ちょうど一年前の2月3日、十日ほど前に受けた子宮内膜を全部剥いで、その組織を調べるという精密検査の結果を聞いた。
結果は、内膜から、がん細胞が見つかった、とのこと…。
いわゆる、告知、ってのを受けた日。
告知を受ける時の心境は、人それぞれやと思うけど…。
私の場合は、う~ん、やっぱりそうやったんや、ってのが一つ、親子で同じ癌なんて、どこぞのがん保険のCMのようなことは、現実に起こるんやぁ、ってのが一つ。
やっぱり、っていうのは、不妊治療で五年ほど通っていたクリニックを母の看病で四ヵ月ほど中断し、一昨年の10月に再開したところ、「子宮の中に何かある!」って言われ、検査に検査を重ねることになった。
結局、クリニックでやった検査ではわからず、万が一、癌の可能性もあるから専門のところで精密検査を受けましょう、ってことになった。
それで受けた検査の結果が、万が一、だった。
数ヶ月前から、癌かもしれない、って思いながら、これまではシロだったものが、最後の最後にクロだった、ってこと。
多分、その時は、癌である自分に、あまり実感がなかったように記憶している。だって、どこが痛いとかあったわけではないし、母のように微熱が続いたり、咳が止まらなかったり…、なんてこともなかったわけやし。
多分誰が見ても「癌やったんや。やっぱりな。」とは、思われなかったと思う。多分。
自分では、まだこの時点では、前癌と呼ばれる0期くらいやと思っていたし。
親子で同じ子宮体癌やった、ってことの方が、この時点ではショックが大きかった。
私は毎回ではないけど、不正出血が続き、多分それが元で、健康診断の結果で、初めて貧血を指摘された。
これも癌発見のきっかけになったと言えばなったけど、細胞診の結果が出るまで、不正出血と貧血は関係ないし、これだけでは、癌とは疑われていなかったのだから、いい加減というか、わからないもの。
ま、この辺りはアンラッキーも重なったけど、それは、いつかまた。
で、母も、亡くなる7、8年前から貧血のために鉄剤を服用していた。
この貧血は、多分、病気のサインやった。
この時、私に知識があれば、もっとおかしい、って思えたら、病院に連れていけば…。そんな後悔ばかりがよぎった。
病院を出てすぐに旦那に電話をした。病院で聞いた内容を話し、今一人かどうか聞かれた。
夕方、旦那が帰ってくるまで、一人でこの状況を受け止められるか、心配だったよう。
親友Jちゃんとランチの予定が入っていたので、それを話すと、ちょっと安心したみたいやった。
Jちゃんは、数ヶ月前から検査を始めた時から、ずっと心配してくれていた。
だから、会った時に、何も言わなくても、すぐに結果はわかったよう。
百貨店レストラン街で、お豆腐会席のランチをしたことは覚えているけど、話したことはあまり覚えてない。
節分の日やったけど、のり巻きを食べたかも覚えてない。これってかなり珍しいことやから、比較的冷静に受け止めていたと思ってたけど、やっぱりそれなりに取り乱していたのだと思う。
回顧記は、ここまで。これから、ぼちぼち思い出しながら…。やっと、振り返る余裕がでてきたような気がする。
昨日は、母が大好きやった、阪神百貨店の豆太郎寿司って巻き寿司を買って食べた。
無病息災を願い、今日こうやって巻き寿司を頬張れることに感謝して…。
旦那様のリクエストで急遽ぜんざいをしたけど(もちろんゆであずきを買って)、やっと思い出した!
去年は、小豆を自分で炊いてぜんざいをしたんやった。
来年は、もう少し準備して、厄除のために小豆を炊こう。
結果は、内膜から、がん細胞が見つかった、とのこと…。
いわゆる、告知、ってのを受けた日。
告知を受ける時の心境は、人それぞれやと思うけど…。
私の場合は、う~ん、やっぱりそうやったんや、ってのが一つ、親子で同じ癌なんて、どこぞのがん保険のCMのようなことは、現実に起こるんやぁ、ってのが一つ。
やっぱり、っていうのは、不妊治療で五年ほど通っていたクリニックを母の看病で四ヵ月ほど中断し、一昨年の10月に再開したところ、「子宮の中に何かある!」って言われ、検査に検査を重ねることになった。
結局、クリニックでやった検査ではわからず、万が一、癌の可能性もあるから専門のところで精密検査を受けましょう、ってことになった。
それで受けた検査の結果が、万が一、だった。
数ヶ月前から、癌かもしれない、って思いながら、これまではシロだったものが、最後の最後にクロだった、ってこと。
多分、その時は、癌である自分に、あまり実感がなかったように記憶している。だって、どこが痛いとかあったわけではないし、母のように微熱が続いたり、咳が止まらなかったり…、なんてこともなかったわけやし。
多分誰が見ても「癌やったんや。やっぱりな。」とは、思われなかったと思う。多分。
自分では、まだこの時点では、前癌と呼ばれる0期くらいやと思っていたし。
親子で同じ子宮体癌やった、ってことの方が、この時点ではショックが大きかった。
私は毎回ではないけど、不正出血が続き、多分それが元で、健康診断の結果で、初めて貧血を指摘された。
これも癌発見のきっかけになったと言えばなったけど、細胞診の結果が出るまで、不正出血と貧血は関係ないし、これだけでは、癌とは疑われていなかったのだから、いい加減というか、わからないもの。
ま、この辺りはアンラッキーも重なったけど、それは、いつかまた。
で、母も、亡くなる7、8年前から貧血のために鉄剤を服用していた。
この貧血は、多分、病気のサインやった。
この時、私に知識があれば、もっとおかしい、って思えたら、病院に連れていけば…。そんな後悔ばかりがよぎった。
病院を出てすぐに旦那に電話をした。病院で聞いた内容を話し、今一人かどうか聞かれた。
夕方、旦那が帰ってくるまで、一人でこの状況を受け止められるか、心配だったよう。
親友Jちゃんとランチの予定が入っていたので、それを話すと、ちょっと安心したみたいやった。
Jちゃんは、数ヶ月前から検査を始めた時から、ずっと心配してくれていた。
だから、会った時に、何も言わなくても、すぐに結果はわかったよう。
百貨店レストラン街で、お豆腐会席のランチをしたことは覚えているけど、話したことはあまり覚えてない。
節分の日やったけど、のり巻きを食べたかも覚えてない。これってかなり珍しいことやから、比較的冷静に受け止めていたと思ってたけど、やっぱりそれなりに取り乱していたのだと思う。
回顧記は、ここまで。これから、ぼちぼち思い出しながら…。やっと、振り返る余裕がでてきたような気がする。
昨日は、母が大好きやった、阪神百貨店の豆太郎寿司って巻き寿司を買って食べた。
無病息災を願い、今日こうやって巻き寿司を頬張れることに感謝して…。
旦那様のリクエストで急遽ぜんざいをしたけど(もちろんゆであずきを買って)、やっと思い出した!
去年は、小豆を自分で炊いてぜんざいをしたんやった。
来年は、もう少し準備して、厄除のために小豆を炊こう。
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