福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

検索エンジンに引っかからん

2018年10月31日 | Weblog

今まで、検索でトップページに載っていたのに

す~べて消えてしまいました・・・

 

誰が、こげ~な事するっちゃろう・・・やってくれるやんwwww


だあれじゃ~ 誰がすっとじゃ~ぁ コげな事~ォ っと 毒づいてみる。


ペコリ。


やって良い戦い

2018年10月21日 | Weblog

4~5年前の記事っすがぁ~ スポーツの秋なのであげました・・・


サッカーの県大会・・・

我が息子の所属するクラブチームが第一戦目から優勝候補チームに

あたり 玉砕してしまった。

彼の県大会出場に至る迄の意気込みを知っていたせいか 

最後、集合写真に写される時の顔が痛々しかったのだ。

まあ 悩め 悩んで 大きくなるのだ このような機会が器を大きくするのぢゃ


青春期は失恋かスポーツ若しくは受験イズレかで悔し涙を流すように

なっちょる!同じ涙を流すのなりゃ スポーツの方が健全だ。

こりゃ人間形成でとても大切な通り道なのぢゃ。


しかし 本人にしてみりゃ 今、とても苦しいことにゃー代わりないはず。


我が息子ながら この競技に対して 非常にストイックな精神で取り組ん

でいる事に誇りを持っていると言えば親馬鹿と言われるかも知れぬが 

私の様な半端な人間等とは大違いの様だ。


それから、チーム全員、短期間でありながら 技術面で凄い成長を遂げ 

監督、コーチ達の優秀さに頭が下がる思いだ。

何故か 今日の試合を見て 昔、お世話になった剣道の恩師達の

顔が浮かんだ。


「勝ち負けが目的なのか?それで良いのか?」と基本から外れ理に

合わぬ剣を振り回した時、いつも叱咤されていたのだ・・・

面がねの細い隙間から 遠くの山を見つめるようにして 拙い私を諭し

正そうとする力強き声・・・


昔 先生方の補佐をしている時 勝ち負けに、こだわる少年剣士の

親御さん達から「先生!勝つ剣道を教えて下さいよ!」迫られた事

があって困ったが神様みたいな師匠に「勝ち負けではない!」と 

普段から 一喝されておったので板ばさみになって困った事があったが


道場の子供達の剣さばきは一流で、他の道場主や先生方の絶賛の的

だった・・・だが、試合に勝てない!技術は一流で何故にと考え込む私

あの時の私はアホで未熟者だった・・・

子供を育てた この歳になって 要訳、本当の意味で答えを悟る事が

出来たのかもしれない。


相手に勝つ方法・・・

「気・剣・体の一致」は何百年も前に 勝つ教えの極意として、この競技で

徹底周知されていたのだ。

ひょっとして 先生はわざと 黙って居られたのかも知れない。

もう一人の先生も気さくな方で「はあ?それが、できりゃー大した者!」

とカンラカラカラ笑っておられた・・・


入門したての 小学生の時代に先ず 結論として指し示してるんだも

ん・・・コレを体得せよと「お題」を出しているんだもん。

道は甘くはないぞと師匠達は楽しむ雰囲気さえ見せてたっけ。


勝つという事は 幾ら技術が勝っていても 最後には精神力が大切なのだ


悔しい 絶対に諦めぬ 今に見ていろ という執念がないと勝ちを取る事

はないのだ。先生方があえて この部分の成長を本人に任せているのは 

他人があまり言い続けると 義務になってしまうからだと思われていたの

ではないか・・・スパルタでやるのは簡単な事だが、それで本当の精神力

が芽生えるのか・・・人間としての大切な部分まで 削いでしまう事に

ならぬかと深い思案があったように思ふ。


私のような者より わが子の方が先生方の覚えめでたかった事だろう。

向いていたと思う。昔 幼少期の息子を道場に連れて行ったとき 

小学生の年上のお兄ちゃん達に「キャプテン」と

あだ名をつけられそれを見ていた先生が「もちろん 剣道をさせるよな!」

「是非も無く!」と、お応えしたが

当の本人は異国の球技を選んでしまった・・・

このような仕儀に相成った以上 頑張ってもらわなければ・・・


しかし 先生は「好きな事をするのが一番!」と頷かれたんだろうな 

あの神様の様な達人は人に押し付けることを一番嫌っていたのだから・・・


今回 戦いに負けて 悔し涙を流す息子達を見て 如何言葉をかけたら 

良いのかと思案の末 師匠 先生方の顔が懐かしく思いだされたので

あった


一流の指導者の共通点は 目先の勝ち負け等に一喜一憂せず、

じっと 基本に忠実に選手を育てて行くようだ。 メンタル(気)の部分に関

しては本人達自身に悟らせる事を旨とするようだ。

「悔しいか? 悔しければ コレをバネにして這い上がってこい!」と、この

一言以外に責め立てる事など 一切無用なのである。

好きな事をしているのだから・・・


成長の段階での技術的な未熟さを責めて 自信を失わせるのが勿体無

いとも思われていたみたいだ。それから 折角 剣道に入門してくれた弟

子達に勝つ事ばかりを強要して 剣道を嫌いになってもらいたくないという

剣道人口を広める使命感みたいな お気持ちを察した事があったのだ。


武道の達人でありながら 弟子の立ち位置で物を考えられていたのでは

ないかと 感動させられた事もあったのだ。

息子の監督も同じことを言われていたらしい。


先生はいつも「何度も 稽古して 頭で考えなくても 技を体が覚えている

ようにせよいざとなったら 条件反射のように技がでなければならない」と

も 仰っていた。


流石、普段に命がけで任務に就く 現代の武士ともいえる 警察官の言

葉だった。


 


今日の息子達の試合を見て 気づいた事だが 彼自身は相手のレベル

が高かったと珍しく弱気だったが 技術的には如何見ても互角のように

思えた。じゃあ 何処がちがったのか・・・


相手チームは 戦争しにやって来ていたのだ。息子達の怪我による負傷

者の人数の多い事。息子達はメンタル面でも負けたと思い込んでいるよう

だが ありゃあ違う 喧嘩に負けたのだ


「お前らなんかが 俺らに勝てると想うなよ!」とこの気位がお前達を 

負かせた敗因なのだ。

だから 思い通りにならぬ時 羽交い絞めしたり 殴ってきたりする。

 

こりゃ 一流選手にもタマに見られる光景なのだ。

 


思っていた以上に技術があったりすると「小賢しい奴め」と闘争心が余

計に増し 気迫に満ちた攻撃に一瞬ポカーンとしてしまい 剣道で

言えば「居ついた状態(びっくりして次の動作に移れない)」になってしまい

つぎつぎに点数が入っただけなのだ。

 

だから強豪チームと言われる所ほど 監督や応援側の叱咤・怒号が多い

のが現実なのだ。


スタミナ面は 相手側は何も 無理をしてつけているのではなく ありゃ 

闘争心でアドレナリンが噴出し 2-3日寝なくても戦えるだけの持久力が

自然に付いたのだ 恐らく、少々の負傷で 引き返したりしないだろう。

(メンタルという言葉は捨て 闘争心にすべし)


断っておくが 私はこれはこれで 否定等しない 雌雄を決める試合

はこれが当たり前なのだ。勝負の世界はとても厳しい・・・

況や これは球技というより 格闘技なのだから・・・

どちらが 雄でどちらが雌か?雄の気性はとても荒く 相手を叩きの

めしてのし上ろうとするのが雄の性質なのだから 綺麗事では勝てっ

こないのである。


言い換えれば 世の中で 唯一体を張って やって良い戦争 それが

スポーツなのだ。


だが 一流の指導者は 一時の勝ち負けより もっと 其の奥の景色が頭

の中に描かれているのだ。私は、今回 改めて 監督、コーチ達に心から

感謝して頭を垂れたのだった。モット モット 息子の夢が長く続きますよう

に お世話をお掛けいたしますとね・・・


蓮の花は泥の中で育つものだ・・・どろどろした汚泥に揉まれて大輪

の花を咲かせるのだ。(こりゃ 法華経の精神だな)

息子よ お前は 泥の中に埋もれるな! 打ち勝つのじゃ 拙者のよ

うになってはならぬ!



PS 中学校の担任の先生も、わざわざ観戦に来てくださった 息子は良き

指導者達に恵まれて 親として感謝の気持ちで一杯だ。 少年時代のクラ

ブチームの恩師・親御サン達も素晴らしい人達に恵まれた・・・息子が途

中入部してきたせいで我子がレギュラーの席を失っても チームを強くす

るためと否な顔一つ見せず 受け入れ 応援してくれた方達は今でも

妻を通して親交が続いているみたいだ。


親がすばらしいから選手(子供さん達)も一流だ。(わしゃ 違うよ

こりゃ いまのクラブチームにも共通している事だ。彼(息子)はこの時点

でも サッカーを通して 手に入れた物が大きいのだ。龍馬も北辰一刀流

の剣術を通していろんな人々と出会えたのだから 特技を持つっちゅうの

は 良いこっちゃね。



   


   


大切な家族

2018年10月18日 | Weblog


2011年3月21日の過去記事

あれから7年以上経つんだなぁ~

面白い話を期待している方達に申し訳ないと思いつつ 秋の思索っちゅうことで

次は面白い事書きますのでご容赦の程を・・・


まず・・・・

被災で亡くなられた方々に哀悼の念を送ると共に、ご遺族の方々の再起を

心から願っております。


余りに重すぎる事態なので ブログ更新できずに居ました。

惨状をテレビを通して知り、何か出来ることはないかと

古着を集めていたら、返ってゴミになり 迷惑がかかるとの事、とりあえず

自分達に出来る事、節電や僅かばかりの義援金で応援しております。


被災の2日前 我が母が大手術をしました。

ひょっとしたら 駄目かも知れぬと 私は術前の母には絶対に見せては

ならぬ醜態を晒してしまうのでありました。

 

ひょんな言葉が琴線にふれ 我慢していた感情を抑えきれず 


子供のように泣きじゃくる不詳の息子(私)・・・

 

「母さん・・・せめて せめて 最低 百歳迄 生きてくれよ!」

と涙を流しながら 改めて私はこの人から生まれて来たのだと再認識し

感極まってしまったのです。

 

母を喜ばそうと覚えた寿司も もう食べさせることができない・・・

昔、病弱だった母、私が幼少の頃から、「長生き出来ないかもしれない」

とずっと怯えて生きて来たので いよいよ この時が来たのかと腹を括ろうと

したのですが 人の親に成ったとはいえ 今でも「父さん!母さん!」と

いつまでも 息子で居たい私の心は少年に帰っていたのかも知れません。

母はなんとか手術が成功し 家族一同手を取り合って喜びました。

 

思い起こせば十数年前  私の結婚式直前一週間前に可愛い盛り 

2歳の姪が不慮の事故で死んでしまいました。

お地蔵様の様に冷たく変わり果てた亡骸を抱きしめ 

 私の体温で生き返らないかと何時間も私の頬を彼女(姪)の頬に

押し当てていたのを思い出しました・・・あの時の寂しくて辛い気持ちは

トラウマになって中々癒える事ができませんでした。

 

当たり前に一緒に居るはずの肉親が突然居なくなる時、人は生涯の中でも

 最高の悲しみを知るのかも知れません。

 

被災され、当たり前に居るはずの家族を亡くされた方々の気持ちを

思うとき、かける言葉が見つからない・・・

 

唯、私なりに信じている事があります。悲しさは癒えないかも知れませんが

姪が亡くなって時が過ぎ・・・家族の中にも新しい命が芽生え成長して

我が息子も娘も姪もワンちゃんも 昔から居た様な顔をして

当たり前の様に生活しています。

そして、今までの景色が変わったなと実感した時・・・

我が娘、姪達が近所の子供達と花見をしていました。

ケラケラと桜色に彩られた公園に響く幸せそうな笑い声・・・

「小学生が花見か・・・」と微笑ましく眺めていて ふと思ったのですが

ひょっとしたら、この光景は十数年前、ご近所で亡くなった叔母さん達、祖母が

生まれ変わって、亡くなった姪と一緒に花見をしてくれているのかも

知れない・・・・

嗚呼、絶対にそうだ!と そう思った時 突然、感動の涙が止まらず悲しみの

呪縛から解き離れるのでした。


亡くなった肉親と再会する日は必ず来るから 負けないで頑張ってほしい・・・

帰ってくる魂の居場所が幸せで明るい場所であってほしい・・・

だから 「希望を捨てずに」と 心より願っております。

 

PS コスタリカに居るはずの自慢の後輩が突然ウチに来ました。

  「川村さん!」顔は赤く日焼けして 白い歯をニッとむき出し

  懐かしい笑顔で立っていました。

  「晋!」

  彼も父の病で急遽、帰国したみたいです。

  今はコスタリカの大使館に勤めているとの事・・・

  幕末好きの私は、やんちゃな高校生の彼に「平成の高杉晋作に成れ!」

  と冗談っぽく言っておりましたが 「軍隊を持たない国を見てくる」と志高く

  洋航行きを決めたのでありました。(彼の家は長州藩出身)

  立派になった彼を見て、少し気持ちが明るくなりました。




2度目の台風

2018年10月06日 | Weblog

台風、結構凄かったっすなぁ~

でも、昔に比べれば 全然大したことないような気がします。

 

今日は、雨が降らんときゃ~窓を開け 「天然扇風機ぢゃあああああ!」と涼んでおりましたら

何処からともなく オッサンの猿股が飛んできて 我が家の壁に、へばり貼りついておりました。

(誰の物か わからん!若い女性の物ならいざ知らず こりゃあ 明らかに60歳代以降の物で

 あることは必定!ウンコでも ふっついとったら 大変な事だっ!)


気色が悪いので 風にあおられながらも トマトの苗を支えた棒で 

恐る恐る 取り除き 風任せ 強風に持って行かせたのであります

 

嗚呼~その後の行方は分かりません。

ひょっとしたら 誰かの車のフロントガラスに貼りついて 事故になったのかも知れない・・・

そういえば 救急車のサイレンがしたので 「うっ!まさか まさかっ!」と

小心者の私は 塀の陰で風を避けながら ブルブル子犬のように 震えていたのであります。

 

まあ ともあれ 大したことが無くて良かった良かった~と 取り留めのない話で締めくくってみる。