ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

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太閤(たいこう)摂政または関白の職を子弟に譲った人の歴史の前編

2019年09月23日 | 太閤(たいこう)摂政または関白の職を子弟に譲った人の歴史の前編
太閤(たいこう)
正式名称太閤下は、
摂政または関白の職を子弟に譲った人物を指します。

敬称は「殿下」であり、
呼びかけの場合は

「太閤殿下」となる。

摂政・関白を子弟に譲った者が「太閤」と呼ばれた例は平安時代からあった。

例えば藤原道長は後一条天皇陛下の
摂政を息子より頼通に譲り、
続いて任じられた太政大臣の職も辞任した後は
「太閤」と呼ばれていた。


鎌倉時代の関白
二条良美

は弟の
一条実経
に関白の地位を譲った後に
引き続き内覧に任じられたことから
「太閤」の名乗りを用いた。

その子孫である
二条良基
は13年にわたって
関白を務めた。

直接の血縁関係にない他家
の当主が関白になった後も
「太閤」を名乗って内覧
として権勢を振った。

その後3度も摂関に再任された。

後編に続く


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