晴耕雨読

長いサラリーマン生活を終え、悠々自適の生活を楽しんでいる60代
と言ってスタートしたがもう古希を迎えた

明日から新年度 若い人たちに頑張ってもらいたい

2011-03-31 | 何でも書こう
散歩がてら近くの生協の店に顔を出してみた。
店は照明を半分以上消灯して暗くなっている、どの店もこのくらいの節電はしてもらいたいものだ。
商品の棚は欠品が目立合っている、産地の状況や物流から考えて当然かも知れない。
話に聞いていた通り納豆、食パンはすぐに売り切れになるそうだ、買い占めもあるのだろうか。

納豆は血液サラサラに効果があるというので数年前から毎朝食べている。
その頃その店でたまたま計った血圧が150くらいあったので、食べ始めることにしたのだった。
納豆の効果なのか偶然なのかは知らないがその後血圧は正常に戻っている。
当分口にすることができないかもしれないがすぐに影響が出ることもないだろう。

さらに10分ほど歩いて入ったスーパーでは食パンが1家族1種類という限定で売っていた。
我が家は米食なのでパンを食べる機会は少ないが1個だけ買うことにした。
昨日はおもちゃドクターの会の資料作りなどで机に向かっている時間が多かった。
1時間余りの散歩は運動不足解消にはちょうど良かったかもしれない。

暦も今日で弥生3月は終わる、明日から卯月だ、新年度が始まる。
いつもなら希望に胸を膨らませた新人たちが入社式や入学式で嬉しい顔を見せる時期だ。
東北地方の大震災の被災地、福島原発の事故、なかなか収まるには時間がかかりそうだ。
今年はどうなるのだろうか、若い人たちがシュリンクしないようにしてもらいたい。

省エネはどのくらいできるだろうか

2011-03-30 | 何でも書こう
日一日と春らしくなってくる、市の中心部まで自転車で出かける。
暖かいと車を使わずに動けるので助かる、30分で動ける範囲は歩くか自転車を利用しよう。
運動不足の解消と省エネになるはずだ。
どこへ行くにも坂道を通らねばならない我が家、そろそろ電動アシスト自転車が必要になるかもしれない。

これから慢性的な電力不足になるはずだが電気自動車はいいのだろうか?
ガソリンを使わない分、排気ガスがないから環境汚染はしないはず。
そうなのだろうか、大きなバッテリーを充電する電力はこれから何で作ることになるのか。
石油エネルギーを使ったのでは元も子もない、本当に環境にいいことになるのだろうか。

石油依存を止めようとバイオ燃料を使おうとした時期があった(今もそうかな?)。
そしたら食料となるトウモロコシなどを使うため価格高騰、品不足を招いてしまった。
何かの一面だけを見てすぐ走ってしまうのは気をつけなければならない。
補助金付きで電気自動車を普及させている現状を見て大丈夫かな、と心配した。

便利さに慣れ切ってしまった我々日本人、今深刻な電力不足に直面して省エネ対策は真剣に考えるべき時だ。
戦中に生まれた我々の世代、あの物資不足の時代から立ち上がってぜいたくになりすぎていないだろうか。
あの時代までさかのぼることは無理だと思うが、石油ショックの時くらいの真剣さにならねばと思う。
街のネオンは消え、テレビの深夜放送は止めた、この程度なら十分我慢できるはずだ。

暖かくなってきた 節電を心がけよう

2011-03-29 | 我が家の出来事
少し暖かくなったので家の近くの川沿いの遊歩道を散策する。
巨大な望遠レンズを付けたカメラを持っていつもの場所で撮影する人が4,5人いる。
カワセミがいつも来る場所でベストショットを狙っているのだ。
聞くところによればそこはカワセミのトイレなのだとか、いつも必ず来るようだ。

東北地震の被災地では厳しい避難生活が続いているのに実にのどかな光景だ。
私の散歩も申し訳ないとは思いながら運動不足解消に一見のんびりした行動をしている。
原発の状況はなかなか前進しない、命がけで鎮静化作業をしている作業員の安全を祈るのみだ。
居ても立っても居られない何とも言えない不安でじっとしていられない。

せめてやれることは節電を徹底することだ、我が家ではまず家電の待機電力を徹底的に少なくすること。
夜中でも部屋のあちこちでLEDが点灯している、できるだけ消すようにしている。
多少の不便は我慢すればいい、テレビ、電子レンジ、エアコン、等々すべてコンセントを抜くことにした。
早寝早起きを徹底して自然の恵みを受ける時間を延ばすようにすることも大事だ。

今後原子力に頼らないことに方針が決まると慢性的な電力不足は避けられないだろう。
その時に備えて無駄の排除を真剣に考えなければならない。
私が子供の頃は風呂場は電気がなくて石油ランプを使っていた、風呂は井戸水をくみ上げるのが仕事だった。
そんな時にまで遡ることはないが、昔の生活に少しは戻ることを考えた方がいいのではないだろうか。

久々の野球対外試合 目標ができた

2011-03-28 | 趣味の仲間
平均年齢70歳のわが野球チーム、毎年行っていた合宿を中止することになった。
その代わりに対外試合をやることになり、相手をしてくれそうなチームを探していたが新市内で見つかった。
平均年齢は10歳ほど若く、全国的な対外試合を継続しているチームだった。
私たちと同じく地元の子供たちの野球チームの面倒を見ていた人たちの集まりがそのままチームとなった。

これからも継続して相手をしてくれるというが果たして試合になるのかが大問題だった。
幸い昨日はレギュラーのバッテリーが不在で少しは力を落としたチーム構成だったようだ。
わが方も故障者続出でベストメンバーとは言えないが久しぶりの対外試合で全員張り切って臨めた。
試合は接戦となり結果的には6:5で負けたが、惨敗でなくほっとする。

私自身は先週に引き続いて投げるときに右肩が痛くなり、遠投が全くできない状態だった。
先週はそれでも横投げで何とか投手役ができたのだが昨日はそれもできず、球の来ない予定のライトとなる。
ところが皮肉なもので相手は左打者が3人もいてライト守備が忙しくなってしまった。
案の定来る球をまともに捕れず、返球することもままならず、というお粗末を演じる結果となってしまった。

個人的には大いに反省材料が残り残念だったがチームとしては負けたとはいえまずまずの出来だった。
これで何とか毎月定例的に相手をしてもらえることができそうだし、チームとしても楽しみが増えた。
目標ができたのでこれからの練習も実が入ることだろう。
右肩の神経痛?を早く治して戦力の一端になれるようにしたい。

孫たちとの楽しい4日間

2011-03-27 | 家族
次女が孫2人を連れて里帰りし、3泊4日を我が家で過ごした。
例によってものすごい子供のパワーを見せつけられ、へとへとになった4日間だった。
何を見せても興味を示し、次から次へと手を付けていく、部屋の中はどんどん散らかっていく。
幸いおもちゃは預かり物や部品欠品のものなどがたくさんあって遊びには事欠かない。

ラジコンカーは壊れたのをもらってきて治したもの、家の中であちこちぶつけながら大喜び。
風車を作ってやった、風が強かったのでよく回る、寒い中で相手をするのが大変だった。
自転車の練習をする、これもリサイクル品を自分で治したものだ、近くの遊歩道で安全に楽しめる。
凧揚げもする、ビニールシートに竹ひごを貼り付けただけのもの、公園でよく上げることができた。

おもちゃのほとんどは新しく買う必要はない、物を大切にする気持ちが自然に育ってくれるだろう。
今回の地震であまり外出もせず、恐ろしい記憶で面白くなかった孫たちにはいい里帰りだったろう。
出すものすべてを楽しんでくれてこちらも楽しい時間だった。
皆が帰っていつもの静寂が戻ってきた。

プロ野球 セパ同時開催

2011-03-26 | ニュースを見て
プロ野球の世論、選手会の意見等に負かされてセパ同時開催がようやく決定した。
セリーグ(というより巨人軍か?)のわがままが通らなかったのは正解だと思う。
今の状況を感じないような主張をして世間の顰蹙を買ってしまった。
空気を読めないようなプロ野球の球団ではファンがどんどん離れてしまうだろう。

開幕が遅れた分は試合数を減らせばいいと思うがそうはしないようだ。
選手に負担がかかるのは明白だがこれでいいのだろうか。
少ない試合数でも内容が充実した方がファンにとってはありがたいと思うのだが。
大相撲の二の舞にならなければいいが、ファンあってのプロ野球だということを忘れてはならない。

それにしてもパリーグの決断は早くてまともだった。
野球の内容も面白く、こういう格好の良さを見せつけられてファンはパリーグに靡くだろう。
いつまでもセリーグが人気あると思いあがっているととんでもないことになるだろう。
新井選手会長は最初から最後まで頑張ってくれたと思う、プロ野球のためにも、ファンのためにも。

原発事故なかなか収束しない

2011-03-25 | 何でも書こう
一昨日の福島原発での黒煙が上がった事故は収まったというのでまずはほっとするがこれでいいのだろうか。
モグラ叩きのようになってはいないだろうか、次から次へと新しいことが発生してはいないのだろうか。
ニュースを見るのが怖くてテレビはなるべく点けないことにしている。
現地で懸命に作業をしている関係者の皆さんに期待するしかない。

作業員が被爆したというニュースが入ってきた、原子炉の近くでは相当の線量になっているのだろう。
犠牲者を出さずに早く収束してくれることを祈るだけだ。
対応が後手後手になっていることは事実だと思うが今そういうことを責めてはいけない。
必死になって日本のために戦っている人たちにいろいろな人たちの頑張りに期待しよう。

飲み水に放射能が見つかったという報道、直ちに健康に影響することはないといわれても心配する。
いたずらに庶民の心配を増大させるような報道は控えた方がいいようにも思うがやはり真実は知らせるべきだろう。
昨日も余震が何回か感じられた、何とも言えない不安がいつまでも続いている。
心配ばかりしてはいられないが、何をしていればいいのだろうか。

ガソリン不足は当分続くのか?

2011-03-24 | 我が家の出来事
新しい発表では我が家は計画停電の範囲外であったということが分かった。
市内の知り合いの家がもう何回も停電になっているというのにおかしいと思っていた。
喜んでいる場合ではない、できるだけ節電には協力しなければならない。
私たち年寄りはあまり贅沢ではないので我慢できるが、若い人たちは耐えられるだろうか。

東京都の水から放射能が既定値以上に出たというショッキングなニュースが入った。
金町浄水場で取水したものの数値が上がったらしく、23区に町田市まで使用しているという。
神奈川県は問題なしというがいずれ同じことになるのかもしれない。
雨に混じってきたのかもしれないが、早く収まってくれるだろうか。

昨日は近くのスタンドでガソリンを入れたが、待つこともなく満タンで入れることができた。
食料品は生協の宅配を利用しているが、今回は欠品が多数あった。
産地から輸送ができないのだという、物があっても送れないのでは生産者も気の毒だ。
まだまだガソリン問題は解決していなかったようだ。

地震後初めての自転車ボランティア

2011-03-23 | ボランティア
地震後初めて自転車ボランティアに出かける、この施設の利用者も休みとなっていたので同じく初出勤だ。
幸い施設の被害はなく、利用者も皆元気に出てきた。
これまで職員は休まず店舗は開いていたが、地震以来自転車の売れ行きは絶好調だったという。
ガソリンの入手が無理だったので皆自転車を欲しがったのだろう。

そんな状況だったらこの10日間家の中で何もせずにいたことを悔やんでしまう。
なぜこういう場合に自転車が必要になることにすぐ気が付かないのか、やはり危機管理の不足なのだろう。
たいした技術力ではないが自分の持っている器用さが活用できたはずだった。
後悔先に立たず、悔やんでも仕方がない、1台でも多くの自転車を整備しようとフル活動する。

久しぶりの仕事で疲れた、もっと効率よく働きたいが時間の大半は工具や部品を探している。
週に1度の出勤ではこれを改善することはなかなか困難だ。
新しく入ってきた職員にはその辺のことをよく伝えておきたい。
昼休みにも大きな余震が来た、利用者たちは机の下に潜り込んだがこういう訓練は最低必要なのだろう。

春近し だんだん暖かくなった

2011-03-22 | 我が家の出来事
暑さ寒さも彼岸まで、昨日は中日だ(NHKのニュースで「なかび」と読んですぐに訂正があった)。
この冬は世話になった湯たんぽを昨晩から止めることにした。
体力に自信がなくなり、少しでも寒いと風邪をひくような気がして用心のために使い始めた。
寝る前に熱い湯にすると翌朝まで十分保温されていて快適そのものだった、また来年までお蔵入りとしよう。

昨日は一日中雨でついに一歩も外へ出ずじまいだった。
玄関わきに植えてある梅の木にスズメが沢山来るようになってにぎやかだ。
せっかくきれいに咲いた花を突っついているようだが蜜があるのだろうか。
実を結んでほしいが花がなくなってしまうのではないかと心配だ。

リサイクルセンターで壊れて動かなくなったおもちゃ(ラジコンカー)をもらってきてあった。
何もすることがないのでそれを分解する、おもちゃはとにかくビスの数がやたらに多い。
時間をかけ楽しみながら分解する、暖かいので暖房なしでできるようになったのがうれしい。。
モーターなど部品として使えそうなものを取り出した、またがらくた箱が満杯になってしまった。

資源回収からから20万円の義捐金

2011-03-21 | ボランティア
月に一度の資源回収日、我々野球の仲間で始めてから18年経った。
自治会内で回収した新聞紙などの売り上げ金、また市から奨励金をいただいている。
わずかずつではあるがこれだけの期間ためると、「ちりも積もれば…」である。
皆に諮って東日本大震災の被災者への義捐金にすることにした。

今回の震災で苦しんでいる人たちにできることはこれくらいしかない、と全員が賛成してくれた。
今回は特別だ、我々がぜいたくな暮らしをできるのは福島の原発に追うところがきわめて大きいのだ。
思えばこの活動を始めてすぐに奥尻島での地震・津波災害があった。
その時も皆で義捐金を送った、それ以来阪神淡路大震災など何回かの天災の度に僅かの協力をしてきた。

昨日は自治会員へティッシュペーパーを配る日でもあった。
1年間協力してくれた人たちにお礼も含めて100%リサイクル品を配っている。
スーパーの商品棚から消えて、欲しくても買えなかった人たちもいて大変喜んでもらえた。
事前に予約してあったので手に入れることができたのだが、これで良かったのかどうか複雑な気持ちだ。

資源回収の後はいつもの野球の練習日。
動くと汗ばむくらいの陽気になり、はほぼ全員が参加した。
久しぶりの紅白試合ができ皆満足した一日だった。
来週は他流試合が予定されている、果たして試合になるだろうか心配だ。

おもちゃの修理を始める

2011-03-20 | ボランティア
遂にこの1週間は外出らしきことはしなくて家に籠りっ放しだった。
原発事故の鎮静化は徐々に効果を出しているような気がする、このまま収まってほしいものだ。
何をするにも落ち着かないが、とりあえずおもちゃの修理を始めた。
今月初めに市内の子どもセンターから預かったアンパンマンのマイクロフォンを手始めに。


スイッチを押しながら話すと拡声器になり、声に合わせ口をパクパク動かす面白いおもちゃだ。
口が動かないという症状だったので分解してみたが例によって細い配線に悩まされる。
1か所をいじっていると他の線が切れたり、切れかかったりでなかなか思うように前進しない。
続ける根気がなくこの状態で3週間放置しておいたのだがようやく重い腰をあげて取り組んだ。

すべての線を取り外し、長い線に取り換えて動作状態を確認することから始める。
急がば回れのこの作戦が成功して何とか正常に復帰させることができた。
ラジオを聞いたり、テレビを観ながらの修理なので半日以上を費やしてしまう。
折角治したものをすぐにでも届けてあげたいが、この時期無駄な動きはしまいと来月まで待つことにする。

地震発生からはや1週間 

2011-03-19 | 何でも書こう
地震発生から1週間が過ぎた、この間何もしないであっという間に時間が経っていく。
我が家では昨日も停電はなく普通の生活ができた、有難いがこの便利さを享受していいのだろうか。
原発の鎮静化作業は続いているがなかなか成果は出ないように見える。
高放射能化で人海戦術しか手がないのだろうが全世界が注目している、期待している。

進行を止めているだけでも成果があるということなのかもしれない。
自衛隊、消防隊、まさに総力戦になっている、司令官の命令のもと前線に出る兵士たちに期待するのみだ。
我々後方部隊ができることは何か、考えても名案は浮かばない。
ただただこれ以上悪い方向に進まないよう祈るだけだ。

近くのコンビニに顔を出してみた、水や弁当、トイレットペーパーなどは入荷し始めているという。
一時のパニックは収まったのかもしれないが、ガソリンスタンドはまだまだのようだ。
それにしても昼だというのに蛍光灯が全灯、誰も無駄を感じないのだろうか。
現地から300km弱離れたこの地でこんなに他人事のように緊張感なく暮らしていていいのだろうか。

計画停電を知らせる防災行政無線ののんびりとした声が聞こえてくる。
エコーの影響を防ぐためには早口で話せないのかもしれないが、あれで緊急時に使い物になるのだろうか。
我が家は市のはずれでもあるので隣町の声も聞こえる、何を言っているか非常に分かりずらいが。
今回現地では役に立ったのだろうか、別な伝達手段の検討が必要ではないのだろうか。

できることは節電くらいか この際周りを見直そう

2011-03-18 | 何でも書こう
携帯電話に入ってくる緊急地震速報も相変わらず止まない、余震がしばらく続くのだそうだ。
我が家では昨日も停電はなく不自由しなくて済んだが、停電になったつもりで節電には努めている。
日中は日当たりのある場所で暖を取り、トイレの暖房はもちろん電気機器の待機電力はすべてOFFだる。
もちろん車での外出はしない、不要不急の外出は避けている。

昔石油危機の時にはネオンサインなど消灯したことがあったが今はまだ現実感がないのか実施していない。
コンビニの電灯も相変わらず明るすぎるくらい煌々と点いている、半分でも十分と思うのだが。
ガソリンスタンドもタンクローリーが来た途端に長蛇の列になるとか、我も我もと並ぶ姿は浅ましい。
首都圏に住んでいる私達が安寧に暮らせるのは福島・新潟が原発を背負ってくれたことを忘れてはならない。

原発避難の人たちを東京でも受け入れを始めたというニュースが流れている。
交通網が回復したらどんどんこちらの方へ逃げてきてもらいたい、辛さを分かち合えるかもしれない。
私たちでも協力できることがあるかもしれないし、敏感でない人たちも苦しみが分かるだろう。
消防車からの放水の効果を期待したい、決死の覚悟で放水してくれた消防隊、自衛隊には頭が下がる思いだ。

被災地は雪 皆さん頑張ってください

2011-03-17 | 何でも書こう
予定されていた停電は昨日も実施されなかった、有難い話だが無駄遣いはしないよう気を付けている。
居ても立っても居られない状況は続いている、何かをしていないと落ち着かない。
緊急時に備えて懐中電灯3個に乾電池を入れ替えた、内1個は接触不良があったので分解修理。
ラジカセ2台にも乾電池を装填、調子の悪かった携帯ラジオは分解修理をする。

九州の友から見舞いのメールがくる、かの地でも物品の買占めがあるという。
人の苦しみを分かち合おうという気はないのだろうか。
先日この非常時における日本人のマナーの良さを褒めた記事が中国の新聞にあった。
それに恥じない行動をしていきたいものだ。

我ら年寄りができることは無駄遣いの禁止、節電と義捐金くらいだろうか。
わずかではあるが義捐金を届けに郵便局まで歩いて行ったが、街は人影も少なく静かなものだった。
年金暮らしの我々は食い扶持などはわずかなものだ、できるだけ被災者の役に立ちたい。
個人的に救援物資を送ることができない以上、この程度の協力をするのが精一杯だろうか。