ある日 知り合いの女性が助けを求めてきた・・・
夫からの言葉の暴力に苦しんでいるらしい つまり モラハラって奴だ。
私が いつも この場所に居るのが判っているので 困りごとがあると
たまに 飛び込んで来る方達が おられるのだ。
先日は高校生が飛び込んできて 自転車のタイヤに空気を入れて下さい
と来たし、街の交番みたいな事になっている・・・
ご先祖様に 近衛兵が居たらしいので 人助けしなさいと言う事なのだろ
うと、喜んでやらせて貰っている。
※妻は近衛兵を「ごんべえ」と読みやがったが
「アホ!文武に優れ しかも容姿端麗 陛下をお守りした このえへいじゃい!」
と一喝したのである。
此間は ご近所の方から トある相談を受けたが 非弁活動になる
ので法テラスを教えて差し上げたyo
普段、道を尋ねられる事が多いが 今回はいつに無く尋常じゃない・・・
先ほどのつづき・・・
事の仔細は割愛するが トある宗教団体に所属している旦那の事で
相談を受けた。何分熱心な活動家なので 人間的にゃ 当然人格者だ
ろうと思いきや さに非ず!とんでもないモラ夫ぶりにゃ 驚きを超え
お気の毒でならない 何のための信仰しておるのやら...
仏教の強信者がモラ夫となれば 全く効き目の無い飴玉を薬と勘違い
して 服用しているようなものではないか・・・なあんも 効いとらんやん!
余程 インチキな教えなのだろうと思ったがその宗教の教義事態はどう
かと言うと いや なかなか大して立派な物だ。間違っとらんやん!
ほんじゃあ 立派な教えを受けながら何故?
で、今回のテーマは「諸悪の根源」・・・
これは 大きく 論じれば 社会全体にも言える事なので
私なりに ぼやいてみたいと 思う。
じゃ 何故 教義が立派なのに それを受けた人間に歪が生じるのか
結論から言うと・・・経典の運用が歪曲されておるのではないかと思う。
まあ 簡単に言えば 立派な教えも餓鬼供の都合でよがめられて
正しく伝わらず 訳のわからん 宗教運動に時間を割いてしまって
真面目な信者さん達は奴隷にされているのではないだろうか?
つまり 百歩譲って 悪意を除けば 運用の誤りと言うことになる。
世界レベルでも見受けられる現象で紛争の源なのだ。
実際、この旦那は 教団内じゃ 面倒見の良いやさしい男なのだが
身近な家族にゃ隷属を強いる・・・
(ははんーこの人は 仏教の本義を知らぬな)
当に この宗教団体を象徴している様な感じだ。
(自分らの事は棚上げでよく他宗批判できるなあ 摩訶不思議な人)
家庭不和が多く 離婚する人達もかなり多いと聞く・・・
活動時間がハンパなく 家庭を顧みない傾向にあるらしい・・・
この経典の肝心は何かと言えば 極簡単にまとめ上げれば
「自分以外の存在に感謝し敬意を持つこと」 至ってシンプルだが・・・
宗教というのは 簡単すぎると 「なあんだ」と見向きもしないのが
人間の性らしい・・・しかし その当たり前な事が伝わらず お布施じゃ
勧誘じゃ 集会じゃ!あげくにゃ 政治活動を強いられると聞く。
その割りに 結果論で言わせて頂ければ 政治で世の中良くなった?
余計悪くなった様に思うのだが・・・
増してや 依教の経典は漢訳無しでは 意味が判らない物なので
これを良いことに 自分らの儲けの為に 信者達に ご都合教義で
精神的に縛っているのだ。運営側に問題があると言えるだろう。
補足だが 意味は判らぬ方が良いらしい・・・じゃあ 何のための
集会なんだよって 突込みを入れたくなるのだ。
ただただ まじないが如く お題目を唱えるのが 宗教っぽいのだが
その他の活動である教団への利益誘導運動の方が速攻で
ご利益を受けるとの事が いつの間にか暗黙の了解となっておるようだ。
そげな事ぁ 鎌倉時代の宗祖は なーあーんも 言っとりゃせん・・・
しかし 考えてみても 滑稽な話 仏教の本義は「おまじない」だろうか?
例えば 飯を食いたいと思っている貴方が トある販売店で
最先端の技術を売りにする 炊飯器を買った。
「とても 便利で画期的な炊飯器!」が売り。
だが、この器具を備えて 待てど暮らせど 飯は炊けない。
煩わしい事は一切抜きで まじないだけで米が炊けるというのが売りだ。
炊飯器にむかって 「米よー炊けろ!米よー炊けろ!」と
まじないを何時間も唱え 肝心である 米を炊く作業が省かれるので
イツマデ経っても おいしい ご飯にありつけないのである。
「おいおい 本当にまじないかよっ!?」
傍らで 放られた子供が叫んだ!「いい加減にして 外食しようよ!」
人の良い知人の あの人からの紹介で買ったのだ インチキな物では
無いはず・・・と 何度もやるが 飢餓状態は続くのだ。
いつまでも米が炊けず 訝しく思った貴方は これを作った メーカーに
直接電話で問い合わせようとするが とっくの昔に存在しない・・・
仕方なく炊飯器を売った販売店に使い方を乞うだろう。
ところが この販売店は本当の使い方を知らず 売り上げが上がり
金儲けができれば 目的達成で都合の良い解釈をしているのだから
使い方など判るはずがないのだ。
利益至上主義のマニュアルを見ながら、相談員はこう言うだろう
「もう一台買えば おいしい米が食えますよ・・・」とか
「誰か、もう一人 購入者を紹介して下さい そしたら 米が炊けますよ」
とか 挙句の果てにゃ
「まじないが足りんのです!もっと 真剣にやりなさい!」
「諦めたら 一生 米を口にするどころか 餓死することになるでしょう」と
こうなるのではないだろうか・・・
ちょっと 勘のいい人なら 炊飯器は止めて 飯ごうで米を炊いて
「なーんだ 良かった!原理は一緒だからね。」と もっと簡単に
飯にありつく事になるかもしれない。
恐らく、このモラ夫の性分は変らないし 教団に餓鬼の都合に使われて
いる事も判らず 女房にお前が信仰しないから 不幸なのだ!
お前が変れ!と怒鳴りつける毎日だろう・・・
因みに この教団のお題目は 直訳すると 「経典に帰命しなさい」
という意味・・・それを何万遍も唱えさせられるらしい・・・
教主の言いたかった事が 本当は別にあるのじゃあ ないだろうかと
思うのは私だけだろうか?まあ その経典に帰命しなさいという言葉より
内容を理解して実践するほうが より幸せになると思うのだか・・・
実際その経典にかいてある事を一つでも実践すれば 如来の使いだ
とかいてある・・・。
(内容の意味は先に言った)
仏法の法とは 読んで字のごとく仏を目指す人々の修行方法であり
法律でもあるのだ。 現代に置き換えて 考えれば判りやすいと思うが
弁護士を目指している学生が内容も判らず「六法全書」と何万遍
叫び続けても 実際に正しく運用しなければ 何の意味もない筈である。
ただ闇雲に六法全書!六法全書!と本の名前を呪文みたいに唱え続け
「私は司法に携わった男だ!どうだ 凄いだろう!お前もヤレ!」と
威張っておるならば ゲッ 気色悪っ!イカレ頭がおる・・・
と道行く人は避けて通るだろう・・・
世の中にゃ 立派な教えや風習というものがあるのだが
営利をむさぼる餓鬼供が先頭に立ち 教義等を意図的に滅茶苦茶に
して日本全体を陥れている気がしてならない・・・
実際に 仏教の経典に 本義を滅茶苦茶に摩り替える悪い連中の事が
詳しく書いている 確か・・・※涅槃経だったか
※爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり
こういう連中が最終的に国の止めを刺すというのだ。
耳当たりの良い グローバル化じゃ 女性の時代じゃ ゆとり等 云々
数を挙げればキリが無いが・・・このままじゃ つぶされっちぃまう!
諸悪の根源である「餓鬼」を封じ込める筈の宗教が 返って餓鬼の
巣窟になっている現実を知らなければ 世の中は悪い方向に加速
して行くだろう・・・否 もう なっとるけん!と突っ込んで
今回のボヤキ おしまい!
PS トある 若者がぼやいていた
若者「優秀な人達は皆干されて 大した事ない奴らが 重宝されるんです
よね・・・あの優秀な人達はどうしたんでしょうね?」
私 「優秀な人達は 派遣労働でこき使われているか もうこの世に
居ないか そこらのコンビニでレジ打ちやってるよ」
若者「?」
私 「自分で考える人間は邪魔な社会になっちまったんだよ!搾取する
側と搾取される側!これに如かず。あんたも侍ならば 常に
危機意識を持って世の中を見据えて生きるべき。」