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元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

(SLS - 16) You are always on my mind.

2014-09-15 21:42:47 | ショートショート
茅ヶ崎の海岸通りの国道沿いにエルビスと言う名前の店がある。週末にはライブバンドも登場するが、平日は昔のレコードで常にエルビス・プレスリーの曲が流れる。平日は何故か妻に逃げられた男達が集まる。それも世間一般には、顔やスタイル、身長から判断すればかっこいいと思われる男達。でも皆、どこか寂しそうである。侘しさが漂う、おばさん達には母性本能をくすぐられるかもしれない。妻に逃げられ、子供達にも会えない、仕事は出来るし、会社での地位も高い、決して人生に失敗した訳ではないのに、何故か寂しい。

今日はカップルがやって来た。男が女にエルビスの曲が流れるとその曲の解説をしている。

「Are you lonesome tonight?、今夜は一人かい、寂しいならヨリを戻そうよなんて歌う姿は、男の身勝手さがプンプンしている。こんな独りよがりな男と別れた女は、楽しくやっているに違いない。それでも妄想の激しかった学生時代は、これでもカッコイと信じていたプレスリーが歌う身勝手で自信満々の男に、自分もなろうと努力していたんだ」

「Love me tender、今でもこの曲が究極のラブソングだと思う。プレスリーが歌うのがいい、彼自身は少しフラット気味で、レコーディング時には不満だったと言われているが、その部分も含めて最高傑作である。このフラット気味も曲を採用したレコーディングディレクターも最高だろう」

「好きにならずにいられない。英語のタイトルはCan't Help Falling In Love、これもいいバラードだ。これも究極のラブソングだと思うよ」

「この胸のときめきをって歌、英語のタイトルYou do not have to say you love me.よりずっと日本語のタイトルがいいと思う。いかにも君に心底ときめいているようでいい」

「そんなに、プレスリーが好きだった?」女が初めて口を開いた。

「You are always on my mind. この歌が一番好きかな?妻を大事にしなかったことを後悔することを切々と歌い上げる。妻と別れて始めてわかる家庭の大事さ。仕事よりも、もっともっと大事なものがあることを、離婚したプレスリー自身が身をもって思い知らさせてくれるんだ」

「今さら後悔しても遅いわ」

「確かに仕事ばっかりで、君を大事にしなかったことは認める。でももう一度やり直せないか?」

「今更何を言っても無駄だって事は、もうわかっているんでしょ。さようなら」女は、振り向きもせずに出て行った。

「マスター、その今流れているYou are always on my mind、もう止めてくれないかな」

外資系ITマネージャーの人生相談「社内向けプレゼンテーションの極意は?」

2014-09-15 17:03:57 | 人生相談
社内向けのプレゼンテーションは、一般向けのプレゼンテーションとは違う事をまず理解すべきです。一般向けのプレゼンテーションの極意はいろいろ本が出ているので、それらを参考にすればいいと思います。

社内向けプレゼンテーションには、まずシェアホルダーがいる事です。そしてシェアホルダーから予算の手当てと、人のアサインをしてもらい、コミットメントをもらう事です。だから素晴らしい感動的な心に残るプレゼンテーションは要りません。シェアホルダーも目標が与えられています。経営者には株主から、管理職には経営陣から、各スタッフには管理職から、それぞれ目標が与えられているでしょう。社内向けプレゼンテーションの極意は彼らの目標の達成に如何に貢献できるか?如何に聞いている人が参加しないといけないのか(部下のアサインも含めて)?この点に絞る事です。もしプレゼンテーションの最中で聞いている人が俺には関係無いと思ったら、もうアウト聞いてくれません。なので、誰に対してのプレゼンテーションなのかを意識しながら一つプレゼンテーションスライドを作る。そしてそのスライドは、プレゼンテーション対象者の中で一番偉い人の承認を貰う事です。例えば全ての部署に関わるプロジェクトであれば社長の承認。事業部のプロジェクトであれば、事業部長の承認。

ただし経営トップへのプレゼンテーションは、プレゼンテーションその物と言うより、その前の根回しが全てです。(外資系と言えども根回しが大事です)経営者の会議でまず細かい事を議論する事はありません。

社内プレゼンテーションの順番は、経営トップ、次に事業部長クラス、管理職、実際にやる人達と言う順番になるので、それを考慮しながらのスライド作りが大事です。具体的にはやる事とスケジュールを明確にして聞いている人の責任の所在を明らかにし、俺には関係無いと思わせない事です。

一般向けのプレゼンテーションの極意ではTEDの素晴らしいプレゼンテーションから学ぶ「TALK LIKE TED」がいいですね。


(SLS - 19) I left my heart in 高円寺 Ver 1.1

2014-09-15 12:45:41 | ショートショート
休みの日の朝、俺はのんびりと本を読みながらラジオを聴いていた。妻は買い物に行き、大学生の息子はまだ寝ている、高校生の娘は部活で学校に行く準備をしている。休みでも旅行に行くわけでもないし、特別な心躍る用事があるわけでもない、こんな退屈な何気無い瞬間にふと幸せを感じる事がある。ラジオから喜多篠忠作詞、吉田拓郎作曲で中村雅俊が歌う「いつか街で会ったなら」が流れてきた。「何気ない毎日が風のように過ぎて行く」と言う歌詞から始まるこの歌は、俺がまだ大学生の頃に流行った曲だ。その頃、俺は当時の地方から出てきた学生が誰でもそうであったように、四畳半の古ぼけた安アパートに住んでいた。ワンルームマンションがまだ無かった時代、もちろん部屋にお風呂はついていないし、トイレは共同、週に2、3回行く銭湯が楽しかった。アパートの場所は高円寺、そんな貧しい大学生活でも同じ大学に通う女子大生と恋をしていた。彼女は高円寺に不動産業を営む家族と住んでいた。朝、駅で待ち合わせをして彼女と大学に行き、大学でダラダラとみんなでおしゃべりして過ごし、夕方はバイトで、帰りはアパートの近くの屋台の焼き鳥屋で一杯200円の日本酒と1本50円の焼き鳥を6本食べて500円払って帰る。そんな何気ない毎日を過ごしていた。卒業が決まった彼女と留年が決まった俺。彼女は一流企業に就職した同級生を選んだ。俺はとても傷つき高円寺に住んでいられずに、逃げるように大学の近くの下宿屋に移り住んだ。
ふと高円寺に行ってみようと思った。

相変わらず人が多い高円寺、アパートやワンルームマンションが多いので、特に若者が多い。北口を出てすぐ左に曲がり線路沿いの商店街を阿佐ヶ谷方面に行く。大学の頃に通った道だ。彼女の父がやっていた小さな店舗の不動産屋はもうない。彼女は家族と店とは違う場所に住んでいた。もう少し歩くとその家に着く。木造の家はほとんどがコンクリートのビルか、マンションに変わっている。彼女の家は昔から鉄筋コンクリートなので、昔と変わらずに同じ場所にあった。表札に彼女の名前が書いてある。昔と名字も名前も変わっていない。同級生と結婚したとばかり思っていたが、まだ一人なのか?それとも離婚したのか?あの同級生が養子に入ったのか?でも彼の名前は表札にはない。いろいろな思いが交錯した。昔、高円寺を去る時に 「I left my heart in 高円寺」と口ずさんだのを覚えている。元歌は「霧のサンフランシスコ」とも「思い出のサンフランシスコ」とも言われている昔の歌。「ニューヨークやパリは華やかでも寂しい。僕の心は君の住むサンフランシスコに残して来た」と歌う歌と同じ気持ちだったからだ。中村雅俊が歌うように「別れた彼女といつか街で会ったなら、肩を叩いて微笑みあおう」と言う気持ちにはなれない。結婚が全てではないし、結婚したからと言って幸せになるとは限らないし、一人でも幸せな人はたくさんいる。でも、何故か?昔とても死ぬ程愛した彼女が、今も変わらない名前で住んでいるのは寂しい。今回も「 I left my heart in 高円寺」と口ずさみながら帰りの電車に乗った。