大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

2017年2月19日主日礼拝説教 マタイによる福音書26章47~56節

2017-02-24 14:57:47 | マタイによる福音書

説教「心を高くあげよ!」

<剣をさやに納めなさい>

 いよいよ事が起こりました。主イエスがまだ話しておられると、と書いてありますので、突然、多くの人々が迫ってきたのです。それまでの静かな祈りの場面が、一気に物々しい状況になります。剣や棒を携えた人々が主イエスと弟子達を取り囲みます。夜ですから、たいまつのような明かりも人々は持っていたでしょう。現代と違い、当時夜は深い闇に包まれていた時代です。しかも、人家があるような場所ではなく、オリーブの園です。その夜の暗闇の中に多くの赤い光が揺れ、取り囲まれた弟子達はたいへん面食らったことだと思います。恐怖に捕らえられたかもしれません。

 主イエスを裏切ろうとしているイスカリオテのユダはぬかりなく祭司長たちと合図を決めていました。他の弟子達はどうでもいい、人々にあらぬ力をふるっている主イエスを、間違いなく捕らえないといけない、そう考えていたのです。その主イエスを指し示す合図が、親愛の情をしめす接吻であるというのは残酷なことです。「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」とユダは言います。最初の行、47節に12人の一人であるユダが、とありますが、これはほかでもない、主イエスの弟子の中でもっとも重要な弟子であった12弟子のうちから裏切り者が出たのだということが強調されています。

 そのユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻をしたとあります。これは一般的な挨拶の言葉です。言葉の意味としては「先生、よろこびなさい」というような意味です。当時の慣用的な挨拶の言葉とはいえ「よろこべ」という言葉でユダが主イエスを裏切ったのは皮肉です。そしてまたここでユダが主イエスに「先生」つまり「ラビ」と語りかけているのは象徴的です。他の弟子達は、過ぎ越しの食事の場面でも、主イエスに「主よ」と語りかけているのですが、ユダだけは「先生」なのです。つまり、ユダにとっては主イエスは「主」という特別な人ではなくなったということなのです。一般的な教師としての呼び名であるラビという言葉でユダは呼びかけています。そして実にあっさりとユダは主イエスに接吻をするのです。この場面でユダには迷いはなく実にスマートと言っても良い言動です。

 そして主イエスは実にあっさりと人々に捕らえられます。それに対して、イエスと一緒にいた者の一人が、剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかり耳を切り落としたとあります。この剣を抜いた弟子はヨハネによる福音書ではペトロと名を記されています。ペトロであるとするなら「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどと決して申しません」と26章35節で言っていたように、ペトロはたしかに勇敢にふるまおうとしたといえます。

 しかし、主イエスはこうおっしゃいます。「剣をさやに納めなさい。」主イエスを裏切ったユダに対しては「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われているのに主イエスを守ろうとしたペトロに対しては、しようとしていることを制止されました。

 主イエスはさらに言われます。「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」これは単なる暴力に対する無抵抗主義、平和主義を唱えられているわけではありません。主イエスにとって重要なのは「聖書の言葉が実現すること」でした。それは先週お読みした箇所にある「御心が行われる」ことでした。救いの成就でした。

つまり、父なる神の御心ではなく、自分の力、自分の剣に頼る者は滅びるのだとおっしゃっています。主イエスは群衆に対してもこうおっしゃっています。「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」

56節に<このとき>、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」とあります。最初、剣を抜いたペトロも逃げてしまった。それは多勢に無勢で叶わないと諦めたり、恐れをなして逃げたというよりも、むしろ、「聖書に書いてあることが実現する」とおっしゃる主イエスの言葉や、「預言者たちの書いていたことが実現する」という言葉になにがなんだかわからなくなってしまったからではないでしょうか。ですから、「このとき」弟子たちは逃げて行ったのです。

主イエスが、ユダの裏切りを断罪したり、祭司長たちの不当逮捕を非難しているのであれば、弟子たちは主イエスのために、あるいはもっと闘ったかもしれません。しかし、主イエスはただこのことが「御心がなるため」だとおっしゃった。そのことのゆえに、混乱して、ちりじりに逃げてしまったとも考えられます。

<恐れるから剣をふりまわす>

 私たちもまた神の前で剣を振りかざす者です。神に委ねるのではなく、御心を問うのではなく、自らの力を頼りに戦おうとします。私たちは今日のこの場面のように剣や棒を持った人々に取り囲まれることはないかもしれません。しかし、困難なことが起こったとき、私たちは自分の剣を抜いて立ち向かいます。一方で、クリスチャンであれば、まず神に委ねる、御心を問うということが大事だということは、良く良く聞いていることです。でも私たちは、それを知りながら、神の前でやはり自分の剣を振り回すのです。

 この場面でペトロと推測される弟子の一人が剣を抜いたことに関して、さきほどその弟子なりに、勇敢に振る舞おうとしたのではないかと申しましたが、彼はむしろ恐れのあまり、剣を振り回したのだと解釈する人もいます。ペトロは恐怖に駆られて剣を振り回した、それも人間の心理としては良くわかることです。

 一見、勇敢なようであれ、恐れに取りつかれていたのであれ、私たちは神の力を信じていない時、自分の剣を振り回します。

 ところで、わたしの愛唱讃美歌のひとつは讃美歌21の18番です。はじめて教会の扉を開けて礼拝に行くようになって三回目くらい日曜の礼拝に歌われました。当時は当然、毎週どの讃美歌も初めて聞く讃美歌でしたが、その「心を高く上げよ」は印象的でした。特に二番の歌詞を聞いた時、なぜか涙があふれてきました。「霧のようなうれいも、やみのような恐れも、みなうしろに投げすて、こころを高くあげよう。」別にどうということのない歌詞と言えばそうなのですが、なぜかこの歌詞を聞いたとき、泣けて泣けて仕方がありませんでした。最初なんで涙がでるのか自分でもわかりませんでした。ものすごく感動的な歌詞というわけではありません。「霧のようなうれいも、やみのような恐れも、みなうしろに投げすて、こころを高くあげよう。」思い起こしますと、当時、子供が不登校でした。もちろんそのことをとても心配して、いろいろ専門機関に相談したりしていましたが、一方で自分自身の仕事もあり日々忙しく、毎日、ものすごく落ち込んでふさぎこんでいたというわけではありませんでした。やるべきことは多く落ち込んでいる暇はありませんでした。でも、この「心を高く上げよ」の歌詞を聞いたとき、自分が霧のようなうれいや、やみのような恐れを心の中に持っていることに気が付きました。それは単に、子供のことや、自分自身のそのほかの悩み事といった事柄を越えたものでした。私自身のなかに、もやもやと渦をなすように、うれいやおそれがたしかにあった、その自分自身の中のもやもやとしたうれいやおそれにたしかに響き合う言葉だったのです。

 でも、当時、私はそれを自分自身の力で、いってみれば自分の剣でなんとかしよう、どうにかしようと何年も何年も頑張ってきていた、そのことに気づきました。でも、それらを皆うしろに投げ捨て心を高く上げよ!つまり神を見上げようと、この歌は言っていました。投げ捨てるなんて言葉はいかにも無造作で無責任なニュアンスがあります。いろいろな問題や責任をしっかりと自分で受け止めて、自分で戦っていくことこそほんとうの大人の姿であると当時私は思っていましたし、それは一般的にも考えられていることです。でも「皆後ろに投げ捨て、心を高く上げよ」とこの歌は言います。

 涙を流しながらも、そのときはまだ、投げ捨てることができないから人生はたいへんなんじゃないかという気持ちを持っていました。投げ捨てられたらどんなにいいか。どうして自分の剣を捨てて生きていくことができるのか。ペトロのように負け戦であっても、霧のようなうれいややみのような恐れの中で自分の力で、自分の剣で戦っていくしかないではないか、そういう思いも持っていました。しかし、主イエスはおっしゃるのです。「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」そうです。たしかに、きりのようなうれいや闇のようなおそれを持ちながら自分の剣を振り回していた私は滅びへの道を歩んでいたのです。

<剣を取らずに戦われたイエス>

 一方で、「剣をさやに納める」これはまた神の意志、主イエスの意志でもありました。「お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。」そう主イエスはおっしゃっています。かつて主イエスが地上に降誕なさったとき、ルカによる福音書では、羊飼いたちがみていると、天使と天の大軍が賛美をしたことが記されています。お願いすれば、たしかにまた天の大軍は来たでしょう。そして、いま主イエスと弟子たちを取り囲んでいる祭司長や群衆などひとたまりもなくやっつけることはできるでしょう、しかしそれをしない、そう決められたのは父なる神であり、御子イエス・キリストでした。聖書の言葉が実現するために、預言者たちの書いたことが実現するために。神ご自身が、罪人である人間を打たないと決められたのです。御自身の方を向くことなく、ただ自分の虚しい剣を振り回し罪のための滅びへとむかっている人間を、裁くことなく、剣をむけることなく救うと決められたのです。そしてまた主イエスご自身が剣をさやに納めて、これからのちの十字架への戦いへと向かわれるのです。自分の剣で滅びへと向かっている人間を救うために、ご自身が剣をさやに納め、御自身の体を人間の剣やむちへと捧げ、一人の戦いに赴いていかれます。

 へんなたとえになりますが、この世のヒーロー映画で、ヒーローが一人で敵に向かっていく場面があります。私は女性ですから、そういうヒーローものを好んでは観ませんけれども、古いところでは、シルベスタースタローンとかシュワルツネガーといった俳優が演じるヒーローが並み居る敵を一人でやっつけるような映画はある種のそう快感があります。しかし、主イエスはそんな恰好のいいヒーローにはおなりになりませんでした。悪い祭司長や、律法学者をぎゃふんと言わせるように叩きのめすヒーローにはなられませんでした。

 ただご自身の身を十字架に捧げ、みじめな死をとげられました。罪人として死なれました。自分の剣を振り回そうとして、結局、滅びへと向かっている私たちのために十字架で死んでくださり復活なさいました。主イエスを捕えようと剣や棒をもってやってきた人々のためにも十字架で死んでくださり復活してくださいました。それこそがまことの愛でした。その愛はいまも私たちに注がれています。

 私たちは自分の手にある剣の虚しさを気付かない限り、私たちの剣を振り回し続けるのです。その剣の虚しさに気づくのは、神の愛の業を知る時です。私自身が、がんばって剣を奮って戦っていたつもりであった、しかし、本当に働いてくださっていたのは神だった。私を愛して神ご自身が愛の業をなしてくださっていた、そのことに気づく時、私たちがどれほど虚しく自らの剣を振り回していたかに気づくのです。そしてその剣をさやに納めることができるのです。十字架と復活によって示された神の愛によって私たちは憂いやおそれを投げ捨てることができます。そして自らの剣ではなく愛によって生きていく者とされます。


2017年2月12日主日礼拝説教 マタイによる福音書26章36~46節

2017-02-17 13:00:04 | マタイによる福音書

説教「心が燃える時」

<主イエスはなぜ死を恐れたのか?>

 『クオ・ワディス』という小説があります。ポーランドの、シェンキェヴィチというノーベル賞作家による作品です。ローマの暴君であった皇帝ネロによってキリスト教徒が迫害される時代背景の中での物語で、クリスチャンの女性とその女性を愛する武将のロマンを軸に描かれた大河小説です。フィクションではありますが、ここにはペトロやパウロといった使徒たちも登場し、すさまじいキリスト者の殉教の場面と相まって、信仰について深く考えさせられる小説です。『クオ・ワディス』という題は、「クオ・ワディス・ドミノ」(主よ、どちらへいかれるのですか?)という小説中のペトロの言葉から取られています。印象的であったのは、皇帝ネロの臣下でありながら、反逆して、遠からず処刑されることを悟ったペトロニウスという人物の最後です。この人物は実在の人物がモデルのようです。たいへん教養ある機知にとんだ人物だったようです。ペトロニウスの死の場面が物語のラストであったと記憶しています。ペトロニウスはキリスト者ではありませんでした。しかし、もともとネロの臣下でありながらネロの愚かさを良く良く知っていた人でした。最後はたしか、みずからの血液を抜くという手段によって自殺をするのです。でもその自殺の場面はとても美しく描かれていました。豊かな上流階級のパーティののち、テーブルにはお酒と料理が並び、愛する女性と二人でしずかに死んでいくのです。その死の場面で「ローマの神々のために」という言葉がありました。まさにそれは神々の黄昏のような美しい場面で、人間の死としては、ある意味、見事な最後でした。

 さて、ゲッセマネで主イエスは祈られました。ゲッセマネという言葉は<オリーブの油搾り>というような意味があったようです。ゲッセマネは実際、オリーブが植えられた庭園のようなところであったと思われます。そこに、弟子たちの中でもペトロとゼベダイの子二人、つまりヤコブとヨハネの、合わせて三人だけが伴われました。

 十字架の死を前にして主イエスは壮絶な祈りを祈られました。悲しみもだえ始められたとあります。そしてご自身でも「わたしは死ぬばかりに悲しい。」ともおっしゃっています。ルカによる福音書ではこの場面で「汗が血が滴るように地面に落ちた」とあります。主イエスは悲しみもだえつつ血が滴るような汗を流して祈っておられたのです。神学者の竹森満佐一はこの主イエスの姿はあまりにも死を恐れすぎていると指摘しています。この後、キリストの名のゆえに多くの弟子たちが殉教します。さきほどの『クオ・ワディス』のなかにもローマのコロシアムで生きたまま猛獣に食われて殺されたり、火をつけられて殺されるクリスチャンの姿が描かれていましたが、それは歴史的に現実にあったことでした。そんなクリスチャンたちの殉教のりっぱな様子と、この主イエスの死を前にした態度はずいぶんと違います。実際、宗教改革者のルターも、<主イエスは、人間の中でだれよりも死を恐れた人であった>と言ったそうです。

 死を前にして、堂々と、いさぎよく死んでいった人々は歴史上多くあります。武将や政治家、哲学者、等々、枚挙にいとまはありません。まして主イエスは一般的な言い方では宗教家というカテゴリーに入られる存在です。その宗教家である主イエスが死を前に悲しみもだえておられる、そのお姿は宗教家としてどうなのかと問われるようなことと言えなくはありません。『クオ・ワディス』のなかのノンクリスチャンであったペトロニウスの美しい死とはずいぶんと違う死に方です。

 主イエスは何をそんなに怖れておられたのでしょう。そもそも主イエスの生涯はまさに十字架に向かわれる生涯でした。かねてからご自分でも自分は苦しみを受けて十字架に付けられて死ぬとおっしゃっておられました。十分に心の準備はできておられたのではないか?それなのになぜここにきて悲しみもだえておられるのか?主イエスとて、やはり死を前にしたら弱いお方だったということなのでしょうか。

<罪人としての死>

 しかし、ここで言えますことは、主イエスの死は、ただの死ではないということです。罪人としての裁きを受けられる死でした。罪人としての死です。本日、礼拝ののち、壮年婦人会で黙示録を学びますが、黙示録は「終わりの日」を描いたものです。「終わりの日」は「神の怒りの日」とも言われます。人間の罪に対して、また罪によって壊れたこの世界に対して、神の怒りが燃えあがる日です。黙示録には恐ろしいイメージを駆使してその終わりの時の物語が記されています。内容の激しさと難解さから黙示録は敬遠される書物でもあります。しかし黙示録に記されている、その神の怒りの裁きをただお一人でお受けになる、それが主イエスの十字架でした。神の怒りの恐ろしさをだれよりもよくよく知っておられる子なる神であるからこそ、その罪人の死がどれほど恐ろしいものか、ご存知でした。ですからその恐ろしい罪人の死を前にしてもだえ苦しまれたのです。

 逆に言いますと主イエス以外の人間は、皆、罪人でありながら、主イエスほどは罪人の死ということをわきまえていないのです。ですから、主イエスのように死を前にした恐れは持てないのです。罪に対する神の怒りの恐ろしさを人間は知らないのです。自分の罪の深さをわからないほどに人間の罪は深く、その罪への神の怒りの激しさを知りえないと言っても良いでしょう。人間には到底知ることはできないし、その怒りを身に受けることは耐えられないことなのです。先ほど申しましたようにルカによる福音書にあるように、この場面で血のような汗を流しながら主イエスは祈られたのです。そういう意味で、歴史上、もっとも恐ろしい死を迎えられた方が主イエスであったと言えます。

 そのような死をお迎えになる直前の祈りが本日のゲッセマネの祈りです。

<御心のままに>

 10年ほど前に公開された主イエスのご受難を描いたパッションという映画はこのゲッセマネの祈りの場面から始まりました。ゲッセマネの園が幻想的に美しく描かれていました。そして、その映画の随所随所に、不気味なサタンの姿がありました。サタンは受難を受けられる主イエスを誘惑するのです。聖書にはそのようなサタン、悪魔の姿は受難の物語には描かれていません。

 そもそも主イエスはその公の活動をお始めになる前、荒れ野でサタンの誘惑をお受けになりました。そのとき、主イエスはサタンに勝利され、サタンはいったん退いたのです。しかし、この場面で、ふたたび、主イエスはサタンとの戦いにあったと考えられます。サタンの姿は直接には聖書には描かれていませんが、ここには救い主としての主イエスの戦いの姿があります。人間の罪の裁きをみずから受け、赦し、救いへと導く救い主の戦いがいまからまさに始まります。その戦いに向かうに当たって、主イエスはなにより父なる神との交わりである祈りを必要とされました、主イエスといえども祈りなしに戦うことはおできにならなかったのです。その祈りの中で主イエスは「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と願われます。罪人の死を死ぬというその杯をできることなら過ぎ去らせてほしい、それは主イエスの切なる願いでありました。しかし一方で、「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」とも祈られます。この祈りがどのくらいの時間のものであったのかは聖書からはわかりません。しかし、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」という祈りから「御心のままに」という祈りまでの間に主イエスの内に祈りの戦いと言うべきものがあったと思われます。この杯を私から過ぎ去らせてくださいという願いから御心のままにまでが、すっと直線的に祈られているわけではないとわたしには思われます。その祈りの中で主イエスは何度も父なる神と会話をされたと思います。問われたと思います。そして最後に「御心のままに」という祈りに至られたと思います。

 この主イエスのゲッセマネの祈りを祈りのお手本として考える人々は多いのです。それは間違いではありません。「私の思いではなく御心のままに」というのは神にすべてを信頼した素晴らしい祈りです。私たちも「私の思いではなく御心のままに」と祈りたいと願います。しかし、一方でなんでもかんでも最後に御心のままにと祈るのであれば、ひねくれて考えれば、祈る必要はないではないかということにもなります。自分の思いではなく御心が成るように祈るのであればそもそも自分の思いはどうでもよいということにもなります。もちろん、実際、すべてのことに置いて、結局は御心がなるのです。神のご計画が進められていくのです。そうであれば、わたしたちの思いは神の前でどうでもいいのではないか?そうひねくれて考えそうになります。私自身、あることで深刻に真剣に祈っていた時、いまこうやって祈ってもきっと神はご自身の御心のままになされる、だとしたらここで祈っても無駄ではないかという思いに強く囚われたことがあります。そのとき祈りがフリーズしたといいますか、祈るに祈れなくなったことがあります。どうにも祈れなくなって、ただ機械的に主の祈りだけ祈りました。本当に機械的に祈ったのです。でも主の祈りを祈った後、急に心がほどけて、ああこれでいいんだと感じました。涙がでてきました。私の願いは願いとして神は良く良くご存じである、それが叶うかどうかはもちろんわからない、でも神はけっして悪いようにはなさらない、わたしの願いはひょっとしたらその通りには叶わないかもしれない、でも神の前に私の道はすでに備えられている、それがわたしの願いどおりでなくても悪い道であるはずがない、そのような確信が与えられました。

 私たちは何でも祈っていいのです。何が何でも私はこうしたい、これが欲しいと祈っていいのです。無理に「御心のままに」などと付け加える必要はないのです。もちろん本当にそう思われるのであれば付け加えても良いのですが。大胆に祈って祈って願って願って行けばよいのです。祈りつつ歩んでいくとき、御心は示されます。そしてその御心はひょっとしたら、自分にとっては受け入れがたいことかもしれません。「神様、なんで願いを聞いてくださらないのですか?」というようなことかもしれません。そういう時、なぜ聞いてくださらないのか、と神に問うていくとき、少しずつ私たちに神の本当の恵みが知らされていきます。私たちへの愛が示されます。その過程全体が祈りです。神は愛の神であり、祝福の神であり、その愛と祝福は、間違いなく、キリストを信じる私たちに注がれています。私たちは祈りを通じて、それが仮に勝手な自己本位な願いであっても祈りを持って神と交わって行く時、自然に神の御心へと心が開かれていくのです。

さてもう一度主イエスの祈りに戻ります。そもそもここで主イエスがおっしゃる御心とは何でしょうか?

 これは救いの成就ということです。ここで主イエスがおっしゃっている御心とは旧約聖書の時代から約束されていた人間の救いということです。罪びとである人間の救いです。その救いがなされなければならない、そのことにおいて、父なる神と子なる神主イエスの思いが一つであった、そのことがこの祈りによってはっきりと確認されました。

 御子であるキリストはこの祈りをもって、十字架へと立ちあがられたのです。戦いへと立ちあがられたのです。最も恐ろしい死へと立ち上がられたのです。

<心が燃える時>

 一方、この場面で弟子達は眠りこけておりました。主イエスが血のように汗を滴らせて祈っておられるのに弟子達は起きていることができなかったのです。その弟子達に、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」と主イエスはおっしゃいます。「心は燃えても、肉体は弱い。」そうおっしゃいます。

 「心は燃えても、肉体は弱い」という言葉は慰めのある言葉です。私たちはこの言葉を「やる気はあるんだけど、どうしても肉体が疲れてしまってやれないんだ」という言い訳のように受け取ります。心は燃えている、でもままならない、やりたくてもやれない、そのことへの配慮の言葉であるととります。

 しかしそれは少し違います。先にお話ししました竹森牧師はこれは主イエスの憐れみの言葉なんだとおっしゃいます。つまり心は燃えているというのは弟子達への愛の言葉であって、ほんとうはまだ弟子達の心は燃えてはいなかったんだということなのです。主イエスの救いの戦いの意味がまだ弟子達には分かっていなかった、だから燃えようにも燃えることはできなかった。一方で、主イエスに万が一のことがあれば一緒に死のうという覚悟は弟子達にはありました。人間として精一杯頑張るという意味での燃えた心は弟子達には十分にあったのです。主イエスはその心をご存知でした。しかし、人間が人間の力や意思で燃えても、そこには限界があります。人間は自分の力で燃え続けることはできません。自分の力で燃えようとするとき、この弟子たちのように眠たくなってしまうのです。

 ところでルカによる福音書の24章の13節からエマオへの道の途上で復活なさった主イエスと出会った弟子達の物語が書かれています。弟子達は復活なさった主イエスと出会いながら不思議なことに相手がどなたか分からないのです。しかし道道、主イエスに聖書を説いていただき宿に入ります。食事の時、主イエスがパンを裂かれた瞬間、相手が主イエスであることに弟子達は気づきます。その弟子達がそれまで主イエスとあるいたエマオまでの道のりを思い出して言います。「道で主イエスが話しておられるとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」ほんとうに心が燃やされるというのは、このエマオへの道で復活の主イエスと出会った弟子達の心のような状態なのです。その燃えている状態は、ごうごうと、あるいはめらめらと激しく炎が上がっているような燃え方ではなく、ともし火のような、しかし、たしかにあたたかい火が燃えているような状態なのです。その燃えている時、燃えているということに気がつかないようなしずかな燃え方なのです。

 ゲッセマネで眠りこけていた弟子達も、やがて、復活の主イエスと出会い、本当に燃える心を与えられました。静かに燃える心を与えられました。しかし、今日の場面では、その眠りこけていた弟子達に主イエスはおしゃるのです。「立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」主イエスは救い主として、人間の誰もが戦うことのできない戦いに赴かれます。主イエスお一人の戦いです。しかしなお主イエスはおっしゃるのです。「立て、行こう」と。ご自身一人で向かわれるわけではありません。そもそも主イエスは弟子達が眠りこけてしまうことはご存じだったでしょう。それでもなおゲッセマネへ弟子達を伴われました。そんな弟子達に共に祈ってほしかったからです。しかし弟子たちは眠ってしまいました。しかしなおその情けない弟子たちに主イエスはおっしゃいます。「立て、行こう」一緒に行こうとおっしゃるのです。

 わたしたちも眠りこける弱い者です。復活の主イエスと出会いながらおりおりに心の火がかき消えそうになる者です。しかしなお、主イエスはおっしゃいます。立て、行こう。主イエスは2000年前、おひとりで罪人の死に立ち向かわれました。人間にはできない救い主の戦いを戦われました。私たちの罪の重さゆえの壮絶な戦いを戦い勝利されました。そのことによって救われたわたしたちもまた立ちあがります。眠りこけていた心にほんとうの燃える心を静かに与えられました。キリストの十字架の死を、いま、わたしたちもまた身にまといながら、それぞれの十字架を担いながら、それぞれの戦いへと、主イエスと共に立って歩んでいきます。私たちの日々にたしかに戦いがあります。困難があります。しかしなお私たちには消えることのない燃える炎が主イエスによって与えられています。ですから立って、行きます。


2017年2月5日主日礼拝説教 マタイによる福音書26章31~35節

2017-02-05 17:00:46 | マタイによる福音書

説教「恵みとしての試練」

<先にガリラヤへ>

 先週共にお読みしました最後の晩餐の後、主イエスはこうおっしゃいます。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」。

「つまずく」という言葉は今日においては、教会用語的に使われることが多い言葉です。牧師の言葉につまずいて教会を離れてしまった、とか、教会の人間関係でつまずいて教会に行くのがいやになってしまった、そういうように使われます。聖書の原語では、つまずくとは、端的に言って「信仰から離れる」という意味です。

 弟子たちがつまずくこと、つまり信仰から離反することを主イエスは知っておられました。そしてそれが、神のご計画の中で、すでに決められていることを、ゼカリア書13章7節を引用して語られました。「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう。」

 主イエスが逮捕され、十字架刑におかかりになるとき、主イエスに養われていた羊の群れである弟子たちは散ってしまうのです。

 今日においても、最初に申しましたように、あの牧師につまずいて、とか、あの人につまずかされて、ということは良く言うことです。つまずいたり、つまずかせたり、それはたしかに悲しく残念なことです。一方で、つまずくとかつまずかせられるということをあまりに意識すると、だんだんと何も言えなくなるところもあります。こういうことをいうとあの人はつまずいてしまうんではないか?先回りしていろいろ考えて、結局、何も言えなくなってしまう、そういうこともあります。

 聖書を読みますと、主イエスに対しても人々はつまずいたのです。今日の聖書箇所では他ならぬ弟子たちがつまずくと預言され、じっさい、そうなります。他の聖書箇所でも、多くの人々が主イエスにつまずきました。たとえばマタイによる福音書13章57節には主イエスの故郷であるナザレで多くの人が主イエスにつまずいたことが記されています。

 ところで、一年ほど前にお話したことがあるお話です。私たちの大阪東教会の元長老-若くして長老になられた方でしたが、その方がその原因が何であったのかは今となってはわかりませんが、かつて、つまずかれました。信仰から完全に離れられました。洗礼を受けたことは自分にとって生涯の悔いだとまでご家族におっしゃっていたそうです。奥さんも娘さんもクリスチャンでした。ですから教会に戻る機会はいくらでもありました。しかし、頑なに信仰を拒否されていました。その方が、最晩年、信仰を取り戻されました。実に50年ぶりのことです。わが生涯において洗礼を受けたことが最大の悔いとまでおっしゃっていた方が、80歳を過ぎて生死の境をさまよう体験をされ、そののち、信仰を取り戻されました。その体験の詳細は分りません。しかしそれは、単に自分の死が現実的に迫ってきて、なんとなく恐くなって、神様に頼りたくなったというようなことではなかったでしょう。明確に神の救いと恵みを、聖霊によって知らされた、神の招きがあったということでしょう。羊飼いの元から迷い出た羊をどこまでもどこまでも探しつづける羊飼いである神のなせる業であったと思います。

 主イエスの弟子たちもつまずきました。しかし、主イエスはこうおっしゃっています。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」

 あなたがたより先に、ということは、あとから弟子たちもガリラヤにやってくるということです。つまずいた弟子たちがふたたび主イエスのもとに戻ってくるということです。弟子たちの新しい歩みに先立ってすでに主イエスが先にガリラヤにおられる、つまり備えていてくださる、ということです。

 さきほどの元長老だけではありません。つまずく、信仰から離れてしまう、それは本来わたしたちひとりひとりの切実な問題としてあります。しかしなお、主イエスは先にガリラヤに行って、つまずいた者をむかえてくださいます。

 

<死ではなく命へ>

 そうおっしゃる主イエスに対して、ペトロはこう言います。「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。」こういったペトロは結局、主イエスのおっしゃったとおりつまずくのですが、けっしてこの時点で心にもないことを言ったわけではないでしょう。このときのペトロの言葉には嘘偽りはなかったでしょう。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう。」この主イエスの言葉はとても悲しい言葉です。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」なおもペトロは言います。実際、彼は、鶏が鳴く前に三度、自分は主イエスなど知らないというのです。だからといって、ペトロが愚かな言葉を言っているとは言えません。むしろこれは人間に言える精一杯の誠意ある言葉です。他の福音書ではエルサレムに向かう前にトマスという弟子が「一緒に死のうではないか」と言っています。弟子たちは皆心からそう思っていたのです。すべてを捨てて主イエスについてきた。多くの人々がつまずいても自分たちはつまずかなかった。主イエスがもしお亡くなりになることがあったら我々も死のう、本気でそう考えていたでしょう。しかし、現実に弟子たちはつまずきました。その弟子たちの弱さやいくじのなさを主イエスはお責めにはなりません。ただ、「わたしはあなたがたより先にガリラヤへ行く。」そうおっしゃいます。

 そもそも弟子たちが勇敢で、最後の最後まで主イエスを守るため戦って討ち死にすることを主イエスは願っておられません。人間の歴史においては、そのような勇敢な悲劇のヒーローやヒロインは語り継がれ、称賛されます。しかし、主イエスは、人間に称賛されるような自己犠牲的な最期であったとしても、そのような死で終わる物語を望んではおられません。キリストは命を与えに来られたお方です。御一緒に死なねばならなくなっても、とペトロは言いました。しかし、違うのです、先にガリラヤに向かわれる方は、一緒に死ぬのではなく、一緒に、新しく生きようと招いてくださる方です。私たちの信仰は華々しいかっこいい劇的な死ではなく、とこしえの命へ向かうものなのです。

 弟子たちはつまずいてよいのです。つまずいて、しかしなお生き延びれば良いのです。そしてガリラヤで復活の主イエスと出会い、新しくされるのです。命へと向かうのです。イスカリオテのユダは主イエスにつまずき、裏切り、自殺しました。ある意味、自分で自分の罪の責任を取って死んだのです。裏切りは称賛されることではありませんが、命をもって償った、そのことにおいて、人間的には理解できる態度です。

 一方で、他の弟子は、主イエスを捨てたその責任を自分たちではとっていません。人間的な考え方をすると、弟子たちは女々しくて、情けない存在です。でも、この世界で、本当に責任を取ってくださるのは神なのです。神ご自身が十字架にかかり、華々しい劇的な死ではなく、とてもみじめな形で死んでくださいました。キリストは悲劇のヒーローとして死んだのではありません。人々からさげずまれ、罵られて死なれました。死を、つまり人間の罪の裁きのしての死を、ご自身で引き受けてくださいました。死を引き受け、そのかわり、新しい命へと人間を導いてくださいました。

<最初の教会>

 今日は大阪東教会の創立135周年の記念日です。この教会に長く集っておられる方はご存じでしょう。この教会は、アメリカのカンバーランド長老教会から派遣されたA.D.ヘール宣教師の宣教によって立てられました。ヘール宣教師、ヘールご兄弟で宣教されていたわけですが、ヘール兄弟は、大阪のみならず、この関西地区全体、和歌山などにも宣教されました。教会だけでなく、大阪女学院などの教育施設も立てられました。ちなみに2月19日の牧師就任式で司式いただく清藤牧師が仕えておられる和歌山教会もヘール宣教師の宣教によってこの大阪東教会とほぼ同時期に創立された教会です。ヘール宣教師兄弟の宣教はたいへん広範囲にわたっています。もちろんいまのように交通の便利な時代ではありません。当時の先進国アメリカからやってきたアメリカ人の宣教師はわらじをはいて、大阪や和歌山を歩き廻り宣教をされたと記録に残っています。住宅の環境も今とは違います。古い日本家屋で、たくさんの虫が出て困って蚊帳をつって寝た、というような記録も残っています。全く未知の環境で、慣れない文化の中でずいぶんと苦労されたことだと思います。

 ヘール兄弟ののちも、100周年の記念誌などを読みますと、それぞれの時代に教会を支えられた人々のご苦労が良くわかります。その長い歴史の中で、大阪東教会には明るい時代も暗い時代もあったことがわかります。100年から後のその時代についてはここにおられる皆様の方が私より良くご存知かと思います。良くご存じの、多くの苦労があったかと思います。ご苦労なさった方々の中には、すでにこの場におられない方もおられます。

5世紀の神学者アウグスティヌスは「すべての地上の教会にはしみもしわもある」そう語っていました。アウグスティヌスは今から1500年も前の人ですから、その当時からそれぞれの教会は問題を孕んでいたということでしょう。教会が傾いたり、もめたり、分裂したり、そういうことは多くあったのでしょう。でも別にこれは驚くことでもありません。

 なぜなら、今日の聖書箇所について、ある方はこうおっしゃっています。「これは最初の教会が崩壊した場面だ」と。主イエスのもとに立った、最初の教会の教会員が全員つまずいて、その最初の教会が崩れ去ったのだとおっしゃるのです。主イエスがお建てになった最初の教会が崩壊するのですから、そののちに人間が立てた教会が様々な問題で揺れ動くのは、ある意味、当然のことです。

 しかし、このいったんは崩れ去ったかに見えたこの教会は、ふたたび立ち上がるのです。主イエスがガリラヤに先にいって、既に備えておられたからです。弟子たちが反省して奮起して教会を再建したわけではありません。もちろん、ペンテコステののち、弟子たちは奮起して宣教に励みました。しかし、その働きは、先にガリラヤに向かわれた主イエスの備えのうちにありました。

<さあガリラヤに行こう>

 教会は、しみもしわもあり、時に崩れ落ちそうになる時もあります。しかしなお、その教会を支えてくださる方があります。先にガリラヤに向かわれる方が支えられるのです。この大阪東教会もそうでした。これからもそうです。

 そして、本当の勇気は、裏切らない人間になることではありません。逃げない人間になることではありません。自分の弱さも欠点もすべて抱えて、ガリラヤへ、キリストの元へいって、弱さや欠点を差し出すこと、それが勇気です。そして教会は、悲壮な覚悟をして死ぬまで頑張って守るものではありません。人間の弱さも欠点もすべて引き受けてくださる方が守ってくださるのです。教会はキリストの体であると言います。教会が傷つくとき、もっとも痛みを覚えられるのはどなたでしょうか。その体の主であるキリストです。キリストはご自身の体を痛めながら、しかしなお、そこにつながる者へ命への道をさし示されます。

 わたしたちは悲壮な覚悟をして死ぬまで頑張るのではありません。すべてのことを担ってくださる神に信頼して神から新しいとこしえの命をいただいて歩みます。教会もまたキリストの命をいただき、希望に向かって歩んでいきます。

 


2017年1月29日主日礼拝説教 マタイによる福音書26章17~30節

2017-02-05 16:47:19 | マタイによる福音書

説教「最後の晩餐」

<裏切り者はだれか>

 今の若い人はご存じないと思いますが、昔、「刑事コロンボ」という人気テレビドラマがありました。ピーターフォークという俳優が演じる味わいの深い、しかしちょっととぼけたコロンボ刑事が事件を解決していくという刑事ドラマでした。通常の刑事もののドラマやサスペンスドラマでは、事件が起こって、その犯人が分っていない状態から、だんだんと犯人が絞られていく、あるいはどんでん返しのように突然犯人が分るというストーリーが多いですが、この「刑事コロンボ」は最初から視聴者には犯人はわかっている流れになっていました。刑事コロンボも早い時期に犯人の目星をつけていて、その犯人を巧みに追い詰めていくドラマでした。刑事コロンボと、たいていは社会的に高い地位にある犯人とのスリリングなやり取りを楽しむストーリーとなっていました。

さて、私たちは今日、主イエスと弟子たちの最後の食事の場面を読んでいます。「最後の晩餐」としてたいへん有名な箇所です。その席上で主イエスはあろうことか、「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」とおっしゃいます。いま聖書を読んでいる私たちは、その裏切り者がイスカリオテのユダであることを、その前の聖書の場面で、すでに知っています。主イエスもご存じです。しかし、主イエスは刑事コロンボが犯人を追いつめていくようには、ユダを追いつめることはなさいません。さらにいえば、裏切り者は、ユダであるのに、他の弟子たちの反応も不可思議です。通常のサスペンス物語とは全く違う展開がこの食事の場面にはあります。そんな食事の場面から御言葉を共に聞いていきたいと思います。

<重苦しい食事>

最後の晩餐は先生と弟子たちの食事です。それも過越しの祭りの食事、特別な食事です。以前、大阪クリスチャンセンターで過越し祭の食事を食べる会というものがあって、それに出席したことがあります。ちゃんとイスラエル人の教師から食事のメニュー一つ一つの解説をうけながら過ぎ越しの食事を体験する会でした。過越し祭自体が、前にも説明しましたように、出エジプトの出来事を記念したお祭りです。奴隷であったイスラエルの民がエジプトを脱出するその出来事を思い起こす祭りです。前にも申しましたように神の災いが過ぎ越すように小羊の血を戸口に塗り、小羊を食べた出エジプトの出来事を記念し、過越しの祭りでは小羊を食べます。もっとも現代の過越し祭は紀元60年代のエルサレム神殿の崩壊以降、動物の犠牲を捧げられなくなったので小羊は食べないそうです。その過越し祭の食事体験の日も子羊の骨だけが置かれていました。また出エジプトのときは、いそいでエジプトを脱出しないといけないために、ゆっくり発酵させたパンを食べる時間がなかったので、醗酵させていない種無しパンを食べたことを覚えて過ぎ越しの祭りでも種無しパンをたべます。これはパンというより硬めのワッフルみたいなものです。このパンの由来から過越し祭を除酵祭ともいいます。過越しの食事ではそれ以外のメニュー一つ一つにも意味がありました。たとえば、イスラエルの民を解放しないかたくななファラオの率いるエジプトに対して神がくだされた10の災いを表す10滴のワインを皿に落としたりしていただきます。主イエスもそのような過越し祭の食事を召し上がられたのでしょう。それは、かつてイスラエルが神によって解放されたことを感謝する喜ばしい祭りの食事です。しかし、主イエスと弟子たちの食事には最初から重苦しい雰囲気が満ちていました。主イエスご自身が、祭りの前に、祭りの間に捕えられ殺されると話されていました。ですから、この場で誰も口に出さずとも、ある種の緊迫感が漂っていたことでしょう。しかも、主イエスは食事の席上、先ほど申し上げたように、とんでもないことを口走られます。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

主イエスの逮捕、死刑ということですら、とてつもなく重苦しいことである上に、裏切り者がここにいるのだと知らされ、さらに弟子たちのなかに混乱が生じさせました。それも不思議なことですが、ユダ以外の弟子たちが「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めたと言うのです。通常のサスペンスドラマならば、もちろんそれは事件が明確に起こってから後のことですから、犯人でない人物は自分が犯人ではないことを基本的にはっきり知っているわけです。ですから刑事や探偵が「この中に犯人がいる!」といったとき、犯人以外の人物は自分が犯人とは思いません。それに対し、この晩餐の場面は、実際には事が起こる前ですから、だれもが裏切り者になる可能性はあるといえばいえないくもありません。でも、それであったとしても「まさかわたしのことでは?」と皆が言いだしたというのは異様なことです。それは「イエス様、まさか私を疑っておられるわけではないですよね?」という確認の意味だったのでしょうか?そうかもしれません。でもここではなにかが明確に崩れていっているのです。教師と弟子の間の信頼関係もそうですし、弟子自身の心の中の確信も壊れているのです。まさかわたしでは?誰もが主イエスを裏切る可能性がある、そのことを弟子たちは主イエスの言葉によって知らされたのです。弟子たちの心にすでに主イエスへのいくばくかの疑い、失望というものがあったのかもしれません、だから、ひょっとしたら自分は裏切るのかもしれない、そのような思いが浮かび上がってきたということでしょう。それまで意識していなかった弟子たちの心の中の思いが浮かび上がってきたといえるでしょう。実際、弟子たちは裏切るのです。この食事の後、逮捕された主イエスを捨てて逃げ去ってしまうのです。

これはとても重苦しく悲しい場面です。人間は通常であれば、好んでだれかを裏切ろうとは思いません。私はあの人を裏切ってやろうと最初から計画的に近づいていくわけではありません。計画的にやるのならそれは詐欺行為であり、裏切りではありません。でも結果的に裏切ってしまう、そんなことはあります。だいそれた裏切りでなくても、小さな裏切りを人間は重ねてしまいます。人間は、誰に対しても私はいっさい裏切ったことはありませんと言い切ることはできません。人間は皆、罪人だからです。私たちは人を裏切り、また自分自身をも裏切ります。その裏切りは、私たちの罪、つまり神への裏切りに起因します。人間のなす大きな裏切りも小さな裏切りも、その根本のところに神への裏切りがあります。

「主よ、まさかわたしのことでは?」わたしたちもまた、自分たちの心の中を主イエスの言葉によって照らされるとき、私たちの裏切りの心を明らかにされるのです。キリストを十字架へと引き渡す罪、神への反逆が私たちの心にあります。私たち自身がキリストを裏切り、十字架へと引き渡す罪を犯したのです。

<新しい契約>

しかし、この晩餐はそんな人間の愚かな悲しい罪をうかびあがらせて、やりきれない話だけで終わるものではありません。主イエスの心はすでに自分の十字架と復活ののちの弟子たちへと向けられていました。今日お読みする後半のところに、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』」これは、教会に長く来られている方はご存じでしょう、聖餐式の時、読まれる言葉です。来週、私たちは聖餐式にあずかりますが、キリストはご自身の死の前に、聖餐を制定してくださいました。「取って食べなさい」「これはわたしの体である」あなたたちは、私を裏切ることになる、私を捨てるだろう。そんなあなたたちのために私は自分を捧げよう、あなたたちは私を食べるのだ、どうか食べなさい、そう主イエスは語られています。ヨハネによる福音書には「わたしは命のパン」であるという主イエスの言葉が記されています。私たちはまさに命のパンとして主イエスを食べるのです。こういうとなにか猟奇的な印象を持たれるかもしれません。実際、当時も、またその後のキリスト教の歴史においてもそのようにとられたことはあります。しかし、命のパンは、御言葉ということでもあります。私たちは御言葉を食べるのです。命の糧として食べるのです。しかし、その命の糧は主イエスご自身の肉体が現実にささげられたということと切り離して考えることはできません。ただの知識としての言葉ではありません、キリストの体である言葉です。切り裂かれた体である言葉です。

「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」

さきほど、過ぎ越しの祭りは出エジプトにおいてイスラエルが解放されることを祝うものだと申し上げました。そのために神の災いがイスラエルの家々を過ぎ越していくために小羊の血が必要でした。小羊の血が塗られている戸のある家を災いは通り過ぎて行ったのです。しかし、いまここで主イエスが「私の血を記念して杯から飲みなさい」とおっしゃっています。これは新しい契約の血である、と。それはまさに主イエスが新しい過越しの祭りを制定されているといえることです。あなたたちが罪から解放されるように、罪の縄目から脱出できるように、私はこれから十字架にかかる、それは新しい出エジプトである、あなたたちの罪による災いは通り過ぎていく。それは私の血によって、過越していくのだ。そのことを弟子たちに知らせるために主イエスは弟子たちと過ぎ越しの食事をなさり、聖餐の制定をしてくださったのです。

<準備されていた食事>

ところで、聖書箇所を少し遡ってお話ししますが、19節に「弟子たちは、イエスに命じられるとおりにして、過ぎ越しの食事を準備した。」とあります。そのまえには主イエスが「都のあの人のところに行ってこう言いなさい」とおっしゃっています。つまりここでわかるのはこの過越しの食事の準備は、たしかに最終的には弟子たちがしたのですが、その根本となる準備、段取りは主イエスご自身が備えておられたということです。マルコによる福音書では弟子たちが主イエスに指定されたところに行ってみると、すでに食事が整えられていたと記されています。マタイによる福音書では短く記されているだけで、詳細はわかりませんが、この食事を備えられたのは主イエスご自身であるということは同様です。主イエスは、食事の準備をされていました。備えておられました。『わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする』と言いなさいと主イエスは命じておられます。「わたしの時が近づいた」そう主イエスはおっしゃっています。そうです、まさにこの時こそが主イエスの時なのです。十字架の時なのです。

ユダヤでは一日は日没と共に始まります。過越しの食事は主イエスの十字架の前日と私たちは考えますが、聖書の感覚で言うならば、すでにこれは、十字架の日の始まりの出来事です。主イエスの最後の晩餐は、十字架の日に行われました。そしてそれこそが主イエスの時だったのです。イエス様はクリスマスに降誕されました、そのときから、ただこの時のためにこの日のために歩んでこられました。弟子たちと過ぎ越しの食事をする、まさにこのときのために、あたらしい出エジプトを宣言する、このときのために主イエスの30年余りの地上での日々があったのです。そのためにすべてのことを備えておられた。この日の食事も備えておられた。ある方は、30年ではなく、旧約聖書の時代から、神はこの時を備えていたともおっしゃっています。

主イエスの十字架はたしかに人間の裏切りによって実現しました。ファリサイ人、律法学者たちの妬み憎しみによって、民衆の愚かな熱狂によって起こりました。しかし、それはすべて神のご計画によるものでした。神は人間を救うために、ただこの日へ向けて、すべてのことを備えておられたのです。

<共に食事をする>

もう一度、聖餐の制定の場面を読みます。主イエスは杯から飲みなさいとおっしゃったあと、29節でこう言われています。「言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」これは、この食事が、主イエスにとって十字架におかかりになる前の最後の食事であることを示されるとともに、<父の国であなたがたと共に新たに飲む日が来る>ことをおっしゃっています。ですから、この食事は最後であるが、実は最後ではない、そうおっしゃっています。「最後の晩餐」と私たちは呼んでいますが、これは新しい過越しの食事であり、さらにいえば、父の国での食事のさきがけ、始まりへ向かう食事であるということです。父の国で、共に飲むのだと主イエスはおっしゃっています。弟子たちは、そして私たちは「共に新たに」主イエスといっしょに飲むのです。父なる神の国で。旧約聖書にも新約聖書にも、天の国、神の国での、喜びの宴の場面が多く記されています。終わりの日に、私たちは神と共に、喜びの食事をするのです。

かつてローマの迫害時代、多くのキリスト教徒が殉教しました。その殉教者の棺の上で聖餐式が持たれたと聞いたことがあります。ですから今日でも、当時の棺の形をした聖餐卓があると聞きます。殉教者の棺の上での聖餐式というのは重苦しい悲しみの儀式のようにも思えますが、そうではありません。やがて天の国で「共に」食事をする、その先駆け、喜びの確認のための聖餐でした。

次週、大阪東教会は創立135周年を迎えます。教会の教会員原簿を見ますと、初期の教会員の生年月日は明治ではありません、幕末になっています。文久とか慶応なのです。原簿に名前のある多くの方がすでにこの地上での生涯を終えられています。しかしまた私たちはその先人たちと共に出会います。そして共に食事をするのです。喜びの食事をします。いま地上には悲しみがあり苦しみがあります。しかしその涙がぬぐわれ、共に喜びの食事をする日がきます。最後の晩餐、それはまるでこの世の苦しみ、罪を象徴するかのような弟子たちにとって重苦しい食事でした。しかしその食事は喜びへのさきがけでした。すでに主はその喜びを備えておられました。わたしたちもまた、次週、主の備えてくださった聖餐にあずかります。やがて出会う多くの先人たちを覚えながらよろこびのさきがけの聖餐にあずかります。新しい出エジプトを覚えます。共にあずかります。さらのその共なる食事に多くの人が増し加えられることを願いつつ、喜びにあずかります。