夏目漱石箸「私の個人主義」読了。
これは学習院大学で学生に向けての講演であり、漱石自身の言葉で簡潔に言うと、
一.自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性を尊重しなければならない。
二.自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務を心得なければならない。
三.自己の金力を示そうと願うならば、それに伴う責任を重んじなければならない。
(ここで個性の発展とは、自分の好きなこと、自分に出来ることをとことんやり抜き、これが自分の生きる道と思うことである。漱石自身、いろいろな教師をやったりと、なかなか自分の道を見つけられなかったと言っている。)
もし人格の無い者が、個性を発展しようとすると、他人を妨害する。権力を用いようとすれば、乱用に流れる。金力を使おうとすると、社会の腐敗をもたらす。
こう言う現代で言えば、当たり前の考え方も、大正3年11月25日の時点では、個人主義より国家主義の時代であり、珍しかったのかもしれない。
しかし学生相手の講演で、正直に自分は教師に向いてないとか、イギリス留学も行けと言われて行ったから無意味だったとか、今まで漱石のイメージとは違って面白い。普通の気難しい正義感の強い権力に対しての批判を恐れない学者っぽい文学者って感じで
これは学習院大学で学生に向けての講演であり、漱石自身の言葉で簡潔に言うと、
一.自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性を尊重しなければならない。
二.自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務を心得なければならない。
三.自己の金力を示そうと願うならば、それに伴う責任を重んじなければならない。
(ここで個性の発展とは、自分の好きなこと、自分に出来ることをとことんやり抜き、これが自分の生きる道と思うことである。漱石自身、いろいろな教師をやったりと、なかなか自分の道を見つけられなかったと言っている。)
もし人格の無い者が、個性を発展しようとすると、他人を妨害する。権力を用いようとすれば、乱用に流れる。金力を使おうとすると、社会の腐敗をもたらす。
こう言う現代で言えば、当たり前の考え方も、大正3年11月25日の時点では、個人主義より国家主義の時代であり、珍しかったのかもしれない。
しかし学生相手の講演で、正直に自分は教師に向いてないとか、イギリス留学も行けと言われて行ったから無意味だったとか、今まで漱石のイメージとは違って面白い。普通の気難しい正義感の強い権力に対しての批判を恐れない学者っぽい文学者って感じで