でした。当時、「コリント風」というと倫理的、性的な乱れを揶揄する言葉だったそうです。コリントにはアフロディテ、これは愛のヴィーナスのことですが、この女神の神殿があり、その神殿の周りには神殿娼婦が1000人もいたと言われます。この町で、パウロはアキラとプリスキラの夫婦と出会いました。この二人はこののちもパウロを助けることになる有力な信仰者でした。彼らとの出会いも神の不思議なご計画の内にありました。アキラとプリスキラの夫婦は本来ならばコリントにいない人々でした。しかし、ローマでユダヤ人の退去命令が出たため、彼らはコリントに来ていたのでした。この退去命令は、ローマでキリスト者に関わる騒動があったためかもしれません。しかしそのことのために、アキラとプリスキラ夫婦とパウロとの出会いがありました。しかもアキラとプリスキラの夫婦とパウロは、生業が一緒だったのです。ここで注意をしないといけないのは、パウロはもともと本職がテント職人だったというわけではありません。パウロはファリサイ派の教師でした。律法を教えていたのです。ファリサイ派の教師たちはそれぞれ生きていくための技術を身に着けていました。自分で生活を立てながら律法を教えることができるようにです。しかしここを短絡的に、パウロは自分で生計を立てならがら自活伝道をしていたと考えてはなりません。このあたりのことは書簡でパウロも書いています。コリントでパウロを批判する人々がいたため、彼はコリントで自活していたのです。しかし、「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し」たとあります。これはシラスとテモテがフィリピからパウロの伝道のために献金を持ってきたからなのです。つまりパウロの伝道はフィリピの教会から支えられていたのです。 

 さて、パウロが熱心にメシアのことを語りだると、やはりここでも反対者が現れました。「彼らが反抗し、口汚くののしったので」パウロはその場を去りました。ここでパウロは激しい言葉を語っています。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」この激しさは彼のユダヤ人への愛情の裏返しでもあります。ユダヤ人であるパウロは異邦人への伝道者として召されていましたが、同胞の救いを誰よりも願っていました。だから聞き入れず滅びに向かう人々への思いがあふれてしまうのです。 

 ところで、かつて主イエスが弟子たちを派遣する時、弟子たちの言葉を受け入れない人々のところでは履物の埃を払って去りなさいとおっしゃいましたが、まさにパウロも服の塵を振り払って去ったのです。主イエスは無責任なことをお勧めになったわけでもなく、パウロも宣教の業を途中で放り出したわけでもありません。私たち人間は、為すべきことを為し、結果は神にゆだねるのです。 

 20年くらい前からでしょうか、よく成果主義という言葉を聞きます。仕事はたしかにそうでしょう。商品は売れなくてはどうしようもありません。商売は利益が出なければどうしようもありません。しかし私たちは神の前で成果を求められているのではありません。神の前にあって、成果は神ご自身が出されることだからです。私たちは、為すべきことを祈りつつ、謙遜にことを為します。そしてあとは神にゆだねるのです。場合によってはパウロのように服の塵を振り払って出て行くのです。 

 歯を食いしばって何が何でもここで頑張るというのは、場合によっては、人間の個人的な思い入れによることかもしれません。それでもしうまくいったら、自分の頑張りを自分も人も讃えるかもしれません。しかし、そこにたしかに成果はあっても、神の業を喜ぶ祝福はありません。日本に住む人は特に、塵を振り払うことが苦手かもしれません。ほろぼろになるまで、やりつづけて、自分も周りも傷つき、壊れてしまうまでやり続けるかもしれません。しかし、それは神の御望みになる所ではありません。たしかに神は時に試練と思えるような課題を私たちに与えられます。その課題を精いっぱい私たちはやり遂げようとします。しかし、自分の心や体が壊れるまでやるということではなく、たえず御心を問いながら、場合によっては撤退する、業を手放す勇気も必要です。 

<恐れるな> 

 さて、9節で、パウロは幻の中で主の言葉を聞きます。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 

 パウロは怖いもの知らずのつわものではありませんでした。人間的な情熱に突き動かされて激しく行動する人でもありませんでした。コリントの信徒への手紙Ⅰ2:3で「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」とパウロは語ってます。さまざまな困難の中、パウロにも恐れがあり、不安があったのです。それは単に「ああパウロにも弱い面があったのだな」ということではなく、そこに霊的な戦いがあったからだといえます。神に反対する悪しき力というのは、人間にとっては恐ろしいものなのです。霊的に鈍感な人、あるいはそういったものと真っ向から向き合わない人には分かりませんが、霊的な戦いを意識している人にとっては、深いところから恐れが生じるのです。 

 さらに、パウロはコリントの信徒への手紙の中で語ります。「わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、”霊”と力の証明によるものでした。」つまりパウロの働きは、パウロ自身の聖書の知識とか、弁論術といったところに依ったのではないとパウロは語っているのです。つまり自分の宣教は、聖霊と神の力に依るものだと語っています。 

 幻のよってパウロに示されたことは、悪しき力に対抗して語り続けなさいということでした。黙っていることは、ある意味、楽なことでしょう。矢面に立たなければ、矢も飛んでこず、傷つくこともありません。矢面に立ち、言葉を発すれば、大なり小なり痛みが伴います。しかしまた、黙っている者に神の力は働きません。聖霊の風も吹かないのです。語り続ける人間には神の守りがあります。神に従い歩む者と、共に神はおられます。「あなたに危害を加える者はない」そう幻によって神は語られました。 

 しかし実際のところ、使徒言行録をこれまで読んだなかで、パウロは暴動の中で半死半生の目にあったり、鞭打たれたり、投獄されたり、散々な目にあっています。人間的にいえば十分に「危害を加えられている」のです。主イエスは「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」と福音書の中で語られました。しかし普通、やはり人間にとって、体を殺されることは恐ろしいことです。しかしなお続けて主イエスはおっしゃいました。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」たしかに私たちの肉体の命が尽きる時があるかもしれない。パウロのように投獄されたり鞭打たれたりすることもあるかもしれない。しかし、そのすべてが神の御手のなかにあり、そこに神の愛が注がれているのです。だから安心して良いのです。 

 牧師として献身することを考えはじめていた頃、ある先輩の女性牧師から「あなたはここに行きなさいと言われたら、それに従って、どこにでも行けますか?」と問われました。神にすべてを捧げて生きていく献身者であれば、日本のみならず世界のどこにでも遣わされたら行かねばなりません。それはもちろん分かっていたのですが、正直、そのとき、自分には「はい、どこにでも行きます」と元気よく即答はできませんでした。家庭やさまざまな事情があったからです。それで「神さまの召しならば、どこにでも行かねばなりませんね」と少し言葉を濁した言い方をしました。その先生は私の気持ちを察したようで「牧師はどこにでも行かないとだめですよ。でもね、無理にそう思う必要はないの。自然にそう思えるようになったらいいわね」とおっしゃいました。 

 その会話は今でも時々思い出します。私たちには勇気が必要です。たしかに神の召しに応えて、足を踏み出すこと、言葉を発することには、勇気が求められます。しかしその求めは、神の配慮の内にあります。神はパウロにも配慮をし、私たちにも一人一人にも配慮をなさいます。神は一アサリオンで売られていた二羽の雀に慈しみを注がれるように、いやそれ以上に私たち一人一人に慈しみを注がれます。わたしたちにはパウロのような痛みに耐えることはできないかもしれません。しかし、やはり一人一人に痛みはあるのです。そして、わたしたちが、痛みつつ、なお、神に応えて生きていくとき、神ご自身が先立ってすべてを整えてくださっているのです。ですから私たちはむやみやたらと空元気を出したり、やせ我慢をする必要はないのです。試練はもちろんありますが、そこには神の配慮があり逃れに道も備えられているのです。ですから安心して歩めるのです。 

<あなたの民はどこにいるのか> 

 ところで、以前、ある教会の牧師就任式に出席をしました。そこで司式をしていた牧師の説教を聞きました。その牧師は、伝道者として駆け出しのころ、ある教会の開拓伝道をしていました。生まれたばかりの教会で、あの手この手で宣教しようと先生は力を尽くしたそうです。しかし、なかなかうまくいかなかったそうです。何年やってもうまくいかず、何度も、今日のこの使徒言行録の言葉を思い出し、悲しくなったことがあるそうです。恐れるな、語り続けよという神の言葉を守り、語り続けても、なかなかうまくいかない。「ほんとうにこの町にあなたの民がいるのですか?」「あなたの民はどこにいるのですか?」といくたびも嘆いたと先生は語られました。その困難の中、どうにかその教会の基礎を作って、その先生は他の教会に移られました。その先生が開拓伝道なさった教会は次に赴任された牧師の伝道牧会の時代に成長をしました。じゃあ、最初に開拓なさった先生には力がなくて、次の先生が優秀だったから宣教が進んだのでしょうか?それは違います。もちろん次の先生も努力されたでしょう。しかし、初代牧師が蒔いた種が、時間をかけて芽を出したのです。 

 一生懸命やっているときに、なかなかうまくいかない。神の言葉に従って歩んでいるはずなのに思わしい結果にならない。あなたの民はどこにいるのですか?と言いたいことが私たちにもあります。実際、残念ながら、私たちは結局、神の民を自分で見ることはできないかもしれないのです。私たちが去ったあと、私たちが役目を終えた後、神の民がはっきりとわかり、実りが与えられることもあります。私たちは、私たちの蒔いた種の実りを地上で見ることはできないかもしれません。しかし、地上で見るのか御国で見るのかは別として、必ず私たちは見るのです。そして喜びの声を上げるのです。「ああ、あなたの民はここにいたのですね」と。「荒れ野と思っていたところが今豊かに実っているのですね」と喜べるのです。 

 すべてのことが、私たちの成果によって計られるのなら、私たちがこの地上で手に入れる喜びは多くはありません。しかし、神の業であるなら、かならず実るのです。神は成果を出されるのです。そして、私たちは謙遜に神のなさることに従い歩んでいくのです。神の民が大勢いることを信じて歩むのです。殺伐とした荒れ野のように見えてもやがて神が豊かな果樹園としてくださることを信じて歩むのです。そして、その豊かな実りに私たちはかならずあずかるのです。 


使徒言行録第17章1~28節

2021-01-17 14:01:54 | 使徒言行録

2021年1月17日大阪東教会主日礼拝説教「知られざる神」吉浦玲子

【聖書】

パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。

兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。

それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。

パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。

奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」

すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。

【説教】

<次から次に騒動が起こる>

 今日の聖書箇所に「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。」という言葉があります。これはテサロニケでパウロたちに反対するユダヤ人たちが、パウロたちを捕らえようとして当局に訴えた言葉です。「世界中を騒がせてきた連中」というのはひどい言い方です。しかし実際、これまで使徒言行録を読んできて、たしかにパウロたちの行く所行く所、騒動が起こった事実があることを私たちは知っています。たしかにパウロたちはあちこちを騒がせてきたのです。もちろんパウロたちが好き好んで騒ぎを起こしたわけではありません。しかし、結果的に騒動が起こるのです。私たちは主イエス・キリストを信じ、救いを得、平安の内に歩みたいと願っています。ですから、使徒言行録を読む時、このように騒動ばかり起こることに少し戸惑いも感じます。主イエスは私は柔和で寛容な者だとおっしゃいました。しかし、その弟子たちは争いばかりしているようにも見えます。それはどういうことなのか、一緒に今日の聖書箇所から読んでみたいと思います。

 パウロたちのヨーロッパ伝道はフィリピで祝福に満ちたスタートを与えられました。とはいえ、占いの霊に支配された女奴隷のことで奴隷の主人から恨みを買い、投獄されてしまうということがありました。しかし、牢獄の看守が信仰に導かれるという神の恵みがあり、また幸い、一晩でパウロたちは釈放されました。そしてさらに彼らの宣教の旅は続きます。今日お読みした箇所は、フィリピからバルカン半島を西へと向かう経路になります。まず、ギリシャの大きな町であるテサロニケで宣教をしました。ここはフィリピと違って、ユダヤ人の集会所がありました。つまりユダヤ人が比較的多くいたところです。ユダヤ人が多いということは、主イエスが十字架から復活された救い主であることを頑として信じないユダヤ教徒が多いということでもあります。実際、テサロニケでも、これまでもそうであったように、主イエスの福音の宣教に対して、反対したのはユダヤ人たちでした。テサロニケでは、ユダヤ人たちがならず者を使って暴動を起こし、パウロたちを捕らえようとしましたが、それはうまくいきませんでした。テサロニケのユダヤ人たちは冒頭で申しました「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。」と訴えました。各地にいるユダヤ人たちのネットワークで、主イエスを伝えている困った連中がいるということが共有されていたということもあったのでしょう。

 パウロたちはテサロニケでの難を逃れてさらに西のベレアに到着しました。ベレアにもユダヤ人たちの集会所がありました。ベレアのユダヤ人たちは素直に御言葉を聞き、受け入れました。同時に異邦人たちもまた信仰に入りました。当初、ベレアでの宣教は平安に進むかと思われましたが、ここにテサロニケのユダヤ人たちが押し掛けてきました。テサロニケとベレアは50キロくらいの距離でした。なにもわざわざ、テサロニケからよその町まで押しかけてこなくてもいいのに、と思いますが、かつてのパウロがそうであったように、主イエスを信じることのできない熱心なユダヤ教徒にとっては、むしろ、キリスト教徒は神を冒涜する輩でありましたから、徹底的に排除すべき対象だったのです。この騒動の中、パウロはアテネに、シラスとテモテはベレアに残ることになりました。

 このようにパウロの行く所行く所騒動が起きます。神の愛と平和を伝えながら、あちらでもこちらでもトラブルだらけなのです。風変わりな新興宗教が、周囲には受け入れがたい教えをまき散らしているゆえに、周りから排斥されているようにも見える状況です。実際、私たちがこの時代、遠巻きに様子を見ていたら、それまでギリシャの文化の中で軋轢を起こすことなく、平安にユダヤ教は受容されていたのに、キリスト教は周囲に順応できず問題ばかり起こしていると見えるかもしれません。また自分の人生のなかで考える時、やってもやっても周囲との軋轢が絶え間なくあり、トラブル続きであるというとき、自分の方に何か問題があるのではないかと悩んだりします。

 しかしここで言えますことは、トラブル続き、騒動続きであったとしても、それが神から来たものであれば、やがて受け入れられ、成長する、ということです。トラブルが続き、なかなか周囲から認められないというときでも、なお御心を求めて、神に従って生きていくとき、それは必ず実を結ぶのです。フィリピに教会が立ち、テサロニケにも教会が立ちました。2000年後の私たちはそれぞれの教会の信徒へ書かれた手紙を読むことができます。そこに教会があった、という歴史的記録のみならず、その教会において養われた信仰の実りをーその教会の良いところも悪いところも含めてー私たちは味わい、学び、信仰の糧とすることができます。

 もちろん一方で、パウロの建てた教会と言えども長い歳月の中で消えていきました。では結局、パウロたちの努力は無駄だったのでしょうか。それは違います。確かにこの世界にあって形あるものは永遠ではありません。建物も組織も永遠ではありません。しかし、そこに神の御心があるならば、信仰の実りは場所や時代を越えて、受け継がれ、広がっていきます。パウロたちがテサロニケの騒動の中で命がけで伝えたものが、この大阪の地にまで伝えられてきました。ベレアで苦労したシラスとテモテの神への従順が2021年を生きる私たちに勇気を与え、新しい信仰者を生み出していきます。神が、時代を越え場所を越え、人間の業を、ご自身の計画の中で用いてくださるのです。ですから、仮に騒動続き、トラブル続きのような状況の中でも、私たちはすべてを神にゆだねて、安心して今日為すべきことを為していくことができるのです。

 そしてまた、パウロたちのように開拓伝道をするということではなくても、実際のところ、信仰生活には戦いがあります。それは私たちの内にも世界にも罪が満ちているからです。罪の心と誘惑が満ちている世界で、神に従い生きていくとき、そこには内にも外にも戦いがあります。私たちは戦いを恐れてはいけないのです。無理に騒動を起こす必要はもちろんありませんが、もめ事を起こさないように穏便に済ませようとする意識を過剰に持つことは、むしろ場合によっては罪や誘惑に迎合することになります。「世界中お騒がせてきた連中」という言葉は濡れ衣の罵りの言葉ですが、ある意味、逃げることなく果敢に戦ってきたパウロたちへの勲章のような言葉ともいえます。私たちも、罪の中の偽りの平和よりも、信仰の武具、祈りの盾を身に着けて御心のうちに闘う歩みをなすべきです。

<知られざる神>

 さて、ベレアでの騒動を逃れてパウロはアテネにやってきました。ギリシャの中心地であるアテネは、当時、ローマ帝国の中で、かつての政治的な地位は失っていましたが、文化や学問の盛んなところでした。知識人が多くいたのです。彼らは、新しい知識や文化に興味津々でした。ですから、これまで聞いたことがない奇妙な宗教のことを語るパウロに「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と関心を示しました。パウロに興味を持った人々はパウロをアレオパゴスという場所に連れて行きました。これは、紀元前400年代から、ギリシャの議会が置かれていたところで、小高い丘でした。そこでパウロは語りました。当時の文化・学問の中心の場所でパウロは語りました。しかし、結論からいうと、アテネでは、それほど宣教はうまくいきませんでした。もちろんイエス・キリストを信じた人々も起こされたのですが、それほど多くはありませんでした。これはとても興味深いことです。よく聖書の学びなどでお話をすることですが、知的で学問が栄えていたアテネで福音があまり伝わらず、コリントのようなどちらかというと猥雑で快楽的な町の方が福音が伝わったのです。

 頭のいい人は理屈で物事を捉えるので、信仰に入りにくいという面もあるかもしれません。キリストの復活や、神のさまざまな奇跡といったことは、知的理解の及ばないところだからです。では信じる者は、知性や理性を放棄した人間なのでしょうか?それはまた違います。実際、世界で最高峰の学者でクリスチャンという人々はたくさんいるのです。というよりも、自然科学自体が神への信仰の中で発達してきた歴史があります。もちろんガリレオの地動説の問題や進化論といった、宗教と学問における問題は現代でもありますが。

 しかし、ここで不思議なことがあるのです。知的で議論好きな人々のいるアテネの町には多くの神々の偶像が立っていたのです。ギリシャ神話があるくらいですから、たくさんの神々の像が敬われていたのです。最初の伝道旅行の時、パウロたちが行ったリストラもそうでした。そこもギリシャの神々を信じる町でしたが、パウロたちが足の不自由な人を癒したので、人々はパウロを「ヘルメス」同行したバルナバを「ゼウス」と呼んで、捧げものを捧げようとしたという話がありました。滑稽に聞こえる話なのですが、知的な人々が、意外にはたから見ると根拠のないものを信じている、ということは往々にしてあります。

 現代においても、宗教ではないのですが、自己啓発セミナーや心理学セミナーと称して、怪しげな商売をする組織があります。それらはかなり法外なお金を取るのです。以前勤めていた会社の同僚もそういうものにはまってしまって、何十万というお金をつぎこんでいました。そういうところの話を聞くと、宗教ではありませんと受講者に語り安心させながら、実際は巧みに受講者を心理的に引き込んでいくのです。現代的な知的な言葉を使いながら、実際は心理的な高揚感に訴えかけたり、エリート意識に訴えかけたり、これをやるとなにもかもとんとん拍子でいくと事例を紹介したりして、理性を失わせて信じ込ませるのです。知的な人ほどそういうものに入り込んでしまうのです。かつて日本中を震撼させたテロ事件を起こした新興宗教に、いわゆる高学歴の人々、それも理科系の人々が入信していたことが話題になりました。知的なアテネの人々が多くの神々をあがめたように、人間は一歩間違うと、容易に根拠のないものを信じることができるのです。

 そして興味深いのはアテネに『知られざる神に』と刻まれた祭壇まであったというのです。知的なアテネの人々はたくさんの神々を祀っていました。それだけたくさんの神々を祀りながら不安だったのです。日本でも商売の神様、家内安全の神様、縁結びの神様、さまざまな神様がいます。何か悪いことが起これば、祀り方が足りなかったのではないかと思ったりします。氏神様の怒りを買ったとか、ご先祖様の供養が足りないとか、さまざまな不安にかられます。アテネの人々も、自分たちが知らないだけでまだまだ敬うべき神がいるかもしれないと『知られざる神』と名前を知らない神まで祭壇を作り礼拝をしていたのです。つまりたくさんの神々を祀っていたアテネの人々の心に平安はなかったのです。むしろ恐れゆえに『知られざる神』まで祀ったのです。知的な人々の心にあったのは恐れであり不安でした。その恐れを埋めるために学問をし、一方で『知られざる神』を祀るのです。

 パウロはアテネの人々に天地創造をされたただお一人の神を語ります。イエス・キリストというお方を通してご自分を人間に知らされた神です。知られざる神ではなく、キリストによって知られた神です。その神こそ、人間から恐れと不安を取り除き、まことの愛で満たしてくださるお方です。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。(ヨハネの手紙Ⅰ4:18)」キリストの十字架から注がれる愛は私たちから恐れを締め出します。コロナの禍のなか、先行きの見えない不安な世界にありながら、なお、キリストによって知られている神のゆえに私たちは恐れません。いや正直に言うと、誰もが恐れを持っているでしょう。だからこそ見上げるのです。ただお一人の知られている神を。地上には恐れだらけです。だから神を見上げ、その愛を知り、愛によって恐れを砕いていただくのです。

 


使徒言行録第16章16~40節「真夜中の賛美」

2021-01-10 16:38:32 | 使徒言行録

2021年1月10日大阪東教会主日礼拝説教「真夜中の賛美」吉浦玲子

【聖書】

わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」

群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。

真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

 朝になると、高官たちは下役たちを差し向けて、「あの者どもを釈放せよ」と言わせた。それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した。

【説教】

<不思議に騙されない>

 今日の聖書箇所には占いの霊に取りつかれている女が出てきます。彼女の占いはよく当たったのでしょう。お金を取って、彼女に占いをさせて、主人たちは儲けていたのです。彼女を支配していたのは主人たちでしたが、それ以上に悪しき霊が彼女を縛っていました。その悪しき霊はパウロたちの正体を分かっていました。かつて主イエスが宣教なさっていた頃、悪霊たちは主イエスが神から来られた救い主であることを分かっていました。人間よりも悪霊は主イエスがどなたであるかよく分かっていたのです。それは悪しき霊は自分たちが、やがて終わりの日に主イエスに滅ぼされる存在であることを知っていたからです。ですから主イエスを悪霊は恐れました。マルコによる福音書1章節には「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と悪霊が叫んだという記事があります。

 この世の中には、説明のつかない不思議な現象があります。オカルトちっくなことなどもあります。もちろんそれらの内のほとんどのことはからくりがあって、科学的に説明がつくものです。私が子供のころ流行ったこっくりさんというものがありました。若い人はご存じないかもしれませんが。これは複数の人が硬貨を力を抜いて押さえているのだけど勝手に硬貨が動き出して占いができるといわれました。私も何回かしたことがあるのですが、よくわかりませんでした。ただこっくりさんにはなんらかの自己催眠的なものがあるのか、精神的に異常な状態になる子供も出てきて、社会的に問題視されました。実際のところ、こっくりさんがなんだったのかは分かりません。オカルト的なものを求めるとき、精神が病んでしまうのか、あるいは、こっくりさんには低級な悪しき霊が関わっていたのかはわかりませんが、たしかにこの世界には不思議な説明のつかない現象というのはあり、そこには悪しき霊としかいいようのないものが関わっている場合もあります。注意しないといけないことは、奇跡のようなすごい力のようにみえる現象を見てそれをすぐ神の奇跡だとかしるしだと考えてはいけないということです。その力の源が悪しきものから来ているということもあるからです。神から来たものか、そうでないのか、を見分けることは簡単なことではありません。

 旧約聖書の出エジプト記を読みますと、エジプト王ファラオにイスラエルの民の解放を要請したモーセは主なる神の力によって不思議な業をなしました。しかしそれらの業のいくつかのものはエジプトの魔術師も同じことができました。たとえば、木の杖が蛇に変わるとかエジプト中に蛙を発生させるといったことは、主なる神だけでなく、魔術師もできたのです。ですから先ほども申し上げましたように、不思議なことが起こったからと言ってそれを神による奇跡であると早合点しないことです。こういうことは、巧みに新興宗教などで取り入れられて、むしろ悪しき力の方に人々を誘う恐れがあります。力の源が何かを知るには、私たちが常日頃、聖霊によって導かれる体験を積み重ねていなければなりません。同時に私たちは基本的に怪しげな力や占いといったものから、できる限り遠ざかる必要があります。悪しき力によって引き起こされたことは一時的に人間に利益をもたらしたとしても、やがて破滅に導きます。それに対して、神から来たものは人間に祝福と恵みを与え、同時に、人間の側の謙遜や神への畏れを引き出すのです。

 さて、女奴隷を支配していた占いの霊は悪しき霊でした。そして人間の欲望に利用されていました。しかしまたその悪しき霊はパウロたちが主イエスの僕であることを見抜いて叫びました。パウロたちが福音をしっかり宣え伝えようとしても、むしろ邪魔になる状態でした。それが幾日も続いたので、とうとうパウロはその女奴隷から占いの霊を追い出してしまいました。

 するとこの女奴隷の主人たちはお金を儲けることができなくなり、怒ってパウロたちを捕らえてしまいました。完全な逆恨みですが、結局、パウロたちは捕らえられてしまいます。パウロとシラスは鞭で打たれ、牢に入れられてしまいました。

<真夜中の賛美>

 使徒たちが捕らえられて助けられるという記事はこれまでもありましたが、今日の聖書箇所で印象的なことは、パウロたちが真夜中に賛美を歌ったということです。鞭うたれた傷も痛み、体も弱っていたはずです。心身の負担は尋常の状態ではありませんでした。しかし、彼らは神を賛美しました。賛美したら、神さまが自分たちを牢から解放してくださるとか、賛美はクリスチャンの務めだからということではありません。あるいは不安な気持ちをやり過ごすために賛美をしていたわけではありません。彼らの口からは自然に賛美が流れ出たのです。賛美せざるを得なかったのです。

 理由はいくつかあるでしょう。以前読んだ使徒言行録5章で牢に入れられた使徒たちは、やはり捕らえられひどい目にあったとき、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜」んだとあります。罪なき主イエスが苦しめられ十字架につけられたことを使徒たちは思い起こしたのです。そこにこそ、主イエスの人間への愛がありました。主イエスの苦難を思うことは主イエスの愛の深さを思うことでもあります。自分自身が苦しみの中にあるとき、なおいっそう主イエスの苦しみが切実に分かり、なお主イエスに感謝の思いが湧いて来るのです。

 また、ほんとうに苦しみの中にあるとき、神の支えを深く感じるということもあります。一人で孤独に困難の中にいるとき、あるいは先の見通せない不安の中にあるとき、そういうときこそ、神が傍らにいてくださるという思いを強くすることがあります。ヘンリー・ナウエンという方はオランダ出身のカトリックの司祭であり神学者でした。彼は自分がたいへんな弱さも抱えた人間であることをよく知っていました。実際、彼はメンタル面での不安定さを抱えた人でした。司祭でありながら不安にかられたり、孤独の中に打ち沈む人であったようです。しかし、弱さを抱えた人であったゆえ、彼の言葉は多くの人を励ましました。カトリックの司祭でありながらプロテスタント系の神学大学で教えたり教派を越えて親しまれました。講演なども人気があったのです。彼自身が、自分の最も弱いところ痛むところにこそ、キリストが来てくださるということを体験していたからです。私自身、ヘンリナウエンの本を読んで力づけられたことが幾度もあります。キリストは苦しみの時、共にいてくださる、私たちはそのように聞き、また語ります。クリスマスのメッセージはまさに神が共にいてくださる、インマヌエルの神ということでした。しかし、ヘンリナウエンはさらに言うのです。ほかの誰でもない自分自身の痛み、苦しみと向き合うことのないところにキリストは希薄なのだと。私たちは神の前に立派な者、強い者として立つのではなく、情けない者弱い者として立ちます。情けなさ、弱さを知っている自分であるからこそ、キリストが共にいてくださるのです。夜じゅう、野宿をして羊の番をする羊飼いが自分のみじめさを知っているゆえに飼い葉桶の中の主イエスを見たように、あるいは、年老いた祭司シメオンが自分の命が細り行くことをかみしめる歳月の果てにみどりごイエスをその腕に抱いたように、私たちも私たちのいたみや弱さのただなかでこそ主イエスと出会います。パウロたちもまたそうでした。鞭うたれた傷が痛み、心身が衰弱していた夜に、やはりキリストが共にいてくださったのです。だから賛美がほとばしり出たのです。牢にいる人々はパウロたちの祈りや賛美に耳を傾けていました。通常なら、寝静まるべき夜にうるさいと怒鳴られるところです。しかし、信仰のない人々にとっても平安さを導く賛美であり祈りであったのでしょう。賛美と祈りが響き、囚われ人たちに美しく平安に夜は更けていきました。

<本当の自由>

 ところが、突然、大きな地震が起きました、そして牢の扉が皆開きました。使徒言行録の別の箇所でペトロが牢から天使によって連れ出された時と違って、ここではパウロは牢から出ることはしませんでした。牢の看守は、牢の扉が開いていることに気がつき、囚人たちが逃げたと思いました。そしてその責任を問われると思った看守は自殺しようとしました。それをパウロはとめました。不思議なことです。パウロたちはともかく、他の囚人たちの牢の扉も空いたのに、それに乗じて逃走する囚人はいなかったのです。普通に考えたら、牢の中で暴動のようなことが起きても不思議のない状況です。パウロたちの賛美と祈りが、囚人たちの心を穏やかにし、逃走するというような思いを抱かせなかったのでしょう。そして何より素晴らしいのは、この看守と看守の家族が主の言葉を聞き、神を信じる者とされたことです。大地震は、パウロたちを助けるためというより、むしろこの看守と看守の家族を神の救いにあずからせるために神が起こされたことでした。さらにさかのぼれば、理不尽で不幸と思えるパウロたちの逮捕も、神の豊かな救いのご計画のゆえだったといえます。看守たちは、「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ」とあります。看守たちは騒動を起こしたユダヤ人を牢に入れて監視していたはずが、自らが福音を聞くこととなりました。看守たちにとってもパウロにとっても思いがけないことでありました。

 さて、その驚くような一晩の後、パウロたちは、一晩の留置で放免ということになりました。高官たちにしたら、騒動を起こしたユダヤ人をちょっと懲らしめて、そのあとは関わるつもりのなかったのでしょう。下役に伝えさせておしまいのつもりだったのが、パウロたちがローマ市民権を持っていると知って驚き恐れます。

 これは単に高官たちをパウロたちがぎゃふんと言わせたという話ではありません。私たちはこの世の常識の中で、また自分の思い込みの中で生きています。ローマに支配された愚かなユダヤ人と見えていたパウロたちが実はローマ市民であったように、かわいそうな不自由な人と思われていた人が実はほんとうの自由と権利を持っているということがあります。パウロたちが捕らえられていた牢の中でもそうです。牢の一室で鍵をかけられ、足枷までつけられていたパウロたちこそが実は一番自由だったのです。現実的物理的には制限された状態で、むしろこの世の中にいる誰よりも自由だったのです。そしてまた、牢の扉が開いたとき、もともと悪いことはしていなかったパウロたちには逃げる自由もありました。しかし、パウロたちはその自由を行使せず、むしろ看守を助けました。一方、看守は本来は牢の中で自由な存在でした。囚人たちに対して権力を持っていました。しかし、大地震が起きて見ると、彼自身、もっと大きな権威に縛られた不自由な者であることが露呈しました。ことが起こったら、責任を取らされ、あっさり殺されてしまう立場でした。看守は自分の自殺をとどめてくれたパウロこそが本当の自由を持っていることを知ったのです。だから「先生方、救われるためにはどうするべきでしょうか」とパウロたちに聞いたのです。自分が自由な権力側にいるのではなく、ただ弱く不自由な人間であることを看守も知ったのです。囚人に過ぎなかったパウロたちこそが救われ、本当の自由を持っていた、だから「先生方」と呼びかけたのです。

 私たちもまたキリストによって救われ、まことの自由を得ています。もちろん日々にはさまざまな制約があります。しかしもっとも大事な罪からの自由を得ています。その自由はクリスマスに到来され、十字架にはりつけにされ自由を奪われたキリストのよってもたらされたものです。キリストは十字架から逃れる自由もお持ちでした。しかし、私たちへの愛ゆえその自由を行使することなく死を選ばれました。十字架の死はキリストの神としての自由な選択でした。それゆえ私たちはいま、自由とされています。神の前でのびのびと神の子として歩む自由を得ています。コロナの禍のために、私たちの日々は制約を受けています。普段であっても一人一人、仕事であったり、病であったり、家族のためであったり、さまざまなことのゆえに制約を受けて歩みます。しかしなお、私たちは神の前で最も大事な自由を得ています。その自由の内に喜びながら歩みます。

 


使徒言行録16章11~15節

2021-01-03 13:54:09 | 使徒言行録

2021年1月3日大阪東教会主日礼拝説教「主が心を開かれる」吉浦玲子

【聖書】

わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

【説教】

<一人の救い>

 2021年最初の御言葉はパウロたちがフィリピで宣教をした場面から読んでいきたいと思います。新約聖書の中に「フィリピの信徒への手紙」というパウロの書簡が残されていますが、この書簡は喜びの手紙と呼ばれます。実際、フィリピの人々とパウロとの主にある愛の交わりを感じさせる喜びに満ちたものです。パウロの残した手紙は、手紙によっては、パウロが手紙の宛先である教会に対して、叱責したり、指導するような内容になっているものもあります。コリントの信徒の手紙などは特にそうです。パウロが去ったあと、教会が変な教えに従ったり、教会に問題や分裂が起こったりしたため、それに対して、パウロが手紙を通して指導しているのです。それに対して、フィリピの教会は離れていてもパウロを親身になって助け、パウロも感謝と喜びを手紙に記しています。愛にあふれる共同体がフィリピの教会にはあったのです。そのフィリピでの宣教の始まりも祝福に満ちたものでした。短い聖書箇所ですが、パウロが初めてヨーロッパに足を踏み入れ、その最初の宣教地で祝福されたことを味わえるのは年の初めに神から賜る言葉として、ことに幸いなものといえます。

 さて、それまで挫折の連続だった宣教旅行でしたが、神に導かれて、マケドニア州にパウロたちは渡りました。神の新しい壮大な計画が始まりまったのです。しかし、まずここで語られているのは一人の女性の回心です。ペンテコステの日、ペトロの説教で3000人もの人々が回心をして信仰に入りました。しかし、ここで語られているのは一人の婦人、そしてその家族が洗礼を受けたということだけです。急成長していた初期の教会の状況に比べるとこじんまりとした成果であるともいます。

 その宣教の様子はどうであったでしょうか。そもそも、パウロたちの宣教は、ユダヤ人たちの集会所、ユダヤ教のシナゴークを拠点にして行われました。安息日にシナゴークで聖書が読まれる時、巡回伝道者として語る機会を得て、宣教活動をしました。しかし、このフィリピにはそのようなユダヤ人の集会所はなかったようです。つまりフィリピにはユダヤ人がかなり少なかったということです。フィリピは「ローマの植民都市」とありますから、ローマの退役軍人などが多く住んでいたようです。フィリピはギリシャでしたが、ローマ帝国、特にその中心であるローマとの結びつきが強い町であったといえます。つまりフィリピは、これからのヨーロッパ伝道を行っていくための、たしかな足掛かりとなる町であったといえます。

 まさにその町の祈りの場所に、リディアはいました。「神をあがめるリディア」と書かれていることから、この女性は、ユダヤ人ではなく、ユダヤ教に改宗した異邦人であったと思われます。そしてまた紫布を商う人であったと書かれています。紫布は高級な布ですから、紫布を自ら商いをしていたリディアはかなり裕福な女性であったと考えられます。ちなみにリディアとは「リディアの女性」という意味です。彼女はリディアというところの女性だったのです。彼女たちは祈りの場所として川岸にいました。おそらく祈りの前に身を清めるために便利な川の側が祈りの場所となっていたのでしょう。リディアの商いはティアティラ市の方でなされていたと考えられ、おそらく彼女は、毎週、フィリピに来ていたわけではないと思われます。パウロたちがこの町に滞在したのは数日なので、この日でなければパウロたちとリディアは出会うことがなかったかもしれません。次の安息日であったならリディアはこの川岸に来ていなかったかもしれないのです。

 そのようなきわどいタイミングでの出会いを神は備えてくださいます。私自身、人との出会いややりとりのなかで、あの日の出会いがなければ今の関係はないということや、あの時かわした一言がなかったらならばそれっきりになっていたということが多くあります。もちろん求めても願っても与えられない関係もあれば、偶然ともいえるようなことによって出合いや関係が与えられるときもあります。しかし、実際のところは偶然というものありません。出会い、関係はすべて神によって備えられたものです。別れもそうです。リディアとの出会いも、パウロたちにとって、まさに神が備えられた出会いでした。

 リディアは家族ともども洗礼を受け、自宅にパウロたちを招きました。今日の聖書箇所につづく後の部分を読みますと、この後、逮捕されたパウロが釈放後、リディアの家に寄っていることが分かります。40節に「兄弟たちに会い、彼らを励まし」とありますから、リディアの家がこの地域のキリスト者の中心となっていたことが分かります。そして、のちのフィリピの信徒への手紙の宛先となったフィリピの教会の母体となったと考えられます。その教会の創設にリディアは中心的役割を担ったと考えられます。パウロたちが出会ったのは一人の女性でしたが、彼女の回心によって、これからののちのヨーロッパ伝道の拠点となる教会が立ち上がったのです。そしてまた、第二回目の宣教旅行では、これまで度重なる挫折を経験していたパウロが、ここでようやく慰めを得、またこれからの伝道においても支えとなる共同体を神はパウロに与えられたのです。

<主が心を開かれる>

 さて、そのリディアは「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」とあります。彼女は神をあがめる女性でしたから、そもそも神について語られる言葉は普段から熱心に聞いていたと思います。安息日にわざわざ川岸にやって来る女性です。もともと熱心だったのです。しかし、その彼女の心を神が開かれました。ユダヤ教を信じていた彼女にとって、キリストが来るべきメシアであること、そして十字架の後に復活したことを信じるということは、けっしてハードルの低いことではなかったと思います。まさにかつての熱烈なファリサイ派であったパウロのように、むしろこの教えは神を冒涜していると考えてしまう可能性もあるわけです。実際、パウロのこれまでの宣教旅行でも、多くのユダヤ人たちからそのように福音を受け取られて、迫害を受けて来たのです。

 パウロ自身は回心の前は熱心に律法を守っていたのです。しかし、人間の熱心や真面目さによって神の真理が聞かれるのではないのです。パウロ自身ダマスコ途上で復活のキリストと出会ったゆえに心が開かれました。神の方から来てくださるのです。そして神が心を開かれるのです。

 神が心を開かれたとき、神の言葉がはじめて神の言葉としてその人に響いて来るのです。神の愛と真理の言葉が、まさに血肉となってその人の内側に命を与えるのです。知的理解を求めたり、お勉強のように聞く姿勢では、福音はその人の心には届きません。知識は増えても命の言葉とはなりません。あるいは心情的な共感やひとときの安らぎを求めて聞くとき、そこにはまことの慰めや救いはありません。

 自分の知識や熱心さを放棄した時、神の言葉は神の言葉として私たちに響いてきます。音楽を聞くとき、ここのソナタ形式がどうのとか、歌い手の唱法や声量がどうのといったことを考えていたら、音楽のほんとうの豊かさを感じられないように、私たちは子供のように福音を聞くのです。そのとき神は心を開いてくださいます。もちろん神は私たちがお勉強のつもりで言葉を聞いていたとしても、時によって、強引に心を開かれる時もあります。パウロがダマスコ途上で地面にたたきつけられたように、いきなり、自分の熱心や真面目さを放棄せざるを得ない状況に神がなさることもあります。そのとき、私たちは余裕を持って神の言葉を聞くことはできなくなります。知的理解や表面的な慰めを求めることはできなくなります。ただ神の言葉が迫ってくるのです。神の言葉に迫られた時、変わらざるを得なくなるのです。変わらない人は、神の言葉に迫られていないのです。神の言葉に迫られた時、ちっぽけな自分のやり方や考えや知識など、吹き飛ばされてしまうのです。2021年、もっともっと神の言葉に迫られる体験をしていただきたい。自分のやり方自分の考え、自分の知識を手放し、子供のように素直に御言葉を聞いていただきたいのです。そのとき、今まで聞こえなかった福音が、命の言葉の響きが聞こえてきます。神の細い声が聞こえてくるのです。ぜひこの一年その言葉を聞いていただきたい。子供のように聞き続けていただきたい。

<招く人になる>

 さて、リディアは、パウロたちを自分の家に招きました。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」と言って、「無理に承知させた」とあります。無理に承知させたというのは面白い表現です。紫布の商人としてばりばり働いていたリディアは強引なところのある性格だったのでしょうか?世話好きであれこれひとにやってあげたい女性なのでしょうか。そうではないでしょう。ここはむしろ、リディア自身が、信仰的に神の召しを感じてパウロたちを招いたのだと考えられます。先ほどリディアは裕福な女性であったと考えられるといいましたが、彼女は大きな家も構えていたと考えられます。ユダヤ教に改宗していた女性でしたから、ユダヤ人の生活様式も良く知っていたでしょう。最初に言いましたように、こののち、リディアの家はフィリピ伝道の拠点となっていくのです。文化的にヨーロッパ人もユダヤ人も集まりやすい環境を彼女は提供できる女性だったのです。そしてそのような環境を提供することが自分の使命だとリディアは神によって目覚めさせられたのです。

 福音を聞いて、罪の救いを与えられ、そして新たな使命を彼女は与えられ、それをすぐさま実行したのです。かつてペトロが主イエスに「人間を獲る漁師としよう」と言われ、すぐに舟を置いて主イエスに従ったように、徴税人であったマタイが、主イエスに召されて、すぐさま徴税所から立ち上がったように、リディアもまた新しい歩みに向けて立ち上がったのです。これは信仰者はストイックに自分のこれまでの生活を捨てなさいということではないのです。祝福を受けた者は、おのずと他者へ祝福を与える者とされるということです。自分が受けたことを隣人へ捧げるのです。それは義務であるとか、そうしたら天国に入れるということではないのです。 私たちはただ福音を信じた時に、御国の子とされています。心素直に福音を聞き、その喜びのうちに、隣人を招く人とされます。新しい使命に生きます。

 2021年が始まりました。今年も試練があるかもしれません。今現在、試練の中にある方々もおられます。しかしなお、それぞれの場で、神は必ず祝福を与えてくださいます。祝福を受けた私たちは、それぞれに隣人を招く人とされます。病の中にある方、ご高齢の方、たいへんな重荷を負っておられる方、それぞれの状況があると思います。しかしなお、それぞれの状況に応じて、神は一人一人を一人一人異なった形で、人を招く者としてくださいます。祝福の源としてくださいます。祝福を受けた者として私たちは2021年の一歩を踏み出します。