20代のころ、沢木耕太郎氏の「深夜特急」を読んだ。
沢木氏のような冒険心も独立心を持っていない私は、香港から始まりユーラシア大陸まで続く、行き当たりばったり(に、私には思えた)旅の物語を
こんな旅よくするなあ~とハラハラしながらも、ある種憧れのような気持ちで読んでいたことを思い出す。
本著は、その「深夜特急」の総まとめのような本です
私が大学生のころは、バックパッカー大全盛期
卒業旅行シーズンともなると、海外志向の強かったクラスメートの何人もが海外にバックパックを背負って散って行ったものです。
でも、彼らの旅のバイブルは、そろいもそろって「地球の歩き方」
いくら世界が広いといっても、アメリカのフロリダでばったり同級生と会ったりした話を聞いたもんです。
「旅の先輩」が地球の歩き方に投稿した情報や、宿のコメント、移動手段などをなぞって旅をしているんだから、ばったり会ってもおかしくないわね
かくいう私自身、女友達とバックパッカーを気取って出かけたヨーロッパの旅の途中、ウィーンのトラム(路面電車)で同級生と乗り合わせてびっくり。
移動手段もバイブルに沿ってるんだから、ありえるね。全然、冒険でもなんでもなかったんだね。
初めて、その手の海外旅行をした私は、おっかなびっくり。
その旅のほとんどは、留学経験があり英語が堪能な同級生にくっついて行ったようなもの
それでも、異国の地で、旅の予算とにらめっこしながら、その日の宿を探したり、晩ご飯のお店を探したり、と初めての体験に興奮していたっけ。
初めはおっかなびっくり、ドキドキの連続だったなあ。
イタリアで両替したイタリアリラが終盤には足りなくなって、晩ご飯がパンとチーズとオレンジだけだったり。
ブラッドオレンジがあまりに美味しくて、ひもじいディナーのはずがすごく楽しかったな~
旅の終盤、3週間目のころに行ったオーストリアのウィーンでは、ものすごく寒くって、観光どころではなかったのを覚えている。
ちょうど私の誕生日だったあの日、一緒に旅をしていたケイコが私をカフェに誘ってくれて。
一緒にウィーン名物「ザッハトルテ」を食べたんだ。
それで、「お誕生日おめでとう」ってお祝いをしてくれてご馳走してくれたのよね
きっと、もうオーストリアでの残金も少なくなってきていたのに、その分のお金を余計に取っておいてくれたんだなあ
あんなに美味しかったザッハトルテは、これまでもないし、これからもないだろうな
と、自分の卒業旅行を、ホワンホワンと思い出してみました
沢木氏は、「旅」とは自分が作るものだという。
入念にプランされたツアー旅行は、無駄も失敗もないかわりに、あとに残る余韻のようなものがないと、確かに思う。
行って失敗だったなー、とか偶然いったところが意外に素敵だったりすると、あとあとまでじわじわ覚えてるのが旅の記憶ってものなんだろう。
また、沢木氏は「旅は自分の力不足を教えてくれる」ともいう。
これには、ワタシ、激しく同意です。
それは、その土地の言葉だけではなく、歴史やその土地の人々について、その土地に行ったからこそ肌で感じる自分の知識の無さ。
きっと、日本の国にずっと居たならば、自分が知らないということを知らずに、また予期せぬことがおきる心配をせずとも、安穏と暮らして行けるだろう。
でも、知らない土地に行き、異文化に身をさらすことによって、自分が何者か、自分の力不足をいやでも知らされるのです。
これこそ、成長しようと思う原動力なんだなあ、とつくづく思います。
人生は旅のようなものだ、という。
きっと、私と夫がこの10年過ごした海外での生活も、2人でずっと旅していたようなものだ。
お互いを助け、お互いを必要とし、大げさかもしれないけれど、支え合って暮らして来たと思う。
今や、海外での暮らしにインターネットの情報はあるし、細々した情報には事欠かないけれども、
そういった些末な一片一片の情報に頼るのは、ほんの最初の時期だけ。
ある時点から、自分の足で歩き自分の目で確かめ、地元の人とコミュニケーションをし、トライ&エラーを繰り返しながら、
自分のその街での立ち位置を確立して行く。
もうすぐ2人の「海外旅行」も終わりです。
これからは、旅の第3章ってところでしょうか
まずは「深夜特急」全6巻を読んでから、本著を読まれたし
旅する力 -深夜特急ノート- (新潮文庫) 沢木耕太郎著
沢木氏のような冒険心も独立心を持っていない私は、香港から始まりユーラシア大陸まで続く、行き当たりばったり(に、私には思えた)旅の物語を
こんな旅よくするなあ~とハラハラしながらも、ある種憧れのような気持ちで読んでいたことを思い出す。
本著は、その「深夜特急」の総まとめのような本です
私が大学生のころは、バックパッカー大全盛期
卒業旅行シーズンともなると、海外志向の強かったクラスメートの何人もが海外にバックパックを背負って散って行ったものです。
でも、彼らの旅のバイブルは、そろいもそろって「地球の歩き方」
いくら世界が広いといっても、アメリカのフロリダでばったり同級生と会ったりした話を聞いたもんです。
「旅の先輩」が地球の歩き方に投稿した情報や、宿のコメント、移動手段などをなぞって旅をしているんだから、ばったり会ってもおかしくないわね
かくいう私自身、女友達とバックパッカーを気取って出かけたヨーロッパの旅の途中、ウィーンのトラム(路面電車)で同級生と乗り合わせてびっくり。
移動手段もバイブルに沿ってるんだから、ありえるね。全然、冒険でもなんでもなかったんだね。
初めて、その手の海外旅行をした私は、おっかなびっくり。
その旅のほとんどは、留学経験があり英語が堪能な同級生にくっついて行ったようなもの
それでも、異国の地で、旅の予算とにらめっこしながら、その日の宿を探したり、晩ご飯のお店を探したり、と初めての体験に興奮していたっけ。
初めはおっかなびっくり、ドキドキの連続だったなあ。
イタリアで両替したイタリアリラが終盤には足りなくなって、晩ご飯がパンとチーズとオレンジだけだったり。
ブラッドオレンジがあまりに美味しくて、ひもじいディナーのはずがすごく楽しかったな~
旅の終盤、3週間目のころに行ったオーストリアのウィーンでは、ものすごく寒くって、観光どころではなかったのを覚えている。
ちょうど私の誕生日だったあの日、一緒に旅をしていたケイコが私をカフェに誘ってくれて。
一緒にウィーン名物「ザッハトルテ」を食べたんだ。
それで、「お誕生日おめでとう」ってお祝いをしてくれてご馳走してくれたのよね
きっと、もうオーストリアでの残金も少なくなってきていたのに、その分のお金を余計に取っておいてくれたんだなあ
あんなに美味しかったザッハトルテは、これまでもないし、これからもないだろうな
と、自分の卒業旅行を、ホワンホワンと思い出してみました
沢木氏は、「旅」とは自分が作るものだという。
入念にプランされたツアー旅行は、無駄も失敗もないかわりに、あとに残る余韻のようなものがないと、確かに思う。
行って失敗だったなー、とか偶然いったところが意外に素敵だったりすると、あとあとまでじわじわ覚えてるのが旅の記憶ってものなんだろう。
また、沢木氏は「旅は自分の力不足を教えてくれる」ともいう。
これには、ワタシ、激しく同意です。
それは、その土地の言葉だけではなく、歴史やその土地の人々について、その土地に行ったからこそ肌で感じる自分の知識の無さ。
きっと、日本の国にずっと居たならば、自分が知らないということを知らずに、また予期せぬことがおきる心配をせずとも、安穏と暮らして行けるだろう。
でも、知らない土地に行き、異文化に身をさらすことによって、自分が何者か、自分の力不足をいやでも知らされるのです。
これこそ、成長しようと思う原動力なんだなあ、とつくづく思います。
人生は旅のようなものだ、という。
きっと、私と夫がこの10年過ごした海外での生活も、2人でずっと旅していたようなものだ。
お互いを助け、お互いを必要とし、大げさかもしれないけれど、支え合って暮らして来たと思う。
今や、海外での暮らしにインターネットの情報はあるし、細々した情報には事欠かないけれども、
そういった些末な一片一片の情報に頼るのは、ほんの最初の時期だけ。
ある時点から、自分の足で歩き自分の目で確かめ、地元の人とコミュニケーションをし、トライ&エラーを繰り返しながら、
自分のその街での立ち位置を確立して行く。
もうすぐ2人の「海外旅行」も終わりです。
これからは、旅の第3章ってところでしょうか
まずは「深夜特急」全6巻を読んでから、本著を読まれたし
旅する力 -深夜特急ノート- (新潮文庫) 沢木耕太郎著
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