晴耕雨読

長いサラリーマン生活を終え、悠々自適の生活を楽しんでいる60代
と言ってスタートしたがもう古希を迎えた

GW3日目

2011-05-01 | 何でも書こう
GWに入り東北の被災地には若者のボランティアが続々出かけているという、いいニュースだ。
夏休み縮小のためこの期間に出社している企業も多いのも今年のGWの特長だ。
日本全体の非常時に皆で協力して復興を目指そうとする姿はたのもしい。
が、政治の停滞ぶりはどうなのだろうか?、国の舵取りにはしっかりとしてもらいたい。

我が家には長女も子供を連れて遊びに来て大賑わい、うるさくて逃げ出したくもなる。
4人のいとこ同士は仲が良く我が家同然に家の中を走り回っている。
こういう騒ぎももう数年、すぐに私たちは相手にされなくなるだろう。
多少のことは目をつむって嵐の過ぎ去るのを待つだけだ。

今日から5月、1年中で最も好きな月、誕生月でもある。
木には若葉が目立ち、暑くも寒くもなく快適そのものだ。
今日は孫の相手を妻に託して、おもちゃ病院に出勤だ。
飛散してくる花粉で黄色くなっている愛車を駆使して出かけよう。

昔懐かしい「同期生通信」が送られてくる

2011-04-28 | 何でも書こう
高校時代の同期の仲間から「同期生通信」が送られてきた。
当時学校新聞などを作っていた者がずっと継続して発行してくれている。
卒業してからちょうど半世紀になるが、約300名いた同期生が代わる代わる投稿している。
昨日到着した便りを見て驚いた、同じクラスの仲間3人が骨折していたという。

炬燵の布団に足を引っ掛け転倒し腕を骨折した者、彼は昔炬燵で低温やけどをしたのを覚えている。
茨城に住む彼に早速見舞いの電話をする、今回の大震災で家は無事だったというが腕の方はまだリハビリ中。
後の2人は故郷で雪下ろしの最中あるいは雪道を歩いていて転倒し、足を複雑骨折したという。
年齢を考えずに昔と同じように動けるものと勘違いして転倒しやすく、またすぐに骨折しやすくなっている。

私は50台の時に右手首複雑骨折、左薬指捻挫骨折、右足アキレス腱断裂と連続して外科の世話になった。
あれから20年近く少しはおとなしくなったせいか、無理をしなくなったせいか、無事に過ごしている。
それでもまだ続けている野球ではかなりきわどい場面に出くわすことも多い。
同期の連中の話を聞き、少しは慎もうという気になった。

「同期生通信」では昔の仲間の消息、故郷の変化などを伝えてくれる。
投稿している人たちは皆筆が立つ、書を読む機会がますます少なっている私にはとても及びつかない。
今回も投稿依頼が来たのだが大震災の騒ぎに便乗して避難した。
子供の頃から作文は大嫌いだったが、最近は益々落ち着いて文章を書くなどと縁がなくなってしまった。

つまらない国会討論

2011-04-20 | 何でも書こう
本当に久しぶりに38度を高熱になったが、2日間の安静でほぼ回復した。
妻曰く「私の日頃の健康管理で基礎体力があるからだ」と。
医者に行かずに治ったのでほっとしている、5分未満の診療で3時間も待たされるのは本当につらいもだ。
それにしても風邪をひきやすくなった、気を付けるようになったがそれ以上に体力は弱っているのだろう。

2日間ラジオをうつらうつら聞いていた、一昨日は国会中継があった。
国会言葉というのだろうか、首長を「くびちょう」というのが気になって仕方がない。
当然「しゅちょう」が正しいのだろうが、質疑応答の両方で当たり前のように言っている。
「施行」を「せこう」と当たり前のように言っているが、小学校のテストでは落第点になったはずだ。

国会議員はもっと国民の代表らしく正しい日本語を話せるようにしてもらいたい。
品のない、汚いヤジも気になる、、ああいう輩は委員長が即刻追い出すべきだ。
テレビ中継をしていなかったのかもしれないが、政治力が問われている今襟を正して欲しいものだ。
そんなことを気にしているとつまらない討論の中身と相まってすぐに飽きてしまった。

余震と緊急地震速報続く

2011-04-13 | 何でも書こう
あの大地震から1か月が過ぎたのに今でも余震は相変わらず続いている。
福島、茨城などでは震度6などの強烈な余震の連続で地元の方々の心配は尽きることがない。
携帯電話に緊急地震速報を設定しているがこの神奈川地方でもずいぶんと回数は多い。
ただ空振りのことが多いのはなぜなのだろうか、来ても驚かなくなってしまう。

おもちゃの修理をするために部品を探しに近くのジャンク屋に顔を出す。
秋葉原まで行くには遠すぎるので時々は利用している。
ホームセンターにも行ったが乾電池の棚が空にいなっているのには驚かされた。
買いだめで品不足になったのか、物流の問題なのか、当分こういう混乱は続くのだろう。

節電対策として家の中の電球を交換した。
廊下、トイレ、洗面所などで100Wだったものを50Wに変更。
一部は電球型蛍光灯を使った、電力消費が大幅に減るというので買っておいたものだ。
まだLEDは使っていないが次に買う時は当然そうしよう。

時間があったのでラジコンカーの修理に取り掛かる。
リサイクルの店でリモコンと車本体が別々に捨てられていたのを引き取ったのだが、偶然同じ機種だった。
発振器も動作している、本体のモーターも異常はない、だんだんと範囲が絞られてきたのでもう少しだ。
後はまたの楽しみにしてふたを閉めてしまった、次に開けるのはいつになるだろうか。


低レベル放射線汚水 海に放出開始

2011-04-06 | 何でも書こう
前日あれほどひどかった花粉症は全くでなかった。
花粉の飛散はひどかったはずなのに症状がないということは花粉症ではないのかもしれない。
何でもいい、あの苦しさから逃れたのでほっとした。
昨日は一日長女の家を訪問して爺としての役割を果たした(孫たちの遊び相手)。

長女と次女が原発問題で熱く語り合っていた。
過敏なくらいの心配性の姉と超おっとり型の妹、聞いていてなかなか面白い。
姉はWebでいろいろな情報を集め漁り、心配性を増幅させている。
妹はそれにいちいち反論し大声の激論になる、姉妹でもこれだけ考え方の違いがあるのだ。

低レベルとはいえ放射線に汚染された水の海中への放出が始まった。
韓国から無断での放出を責められているという、確かに外務省は何もしなかったのだろうか。
想定外のことが続いているのかもしれないが、対外的に失礼のないようにしてもらいたいものだ。
放射線被曝の心配をしながら作業をしている現地の人々の苦労を無にしないように。

市内にも数10名の避難者が施設に来ているという。
私たちのボランティアグループでも何か手伝うことはないのだろうか。
迷惑にならないような何かがあるかもしれない、少し情報を集めて動きたい。
グループで理髪のできる人は自ら飛び込みでボランティアをしたという、積極性がうらやましい。

明日から新年度 若い人たちに頑張ってもらいたい

2011-03-31 | 何でも書こう
散歩がてら近くの生協の店に顔を出してみた。
店は照明を半分以上消灯して暗くなっている、どの店もこのくらいの節電はしてもらいたいものだ。
商品の棚は欠品が目立合っている、産地の状況や物流から考えて当然かも知れない。
話に聞いていた通り納豆、食パンはすぐに売り切れになるそうだ、買い占めもあるのだろうか。

納豆は血液サラサラに効果があるというので数年前から毎朝食べている。
その頃その店でたまたま計った血圧が150くらいあったので、食べ始めることにしたのだった。
納豆の効果なのか偶然なのかは知らないがその後血圧は正常に戻っている。
当分口にすることができないかもしれないがすぐに影響が出ることもないだろう。

さらに10分ほど歩いて入ったスーパーでは食パンが1家族1種類という限定で売っていた。
我が家は米食なのでパンを食べる機会は少ないが1個だけ買うことにした。
昨日はおもちゃドクターの会の資料作りなどで机に向かっている時間が多かった。
1時間余りの散歩は運動不足解消にはちょうど良かったかもしれない。

暦も今日で弥生3月は終わる、明日から卯月だ、新年度が始まる。
いつもなら希望に胸を膨らませた新人たちが入社式や入学式で嬉しい顔を見せる時期だ。
東北地方の大震災の被災地、福島原発の事故、なかなか収まるには時間がかかりそうだ。
今年はどうなるのだろうか、若い人たちがシュリンクしないようにしてもらいたい。

省エネはどのくらいできるだろうか

2011-03-30 | 何でも書こう
日一日と春らしくなってくる、市の中心部まで自転車で出かける。
暖かいと車を使わずに動けるので助かる、30分で動ける範囲は歩くか自転車を利用しよう。
運動不足の解消と省エネになるはずだ。
どこへ行くにも坂道を通らねばならない我が家、そろそろ電動アシスト自転車が必要になるかもしれない。

これから慢性的な電力不足になるはずだが電気自動車はいいのだろうか?
ガソリンを使わない分、排気ガスがないから環境汚染はしないはず。
そうなのだろうか、大きなバッテリーを充電する電力はこれから何で作ることになるのか。
石油エネルギーを使ったのでは元も子もない、本当に環境にいいことになるのだろうか。

石油依存を止めようとバイオ燃料を使おうとした時期があった(今もそうかな?)。
そしたら食料となるトウモロコシなどを使うため価格高騰、品不足を招いてしまった。
何かの一面だけを見てすぐ走ってしまうのは気をつけなければならない。
補助金付きで電気自動車を普及させている現状を見て大丈夫かな、と心配した。

便利さに慣れ切ってしまった我々日本人、今深刻な電力不足に直面して省エネ対策は真剣に考えるべき時だ。
戦中に生まれた我々の世代、あの物資不足の時代から立ち上がってぜいたくになりすぎていないだろうか。
あの時代までさかのぼることは無理だと思うが、石油ショックの時くらいの真剣さにならねばと思う。
街のネオンは消え、テレビの深夜放送は止めた、この程度なら十分我慢できるはずだ。

原発事故なかなか収束しない

2011-03-25 | 何でも書こう
一昨日の福島原発での黒煙が上がった事故は収まったというのでまずはほっとするがこれでいいのだろうか。
モグラ叩きのようになってはいないだろうか、次から次へと新しいことが発生してはいないのだろうか。
ニュースを見るのが怖くてテレビはなるべく点けないことにしている。
現地で懸命に作業をしている関係者の皆さんに期待するしかない。

作業員が被爆したというニュースが入ってきた、原子炉の近くでは相当の線量になっているのだろう。
犠牲者を出さずに早く収束してくれることを祈るだけだ。
対応が後手後手になっていることは事実だと思うが今そういうことを責めてはいけない。
必死になって日本のために戦っている人たちにいろいろな人たちの頑張りに期待しよう。

飲み水に放射能が見つかったという報道、直ちに健康に影響することはないといわれても心配する。
いたずらに庶民の心配を増大させるような報道は控えた方がいいようにも思うがやはり真実は知らせるべきだろう。
昨日も余震が何回か感じられた、何とも言えない不安がいつまでも続いている。
心配ばかりしてはいられないが、何をしていればいいのだろうか。

地震発生からはや1週間 

2011-03-19 | 何でも書こう
地震発生から1週間が過ぎた、この間何もしないであっという間に時間が経っていく。
我が家では昨日も停電はなく普通の生活ができた、有難いがこの便利さを享受していいのだろうか。
原発の鎮静化作業は続いているがなかなか成果は出ないように見える。
高放射能化で人海戦術しか手がないのだろうが全世界が注目している、期待している。

進行を止めているだけでも成果があるということなのかもしれない。
自衛隊、消防隊、まさに総力戦になっている、司令官の命令のもと前線に出る兵士たちに期待するのみだ。
我々後方部隊ができることは何か、考えても名案は浮かばない。
ただただこれ以上悪い方向に進まないよう祈るだけだ。

近くのコンビニに顔を出してみた、水や弁当、トイレットペーパーなどは入荷し始めているという。
一時のパニックは収まったのかもしれないが、ガソリンスタンドはまだまだのようだ。
それにしても昼だというのに蛍光灯が全灯、誰も無駄を感じないのだろうか。
現地から300km弱離れたこの地でこんなに他人事のように緊張感なく暮らしていていいのだろうか。

計画停電を知らせる防災行政無線ののんびりとした声が聞こえてくる。
エコーの影響を防ぐためには早口で話せないのかもしれないが、あれで緊急時に使い物になるのだろうか。
我が家は市のはずれでもあるので隣町の声も聞こえる、何を言っているか非常に分かりずらいが。
今回現地では役に立ったのだろうか、別な伝達手段の検討が必要ではないのだろうか。

できることは節電くらいか この際周りを見直そう

2011-03-18 | 何でも書こう
携帯電話に入ってくる緊急地震速報も相変わらず止まない、余震がしばらく続くのだそうだ。
我が家では昨日も停電はなく不自由しなくて済んだが、停電になったつもりで節電には努めている。
日中は日当たりのある場所で暖を取り、トイレの暖房はもちろん電気機器の待機電力はすべてOFFだる。
もちろん車での外出はしない、不要不急の外出は避けている。

昔石油危機の時にはネオンサインなど消灯したことがあったが今はまだ現実感がないのか実施していない。
コンビニの電灯も相変わらず明るすぎるくらい煌々と点いている、半分でも十分と思うのだが。
ガソリンスタンドもタンクローリーが来た途端に長蛇の列になるとか、我も我もと並ぶ姿は浅ましい。
首都圏に住んでいる私達が安寧に暮らせるのは福島・新潟が原発を背負ってくれたことを忘れてはならない。

原発避難の人たちを東京でも受け入れを始めたというニュースが流れている。
交通網が回復したらどんどんこちらの方へ逃げてきてもらいたい、辛さを分かち合えるかもしれない。
私たちでも協力できることがあるかもしれないし、敏感でない人たちも苦しみが分かるだろう。
消防車からの放水の効果を期待したい、決死の覚悟で放水してくれた消防隊、自衛隊には頭が下がる思いだ。

被災地は雪 皆さん頑張ってください

2011-03-17 | 何でも書こう
予定されていた停電は昨日も実施されなかった、有難い話だが無駄遣いはしないよう気を付けている。
居ても立っても居られない状況は続いている、何かをしていないと落ち着かない。
緊急時に備えて懐中電灯3個に乾電池を入れ替えた、内1個は接触不良があったので分解修理。
ラジカセ2台にも乾電池を装填、調子の悪かった携帯ラジオは分解修理をする。

九州の友から見舞いのメールがくる、かの地でも物品の買占めがあるという。
人の苦しみを分かち合おうという気はないのだろうか。
先日この非常時における日本人のマナーの良さを褒めた記事が中国の新聞にあった。
それに恥じない行動をしていきたいものだ。

我ら年寄りができることは無駄遣いの禁止、節電と義捐金くらいだろうか。
わずかではあるが義捐金を届けに郵便局まで歩いて行ったが、街は人影も少なく静かなものだった。
年金暮らしの我々は食い扶持などはわずかなものだ、できるだけ被災者の役に立ちたい。
個人的に救援物資を送ることができない以上、この程度の協力をするのが精一杯だろうか。

計画停電、この地は実施されず 有難いが節電には協力しよう

2011-03-16 | 何でも書こう
東電の計画停電、我が家は夕方6時からの予定だったが実施はされなかった。
少しでも多くの地域に電力を送ろうと必死になって頑張っている東電の努力の結果と思う。
大変ありがたい話であるが、ただ節電に協力しようと早々に床に就いた。
あまり早いと寝られるものではなく、10時半の大きな地震で完全に目を覚ましてしまった。

昨日用があって近くの生協に出かけた、久しぶりの外出だった。
噂に聞いた通り店の陳列棚は空っぽだ、皆風聞に踊らされて浮き足立っているのだろう。
我が家は大丈夫なのだろうか、真剣に考えていないがそろそろ食料を気にしなければならないか。
無駄な動きをせず只管じっとして世の中が落ち着くのを待つしかないようだ。

学生時代の仲間からも状況がメールで続々届いている。
皆大きな被害はなかったようでほっとする、会社時代の仲間からも特別な情報は入ってきていない。
被災地の方は雪が降り出しているようだ、寒さも加わり大変だが頑張ってほしい。
ただただ一刻も早く事態が良くなるのを待つしかないのだろう。

卒業式のシーズン 古文の授業を思い出す

2011-03-11 | 何でも書こう
昨日は3歳の孫の幼稚園予備軍の最後の日で例によって送迎に赴く。
4月から正式に幼稚園児となるのだがその前の1年間は慣れるための準備期間(つぼみ組)だ。
この1年で週に1日だけではあったが団体生活に少しは慣れた様な気もする。
車を運転しない(したがらない)娘に代わって何回送迎したことか。

おかげで先生にも若い母親たちにも顔馴染みになってしまった。
上の娘の子の時も保育園に何回も顔を出して同じように顔馴染みになったものだった。
わずか1年であったが主任の先生の感涙にむせんでいた姿が印象的だった。
まだ若い先生だが一生懸命頑張ったことで感動したのだろう。

卒業式のシーズンになった。
私たちの頃は「仰げば尊し」が定番だったが、今はそうでもないという話を聞く。
歌詞の中で「今こそ分かれめ…」を「今こそ分かれ目…」だとばかり思っていた。
正しくは「分かれむ」の已然形「分かれめ」なのだとある人に教えられてそうだったのかと思いだす。

高校1年の古文の時間に先生が竹棒で黒板をたたきながら暗記させてくれた、「係り結び」だ。
強調の助詞「こそ」がくると下は已然形になるのだ。
高校2年からは理系になって古文とは全く無縁になったがこのころ覚えた音は不思議に思いだせる。
「ぞ、なむ、や、か、こそ」とか、「未然、連用、終止、連体、已然、命令」など、何の役にも立たないが。


体調は回復した

2011-03-08 | 何でも書こう
昨日の雪の降り具合を見て車での移動はどんなものかと心配したが午後からは止んでほっとした。
風邪らしき症状で気力がなく布団にくるまっているつもりだったが昼間は眠れないものだ。
すぐに起きだして約束のあった孫と出かけることにした。
子供たちは本当に寒さには強いのかもしれない、頬を真っ赤にして外で遊んでいる。

体調不良はこのところ疲れがたまったせいかもしれない、それでも一日静養したらほぼ正常に復した。
休んでいるといろいろなことが気になるものだ。
おもちゃに関する宿題があれこれと浮かんできてじっとしていられなくなる。
これから本当に忙しくなりそうだ、悠々自適の生活を目指していたのが変な方向に向かってしまった。

仕事を止めて自由時間が増えるから晴耕雨読の生活をしようとこのBLOGを始めたのだが。
いつの間にかいろいろなボランティアにはまり込んでしまって身動きが取れなくなりつつある。
無理をしたら元も子もない、少しずつ整理していった方がいいのだろうがどれも止められない。
いや体が続く限り好きなことをやった方がいいのかもしれない。

超忙しの一日

2011-02-20 | 何でも書こう
昨日は猛烈に忙しい一日だった。
午前中市内でも我が家からは車で30分かかる場所の子どもセンターでのおもちゃ病院。
いつもと違い来客が多かったがその場で治せるものが少なく入院扱いとしたものが多かった。
以前修理を持ち込まれ皆で検討したが治せなかったクレーンゲーム機がまた戻ってきた。

治せないと一旦は返却したものだがそれでは少なくとも持ち込む前の状態までは戻してほしいと言われる。
単純な構造なのだが修理を想定した設計になっていなくお手上げになったものだ。
客側からすれば何とかしてほしいというのは当然かもしれないが判断の難しいケースになってしまった。
会として得意な人に検討してもらいだめならどうするかを話し合うしかないだろう。

午後は市内のポータルサイトにホームページを作る説明会があったので参加した。
ちょうどおもちゃの会でも必要としていたので話を聞いてみた。
多くの人に利用してもらうには知名度を上げる必要があるのだが、いいツールになるかもしれない。
前向きに取り込みを検討したい。

夜は新宿まで出かけて元の会社の仲間との新年会。
喜寿を迎えた大先輩を筆頭に15名も集まり盛会となった。
年に一度は新年会、そして秋には旅行もある、頻繁に会合しているが話題は尽きなく楽しい場である。
家に帰ったのが10時過ぎ、古希を間近にした者にとってはかなりきつい忙しさであった。