また、冬に戻ってしまった。
毎年、この時期は色々考える。
4年前の3月11日
その日は初めて出品した奎星展を
観る為に私は東京にいた。
もう10年以上も
新幹線に乗れていなかった。
これを機会に
書道の展示会来れるかも?
新幹線にも乗れるかも?
意を決して東京行きを決めた。
しかし、当日、気が重く
何本も新幹線をやりすごし
昼頃、覚悟を決めて東京へ。
東京に着き、安堵して
浅草見物に向かい運命の
2時46分…
1回目の地震…浅草寺がダブって
見えた。関東は地震が多いからと
思っていたが、2回目の地震で
これはただ事ではないと確信した。
飛び交う悲鳴!
崩れるビルの外壁!
早く東京から脱出しなければと
宿泊先に戻ったが
すでに動いている乗り物は
タクシーとバスだけになっていた。
宿泊先はロビーを開放して
帰宅難民を受け入れていた。
金なんていくらでも出すと
フロントに乗り物を
交渉している人も大勢いたが
金なんて持ってたって
どうにもなんねーよ。と思った。
それより不忍池周辺で凍えてる
帰宅難民に東京都は何もしない
のか?
東京でも出来ないのかと思った。
夜中から徐々に明らかになる
未曾有の被害は漆黒の中に
まだ、埋もれていたのだった。
何の意味がある?
私がその日東京にいた理由
大津波に町や人が、のまれた理由
原発の安全神話がくずれた理由
世の中、偶然なんて無い。
必然なんだと人は言う。
だったら、なぜ?
疑問は猶…続いていく。