主人に買ってもらった数少ないものの中に黒の、軽い感じのマフラーがある。
ロサンゼルスの教会の近くでフリーマーケット的にしろうとの人が広場で売っていたものを買ってくれた。そのとき私はアメリカに渡ってから4,5ヶ月くらいで、うつみたいな状態だったと思う。
私を元気づけようと思ってくれたのであろう。もっと大きいもの(セーターのようなもの)を買っていいよといったけど、私はそのマフラーが気に入った。
黒地に少し青系赤系が混じったループ糸で編まれたもので、きっと私のそのときの気分にぴったりだったんだろう。
3、4年前主人が一冬使って、汚れたからと言って「捨てようか?」といったが、
「だめ!思い出の品だから」と洗ってまたしまう。色があわせにくいのであまり使わないのだが、やはりその時のことを思い出させてくれる大切なものなのである。
ロサンゼルスでは5年足らずの期間だったが2回引越しをした。
始めの家は、ロサンゼルスのダウンタウンより東、車で20分くらいフリーウェイ
を走らせたところにあった。(アメリカは高速道路は料金を取らない。)
サンマリノというのは高級住宅地だが私たちの家(会社が借りてくれたもの)は
そのサンマリノの隣のサンゲーブルという中の上くらいの地域だったと思う。
家は一階立ての家だった。アメリカの家は耐久性があるらしく50年くらい経っている家ではないか。外見はきれいだが、なかの水まわりなど古く、しょっちゅう修繕が必要だった。
クーリッジという小学校の近くにあり、あの頃はアメリカ駐在の人も多く、隣も
日本の商社の人だった。優秀で美人のおくさんがいた。
車で5分もかからないところに山シーフードと言う魚屋さんがあり、マルちゃんの焼きそばだの豆腐だの納豆だの紀文の豆乳など、だいたいのものはそろった。
家は100坪くらいの敷地に建ち、裏庭にガレージがあり、杏の木、レモンの木などがあり、電線を伝ってりすが来ることもある、環境のいいところだった。
ロサンゼルスはいつも天気がよくからりとしていて、一年中Tシャツと短いスカート、キュロットなどで過ごせるところだ。1月には
雨が降ることもあったと思うが。
ロサンゼルスの教会の近くでフリーマーケット的にしろうとの人が広場で売っていたものを買ってくれた。そのとき私はアメリカに渡ってから4,5ヶ月くらいで、うつみたいな状態だったと思う。
私を元気づけようと思ってくれたのであろう。もっと大きいもの(セーターのようなもの)を買っていいよといったけど、私はそのマフラーが気に入った。
黒地に少し青系赤系が混じったループ糸で編まれたもので、きっと私のそのときの気分にぴったりだったんだろう。
3、4年前主人が一冬使って、汚れたからと言って「捨てようか?」といったが、
「だめ!思い出の品だから」と洗ってまたしまう。色があわせにくいのであまり使わないのだが、やはりその時のことを思い出させてくれる大切なものなのである。
ロサンゼルスでは5年足らずの期間だったが2回引越しをした。
始めの家は、ロサンゼルスのダウンタウンより東、車で20分くらいフリーウェイ
を走らせたところにあった。(アメリカは高速道路は料金を取らない。)
サンマリノというのは高級住宅地だが私たちの家(会社が借りてくれたもの)は
そのサンマリノの隣のサンゲーブルという中の上くらいの地域だったと思う。
家は一階立ての家だった。アメリカの家は耐久性があるらしく50年くらい経っている家ではないか。外見はきれいだが、なかの水まわりなど古く、しょっちゅう修繕が必要だった。
クーリッジという小学校の近くにあり、あの頃はアメリカ駐在の人も多く、隣も
日本の商社の人だった。優秀で美人のおくさんがいた。
車で5分もかからないところに山シーフードと言う魚屋さんがあり、マルちゃんの焼きそばだの豆腐だの納豆だの紀文の豆乳など、だいたいのものはそろった。
家は100坪くらいの敷地に建ち、裏庭にガレージがあり、杏の木、レモンの木などがあり、電線を伝ってりすが来ることもある、環境のいいところだった。
ロサンゼルスはいつも天気がよくからりとしていて、一年中Tシャツと短いスカート、キュロットなどで過ごせるところだ。1月には
雨が降ることもあったと思うが。