晴耕雨読

長いサラリーマン生活を終え、悠々自適の生活を楽しんでいる60代
と言ってスタートしたがもう古希を迎えた

車の運転 たまには規則を読み直そう

2011-02-13 | 何でも書こう
先日テレビで車のヘッドライトについての番組があった。
どこかで夜間交通事故があったが原因は道路を横断している老人に気が付くのが遅かったためという。
ヘッドランプをアップにしていなかったために数10m前方にいる人影が見えなかったのだ。
実験で示していたが確かに先の方は見えにくく、速度次第ではブレーキが間に合わない。

人通りの少ないところを走る時はライトを上げて走っていたと思うが、最近は殆どそういう機会がない。
街中での走行ばかりなのでアップすると対向車がまぶしく注意されるからできないのだ。
こういう事故の話を聞いて通常はアップして走るのが正しいのだと知った(対向車がある時は下げる)。
あの事故のように人通りの少ない道を走るとき果たしてアップしただろうか。

片側1車線の狭い道路で右折しようとしているとき、対向車がライトを点滅させてくれた。
この時どうぞ右折してくださいという親切な合図なのか、直進優先だから気をつけろという合図なのか。
自分でも両方の意味で使うことがある、どれが正しいのだろうか。
日頃無意識で行っていることが正しいかどうか迷うことが多くなった、偶には交通規則を読んでみよう。

関東地方はカラカラに乾燥中

2011-01-30 | 何でも書こう
昨日は野球部で訓練を兼ねたハイキングの予定だったが参加を取りやめた。
今年は丹沢大山へ行くことになっていたが、最近膝の調子がおかしいので大事を取って中止した。
膝は特に階段を上るときなどに違和感があるのだが、野球などは普通にできるので皆に信用されない。
他のメンバーは行ったが好天だったので楽しめたことだろう。

一日中家に籠って理科の会で使うモーターの部品作りに精を出した。
歳のせいか最近物忘れがひどくなり、モーター部品の作り忘れが大量にあることに気が付いた。
モーターの軸受け300個、ブラシを200個くらい作る必要があったのだ。
作りやすくするための治具作りから始めて約束の2日までに何とか目処がついた。

今朝もいい天気だ、北陸地方は大雪だというのにこちらは空気が乾燥した日が続いている。
雪の新潟を思い出す、38年の豪雪の時学校の百廊下が雪でつぶれそうになったことがある。
学生が駆り出され全員で屋根の雪下ろしをした、越後の雪は湿気があって非常に重く重労働だ。
あっという間に雪は屋根より高く積まれることになりいつの間にか雪上げとなっていた。

関東での生活で困るのは静電気だ、車を降りるときにドアに触った途端にパチッと来るあの衝撃。
会社にいるころはドアノブに触るのが怖いくらいだったのを思い出す。
最近はうまく放電させるグッズが売られているらしい、早く普通の湿度に戻ってほしい。
今日は午後から天気が崩れて雨が降るという予報だ、少しは湿り気を与えてくれるのだろうか。

会社仲間の幹事会

2011-01-26 | 何でも書こう
夜昔の会社の仲間の集まり、その中の幹事会に出る。
つい先月会ったばかりだが、何かの理由をくっつけて会合を持っている。
今回は会の新年会の計画、毎年スタートが遅く2月にすることにしている。
我々幹事7人が集まって方針を決めることになっている。

これだけ頻繁に会っていてもいつも話題が尽きずあっという間に時間が過ぎてしまう。
皆で昔話に花を咲かせ、肝心の議題がいつの間にかどこかに飛んでしまう。
今回は違った、若い(と言っても還暦過ぎ)幹事がきちんと議事進行してくれた。
今朝早くも議事録が送られてきて、世代交代してよかったと痛感する。

八王寺駅から横浜線で帰ったが、電車の中で大声で騒いでいたような気がする。
周りからひんしゅくを買うような行動は慎んでいたつもりだが、つい羽目を外してしまった。
普段酒量は多くないのだが昨日は飲みすぎたようだ。
多少の二日酔いを感じながらこれから自転車ボランティアに出かける。

新しい年が明けた 今年は良い年になってほしい

2011-01-01 | 何でも書こう
新しい年が穏やかに明けた、故郷の方は雪が降って寒い年明けになっているだろう。
大晦日は老夫婦2人だけの静かな年越しだった。
昔は祖父を筆頭に8人家族の大所帯の大晦日だった。
普段は使わない座敷(四方を障子で囲ってあった)で全員が食卓を囲ったものだった。

銀行勤めの父はこの日は特に帰りが遅いので陰膳を用意していたことも多かった。
食卓中央に鮭の分厚い切り身を囲炉裏で焼いて醤油の入ったどんぶりにどんといれてある。
数の子などもどんぶりにたっぷりと入って出されていたものだった。
いつもは質素な食事だがこの日ばかりは魚を中心にした料理がふんだんに食べられたような気がする。

昔食べた田舎料理を思い出した、「のっぺ」だ。
魚で出しを取って、サトイモ、ゴボウ、こんにゃく、しいたけ、なめこなどを煮たものだ。
長い間食べたことはなかったが、横浜に住む妹に電話をしたら今でも作っているという。
早速材料や作り方を教わって我が家でに作ってもらった、懐かしい素朴な味を楽しめた。

今やいつでもどんな食材でも簡単に手に入り、季節感、地方感?がなくなってしまった。
昨日の大晦日はいつもと変わらない歳夜(としや:田舎では大晦日をこういっていた)だった。
政治経済が停滞してなかなか明るい国になってくれないが、今年は良い年になってほしい。
元日の今日は2家族が遊びに来る、皆幸せな年であってほしい。

忙しかったこの1年 来年も頑張ろう

2010-12-31 | 何でも書こう
あっという間に大晦日になった、正月らしいことは昔ほどしなくなったので普段の生活とさして変わらない。
我が家では餅を4kgだけ搗いた、と言っても「もちっこ」のスイッチを押すだけだが。
今年は空気が乾燥しているせいか、翌日の朝にはもう固くなっていて慌ててカットした。
昔実家では10臼位を土間で搗き、1m四方くらいののし板で薄くしたものだった。

門に松の飾りを付けた、質素そのものだが外観で正月らしいのはこれだけだ。
客は子供たち一家がくるが、しょっちゅう来ているので特別の感じはしない。
私自身は大掃除も終わったので何もすることはなく、パソコンにしがみついて写真の整理をした。
今日も全国的に寒波が襲ってくるという、今日も家の中でパソコンとテレビを相手にしよう。

電話では故郷はまだ雪は降っていないが今日は降るという予想だ。
昔は元日は年が明けて早々に雪を踏み分けて父と弟たちと一緒に神社まで初詣に出かけた。
こちらではすぐ近くのお寺で鐘を撞かせてくれるがそれも最近は寒くていかなくなった。
3賀日が済んでからゆっくりお参りするのことにしている。

今年1年はまさに「光陰矢のごとし」そのものだったようだ。
会社生活にピリオドを打ち、ゆっくりと隠居生活をするつもりだったのだがそうはいかなかった。
7年前から始めた自転車ボランティアに加え、新たに3つの団体に参加したのだ。
孫の相手、野球の仲間、会社時代の仲間、などなども加えて大忙しの日々だ、来年も同じように忙しくしたい。

正月準備を切り上げのんびりとテレビ鑑賞

2010-12-30 | 何でも書こう
この季節我が家の居間は朝日が差し込んでまぶしいくらいになる。
暖かい日差しは大切なので朝食時は野球帽をかぶっているのだが、今朝は曇り空でその必要がない。
我が家の正月の準備は大げさではないのでもうだいたい済んだ。
忙しさが去り昨日は何か気が抜けたようで何もしないでテレビ鑑賞をする。

3時間番組だったが観てみようと思い「新参者」というのにチャンネルを合わせた。
殺人事件を追う刑事ものだが、犯人とおぼしきものが無実と判明するのを1時間ごとに繰り返している。
どうも1時間番組を再放送したものらしい時がついたのが遅かった。
それでも見始めると終わりまで見ないと気が済まない、30,31日もまだ続くことを知りどうしようか迷っている。

西村京太郎、山村美沙の2時間ドラマは随分見たが、もう飽きてしまった。
最近は「相棒」くらいしか見るものがなくなったと思っていたが、「新参者」はまずまずだ。
正月番組は相変わらずドタバタやバラエティーが多いようで見る気はしない。
駅伝、ラグビーそれにドキュメンタリー番組になってしまかもしれない。

寒い雨の一日

2010-12-14 | 何でも書こう
雨の一日、気温はぐっと下がった。
おもちゃドクターの会のことで代表と駅前の喫茶店で打ち合わせる。
傘寿に近い代表がそろそろ引退を考えているというので今後のことを話し合った。
今の会を設立して40名近い会員の組織に育てあげた代表の力は素晴らしく継続をお願いした。

駅前までの往復30分が昨日の運動量だ。
寒くなるとともに運動量が少なくなり、体重は高値安定になっている。
自分で作った30分ルール(30分で歩ける範囲は歩く)は守りたいのだが難しくなった。
30分が負担になり20分にしようかと弱気にもなりかけているこの頃だ。

先日解体した故郷の実家の跡地、建築屋から買いたい人がいるらしいとの情報が入る。
自分の代では売りたくないというのが本音だが、買いたい人がいるのならチャンスかもしれない。
兄弟たちからは一人を取り寄せているのでどうにでもなるのだが…。
先祖から引き継いだ土地を手放していいのだろうか、また悩み始めた。

予定がなくのんびりとする

2010-12-11 | 何でも書こう
昨日は特別な外出予定がなかったので家でいろいろとたまっている作業の片づけをする。
孫のおもちゃを修理中に壊れてしまった自転車の空気入れをうまく治して幸先は良かった。
安物ではあったがきちんと修理できる構造のものだったのには感心する。
最近の格安品は故障したらそれまでのものが多い中でこの製品は珍しいくらいだ。

理科の会では今年の催しはすべて終わったが来年に備えて動き出さねばならない。
1月末のモーター部品は少し不足しているのでみんなで協力して作ることにしたい。
自分でやればできないことはないが会として協力作業をすることが大切なのだ。
そのための準備をそろそろ始めておきたい。

冬らしい気温になって家の中は寒くなった。
ほとんど家に閉じこもって作業したが、気を紛らわせるために近所を散歩した。
快晴の天気なので日向では家の中より暖かいくらいで気分が良い。
日本海側ではそろそろ雪がちらつき始めるころだろうに。

昨日故郷の実家の解体作業がほぼ終了したとの報告がメールできた。
写真を見るともう家は跡形もなく更地になってしまった。
周りは空き家や老人家族ばかりの典型的な過疎地、土地は売っても2束3文だ。
子供たちや弟妹達も欲しがらないが、私としては自分のものとして残しておきたい。

晴耕雨読どころか…

2010-11-12 | 何でも書こう
先週は施設の行事の振替休日だったため、昨日は2週間ぶりに自転車ボランティアに行く。
最近は力仕事の自転車整備よりもおもちゃの修理がしたくなってしまう。
それでも他の者がなかなか手がけたがらない難しい故障のものはこちらでやるしかない。
まだ存在価値がある間は頑張っていかなければならない。

難しい修理を完成一歩手前まで行って肝心の部品がないことがありがっかりする。
何せ寄付に頼っている現場だから必要なものがいつもあるとは限らない。
しかもこちらは週に1度しか顔を出さないから先週から部品の置き場まで変わっていることが多い。
部品探しでたくさんの時間を浪費してしまうのは本当にもったいない。

もっと頻繁に顔を出せば役に立つことはわかっているのだがそうもいかない。
会社の仕事をリタイヤした時にこれからは自由時間がたくさんある、晴耕雨読の生活をしよう。
と決めたはずなのに、ボランティアにのめりこんでしまった。
自分が自由にできる時間は全くなくなってしまい、これでいいのかと考えてしまう。

それでも少しでも喜んでもらえる人がいることを励みに続けている。
施設の利用者、壊れたおもちゃの持ち主、小学校の子どもたち、その笑顔が何物にも代えがたい。
会社生活では味わえなかった幸せを十分味わっている毎日だ。
今日もこれから近くのおもちゃチェーン店での病院だ、張り切っていこう。

台風が無事通り過ぎたようだ

2010-10-31 | 何でも書こう
昨日は台風の影響で終日雨の天気だった。
幸い当地では被害が出るような雨量ではなかったようでほっとする。
何せこの辺は市のハザードマップによれば危険区域になっているから。
今日はいい天気になりそうだ、野球練習ができるのでうれしいがメンバーが揃うだろうか心配だ。

雨の中市内の子供センターに出かけポンポン船作りをする。
小学校2~3年生が10数名集まって船を作り、小さなプールで動かして楽しんだ。
ろうそくの火でアルミパイプ内の水を熱して膨張させ、排出・吸引を繰り返して動く簡単な構造だ。
動く原理はまだ理解できなくても、将来理科が好きになってくれる切っ掛けになれればうれしい。

このところおもちゃの修理が快調にできるようになった。
というより難しいものが来ていないのかもしれない。
先日自転車ボランティアの施設から預かった数点をあっという間に点検・修理が完了した。
たいていが電池の劣化や電極部分の腐食が原因だ、この程度のことで廃棄してしまう親たちが多いのだ。

字を知らない、書けない大人?

2010-10-26 | 何でも書こう
最近教材の買い物などでホームセンターや100均に行く機会が増えた。
会の買い物をするときは必ず領収証をもらうことになっている。
客が多い時間帯では手間をかけて申し訳ない気になってしまうが仕方がない。
ここで気になるのがレジの女性の文字の書き方だ。

まずペンの持ち方がなっていない。
いかにも窮屈そうで見ていていらいらするが、当人は平気のようだ。
そして何より字の書き方、筆順がまったくでたらめだ。
私たちが小学生の頃は何回も書かされて覚えたのだったのに。

会社にいる時に部下が客の前で字を書かされたとき、簡単な漢字が分からず携帯電話で調べていたことがあった。
今では無理に漢字や言葉を覚えなくともパソコンなどが勝手に文を仕上げてくれる。
これでいいのだろうかと思いながらも、最近の自分もそうなりつつあるのを感じる。
簡単な熟語が思い出せない、漢字が書けない、など初期の認知症かも知れないしパソコン病かもしれない。

私は漢字は祖父に教えてもらった記憶がある。
毎朝早く起きて囲炉裏に薪をくべるのが日課だったが、そのときに火箸で字を教えてくれたのだ。
紙を使うこともなく何回も書いてくれたのを覚えている。
今の子達は核家族で祖父と一緒に生活することがないのでかわいそうな気もする。

今の小学校は交通ルールを教えないのか

2010-10-22 | 何でも書こう
先日自転車で出かけたとき、赤信号だったので信号待ちをしていた。
そのとき小学校高学年と思しき女の子が堂々と信号無視で歩いている。
信号が赤だよ、と声をかけたがじっとこちらの顔を見つめながらそのまま渡ってしまった。
確かに左右を見ても車が来る気配はなかったのだが。

数年前通勤途上のJR駅前の交差点で年配のおじさんが同様に信号無視で渡っていた。
それを見つけた巡査が注意したら、反対に「車が来ないことが分かっているのになぜ待つんだ」と怒鳴りかける。
巡査曰く、なんでも自分の判断でそんなことをするなら規則なぞ要らないよ、と。
その男は大衆の面前でそんなことには耳を貸さず堂々と渡りきってしまった。

近くの道路で小学校低学年の児童の列が左側を歩いていた。
確かにすぐ先で左側に曲がるから進路変更するのが面倒でそうしたのだろう。
先生らしき先導者がいてこうなのは、今の学校では交通ルールはあまり教えていないのだろうか?
私たちの子供の頃はかなりしつこく「人は右、車は左」を教え込まれた気がする。

子供を連れて歩く若い母親も信号無視が目立っている、「人は右」のルールはもはやないのだろうか。
免許証更新でもらった交通教本に書いてあるのかと見ようと思ったがもうとっくに廃棄していた。
NHKの「街道テクテク旅」でも旅人を演ずる女性が左側を歩くケースも多い。
気にしすぎる私がおかしいのかと時々思うことがあるが、左側を歩く人の後ろから走るとき車の運転は非常に怖い。

九州旅行3日目 雲仙普賢岳と長崎くんち

2010-10-10 | 何でも書こう
今回の旅行最終日、あの雲仙普賢岳を近くでどうしても見たいという会員もいたが時間の関係で島原から眺めるだけで通過。
それでも土石流の後がくっきりと見られ、災害のすごさを目の当たりにした。
長崎に入り昼食はちゃんぽん、老舗で食べた味はさすがにおいしく、満腹になる。
路面電車に乗って市内見物に出かけるが、ここでは修学旅行中らしき高校生に出会う。


ちょうど「長崎くんち」の初日だったので繁華街を練り歩く「庭先回り」でだし物を見ることができた。
思案橋近くの商店街で威勢のいい掛け声を上げながら若衆が南蛮船を引いて走るのは、滅多に見られないチャンスだった。
まだ市内各地でいろいろな催しがあったようだがこれ1箇所でも十分価値のある見学だった。
路面電車がひっきりなしに来るので移動には非常に便利だ、観光客で満員だったが、通常は赤字だとタクシーの運転手の弁。


グラバー亭を見学する、ラッキーなことに入場料は60歳以上半額ということ300円。
観光地では老人割引のことを一応聞いてみるべきだ、どこかに書いてあるかもしれないが積極的には教えてくれない。
姿かたちでわかるはずなのに、と思うが、それほど老人には見えないのかといいように解釈しよう。
ここは最近では「龍馬伝」でも出てくるので、昔来たとは言いながらゆっくりと見学した。

グラバー亭を最後に見学は終了、福岡・山口から参加したメンバーとは長崎駅で別れ、関東組は空港へ向かう。
2日間200km以上走ったが15~16リットルのガソリン消費で済んだ。
修学旅行の団体も乗って満員の飛行機は羽田に予定通り到着、無事に今回のたびは終了した。
昼食、夕食、飲み会と飲み食いの連続で体重の増加が懸念される、しばらくは質素な生活で元に戻るよう努力しよう。

九州旅行2日目 阿蘇と熊本城

2010-10-09 | 何でも書こう

前日のドンチャン騒ぎの疲れがまだ残っているとはいえ朝9時前の九州幹線に乗り熊本へ向かう。
木作りの座席は広くゆったりしているので乗り心地がきわめてすばらしい。
新幹線は新八代までで、そこから先はリレー号に乗換えとなり、予定通り熊本には10時前に到着。
駅までレンタカー会社が出迎えに来てくれる、今回は3台のレンタカーを2日間使用する。

ツアーの中でできるだけ安上がりの方法を選んだ幹事の努力、車は小さく多少の窮屈は致し方ない。
早速阿蘇の全貌が見渡せるという大観峰まで車を走らせる。
途中路傍に「ばあちゃん飛び出し注意!」の立て看板を発見、写真を撮れずに残念!
この日も秋晴れの絶好の行楽日和、雄大な阿蘇のパノラマを十分堪能できた。

昼食をたらふく食べて下山し熊本城へ向かうべく、ホテルの駐車場へ車を預ける。
城まで歩いて10分くらい、天下の名城熊本城をゆっくりと見学する。
本丸は昭和35年に作られたそうで鉄筋コンクリート作りである。
築400年の重要文化財宇土櫓もぜひ見たほうがいい、とのガイドさんの言葉に従い見学、歴史の重みを感じさせる建造物だ。


場内は韓国の女子高校生が団体で来ており、日本人より観光客が多いような感じだ。
彼らは声が大きく、顔形は似ていてもすぐに目立ってしまう。
一緒に写真をとって国際親善を果たしたつもりになる。
夕食はお城の見える料亭で郷土料理の馬刺し、そして芋焼酎、1年分の豪華な食事だった。




九州旅行初日 鹿児島市内と桜島観光

2010-10-08 | 何でも書こう

この1年間幹事の一人として企画検討してきた九州旅行をついに実現できた。
昔の会社の同じ職場仲間で作った会はこの種の行事をすでに20回以上こなしている。
大きな旅行を隔年で実施しているが今年はその年に該当する。
5日に出発する2泊3日の旅行で、会員の約1/3の11名が全国から参加した。

初日は鹿児島観光、関東からは飛行機で、中国・九州からは列車で鹿児島中央駅に集合した。
空港からの高速バスに早速乗り遅れる者が出て、先が思いやられるスタートになった。
私たちのグループは日ごろの行いが良しとされているのか天候に恵まれることが多い。
今回もまったくの快晴に恵まれ、秋のすがすがしさを満喫できた。

駅前の路面電車の線路はきれいに芝が植えられ鮮やかな緑にほっとさせられる。
観光バスで城山から桜島を眺め、篤姫ゆかりの仙巌園を観光する。
最後に桜島までフェリーで行き、溶岩の後の生々しい大地を見る。
記念に桜島の砂を拾って持ち帰る、先日購入した砂漠の砂と比べてみたいから。

今年は噴火の回数が異常に多いそうでこの日も爆発までは行かないが噴煙が少し上がっていた。
写真は仙巌園からの桜島の眺めである。
翌朝ホテルの窓から朝日に映える桜島の姿も見ることができた。
いずれも雄大で、こんな大都市から活火山を眺められることは珍しい光景かもしれない。


夜は鹿児島市内随一の繁華街、天文館にある有名点で芋焼酎をいただきながら地元の料理を堪能する。
二次会も同じく天文館の飲み屋さんで、終わって三次会はホテルの幹事部屋で。
年齢とともに衰えたとはいえかつての酒豪たち、日付が変わる頃まで大騒ぎとなる。
他の宿泊客への迷惑を考え、また翌日の行程を考えてお開きとなった。