どれが ろ過前なのか、複雑な機械室の迷路のような装置を前にすると、悩んでわからなくなります。以前は教頭先生が手伝って下さっていましたが、何代も、教頭先生は短期間で変わられて、今は体育主任の先生が担当。頼りにしております。ところが、養護の先生もその体育主任の先生も北小に赴任して結構長いので、来年は転勤になっているかもしれない~~~との話でした。え~~~!どうしましょう?「来年は機械室のことは誰もわからないかも・・・?」で、「間違わないように、ブログの写真に撮っておきましょう。」ということでパチリ!写真の右側の、ビニールテープが巻かれた栓が取水栓です。(と、来年の私に言っておきます。)考えてみると、北小の生徒たちは6年間で卒業し、公務員である先生も長くても7年くらいでは変わられています。校医と歯科校医の先生たちと、学薬の私だけが変わらないのだな~と、感慨を深くしました。鳥栖小から鳥栖北小に、学校薬剤師の担当校が変わって8年目の私です。しっかりしなくっちゃ!
何十年ぶりかの、今日は皆既日食。朝からお天気は今ひとつだし、ここは部分日食しか見られないし、薬局はきっとバタバタしているだろうから、見るのは無理!とあきらめていたのですが、10時40分過ぎに曇り空だったため、雲の向こうに三日月のように欠けた太陽を見ることができました。感激~。真っ暗にはならなくても、半分くらい暗くなって幻想的な数分間を体験しました。さて、こんな不思議な日には、不思議な話をおひとつ。今、 私の白衣の襟元には、何本かのネックレスがのぞいています。主に水晶を中心につくってもらった大きさも長さもいろいろの石の首飾りです。最初の1本をつくってもらった時の話は、二年前のブログに書いていると思いますが、用途に合わせて(?)今は首に4本、かかっています。おっしゃれ~♪かわいい♪と自分では思っているのですが、知らない方は念珠と思われるようです。調剤をしてお薬の飲み方を説明していたら、患者さんからネックレスのことをいろいろ尋ねられました。若い男性の方で、とてもお薬にデリケートな体質の方。私の石は、私に合わせて、必要な石を組み合わせて、ふたりの作者がつくってくれています。ひとりはダイエット・エンドのお客様。もうひとりは、元マインのアドバイザー。ふたりとも、私の個性を配慮して、デザインしてくれました。その患者さんは、腕に何本も念珠を巻いていて、その念珠の石と私のネックレスの石に同じものがあって、盛り上がりました。最後に、「僕は真言宗なので、首に念珠は付けれないんですよ。」と残念そうに言われました。「いえ、これは単にネックレスです。」そう言ってみたものの、確かに単なるネックレスではなさそうです。まず、私の体調などで危ないことがあると、よく身代わりに切れます。また心境が大きく変わっても切れます。麦飯石と出会ってから、石の持つ不思議な力を本当に実感するようになって、地球がつくった鉱物資源のこれらの石を大切に感じるようになりました。まさしくパワーストーンに守られています。その患者さんとの話の様子を見ながら、森山さんたちは、また体質に合わない薬の相談だと思っていたそうです。「な~~んだ。石の話ですか・・・。」そういいながら、森山さんと黒田さんは携帯ストラップに、楠原さんはピアスに、岡本さんはブレスレットと指輪にパワーストーンが光っています。さらに言えば、み~~んな麦飯石に守られているのでした。石は縁のもの!
今日は、長崎で開催されたJPS九州ゼミナールに初めて参加して来ました。ちょっぴり緊張していましたが、九州全域から集まって来た、漢方の志を同じくする先輩や仲間たちと一緒に勉強するという夢を果たせてとっても満足! 主人も付きあって長崎まで来てくれて、私がセミナーの間は、港に停泊している海上自衛隊の護衛艦を見学して乗ってきたとか。 セミナー終了後は、長崎観光。夕暮れのグラバー邸は、とても蒸し暑かったのですが、風が吹くと幾分心地よく、幕末の持つ特有のエネルギーのようなものを感じました。時代や風土のパワーを感じたのは札幌以来です。ふたつ見付けると良いことがあるという、ハートの敷石もちゃんと見つかりました。そして有名な稲佐山の夜景。残念なことに霧がかかって、時々、霧の切れ間から素晴らしい宝石を散りばめたような(ちょっと陳腐?)眺めが見える程度でした。とってもムードの良い展望台2階にある『ひかりのレストラン』で食事をしながら、霧の晴れ間の一瞬の輝きを鑑賞しました。そのレストラン、窓際にカップル用の席が用意され、ワインを飲みながらデートを楽しんでいる若い恋人たちに混じって、私はやたらにバイキングの晩御飯をかきこんでしまいました。(バイキング終了まで時間があまりなかったのです。)帰宅は深夜になりましたが、明日は海の日。薬局の開店は少し遅いのでリラックス♪