4月14日は母の四十九日だった。
雨の日の冷たい納骨をすませて、料理屋の2階で食事をしながら、60歳を超えたいとこ男性の二人と姉と4人でしゃべっていた。
いとこ二人が、母の実家が山梨のお醤油さんであったので、そのお醤油が一升瓶で六本入りの木枠の箱に入っていておいしかったことを話題にした。
うどんのつゆに使うと薄くならずにおいしかったなんて言う。
もう母の実家はお醤油屋さんを止めてしまったので、そのお醤油にはお目にかかれない。
10年以上前までは、母の住む家にはいつもその醤油が常備してあったので、母はそれをお使い物にしたり、結婚した私にもよくくれた。
でも私は一度マンションの玄関のところで、もらったばかりの一升瓶を割ってしまったことがあったので、
それからは(うちと母の家が離れていることもあり)、母がくれると言っても「いいよ」とか、言うようになっていたと思う。
✿
3月3日。
その日は母を訪ねた日で、もう母は食欲がなくなって来ていたので、のど越しのよいものを買っていった。
白いクリーミーヨーグルトを母に出すと、母は私の差し出すスプーンを口に入れ、おいしいと食べ始めた。
でもその味が甘かったからだろうか、白い色でお豆腐を思い出したからか、
母が「醤油があるでしょ」と言い出した。
部屋の棚には小さな小瓶に入ったお醤油があった。
兄たちがお豆腐でも食べてもらったのだろう。
そのクリーミーヨーグルトにその醤油を少しかけた。
テレビで何かに醤油をかけるとウニの味とか何とか言っていたな~とか私は考えていた。
母は3口くらいそのヨーグルトを食べた。
ヨーグルトのカップ半分くらいの量、食べてくれた。
これが私が差し出したものでおいしいといってくれたものの最後となった。
母は食べながら「お醤油あるよね~」
「あるよ。お母さんのうち(実家)はお醤油屋さんだもんね~」
「お前も持って行きな」・・・と母は言ったと思う。
母は施設のこの部屋が、自分の家であるかのような、
自分の家に私が遊びに来たような気がしたのではないだろうか。
✿
母が死んだ日と納棺の日以外は涙も出ず、ここまで来たのに、
母と醤油の思い出が、私を泣かせることになるなんて思わなかった。
木枠の箱に入った、あの醤油の瓶を思い出すたびに、
私は母を失ったことを思い出すのであろうか。
雨の日の冷たい納骨をすませて、料理屋の2階で食事をしながら、60歳を超えたいとこ男性の二人と姉と4人でしゃべっていた。
いとこ二人が、母の実家が山梨のお醤油さんであったので、そのお醤油が一升瓶で六本入りの木枠の箱に入っていておいしかったことを話題にした。
うどんのつゆに使うと薄くならずにおいしかったなんて言う。
もう母の実家はお醤油屋さんを止めてしまったので、そのお醤油にはお目にかかれない。
10年以上前までは、母の住む家にはいつもその醤油が常備してあったので、母はそれをお使い物にしたり、結婚した私にもよくくれた。
でも私は一度マンションの玄関のところで、もらったばかりの一升瓶を割ってしまったことがあったので、
それからは(うちと母の家が離れていることもあり)、母がくれると言っても「いいよ」とか、言うようになっていたと思う。
✿
3月3日。
その日は母を訪ねた日で、もう母は食欲がなくなって来ていたので、のど越しのよいものを買っていった。
白いクリーミーヨーグルトを母に出すと、母は私の差し出すスプーンを口に入れ、おいしいと食べ始めた。
でもその味が甘かったからだろうか、白い色でお豆腐を思い出したからか、
母が「醤油があるでしょ」と言い出した。
部屋の棚には小さな小瓶に入ったお醤油があった。
兄たちがお豆腐でも食べてもらったのだろう。
そのクリーミーヨーグルトにその醤油を少しかけた。
テレビで何かに醤油をかけるとウニの味とか何とか言っていたな~とか私は考えていた。
母は3口くらいそのヨーグルトを食べた。
ヨーグルトのカップ半分くらいの量、食べてくれた。
これが私が差し出したものでおいしいといってくれたものの最後となった。
母は食べながら「お醤油あるよね~」
「あるよ。お母さんのうち(実家)はお醤油屋さんだもんね~」
「お前も持って行きな」・・・と母は言ったと思う。
母は施設のこの部屋が、自分の家であるかのような、
自分の家に私が遊びに来たような気がしたのではないだろうか。
✿
母が死んだ日と納棺の日以外は涙も出ず、ここまで来たのに、
母と醤油の思い出が、私を泣かせることになるなんて思わなかった。
木枠の箱に入った、あの醤油の瓶を思い出すたびに、
私は母を失ったことを思い出すのであろうか。
葬儀を済ませ、暫くは気を張って落ち込まない
ようにしていましたが、ドイツに帰ってからは
母を想い、突然涙が流れ出し、2年位は切ない
思いをしました。20年以上経った今でも、当時の
事をはっきりと覚えています。こういうのって
一生消えないでしょうね。
うちの母は92歳11カ月でなくなりましたから、わたしはずいぶん長い間甘えられたことになりますね。
母の40代の頃が懐かしいんです。私はときどきこっぴどく叱られていました(笑)