太閤(たいこう)
正式名称太閤下は、
摂政または関白の職を子弟に譲った人物を指します。
敬称は「殿下」であり、
呼びかけの場合は
「太閤殿下」となる。
摂政・関白を子弟に譲った者が「太閤」と呼ばれた例は平安時代からあった。
例えば藤原道長は後一条天皇陛下の
摂政を息子より頼通に譲り、
続いて任じられた太政大臣の職も辞任した後は
「太閤」と呼ばれていた。
鎌倉時代の関白
二条良美
は弟の
一条実経
に関白の地位を譲った後に
引き続き内覧に任じられたことから
「太閤」の名乗りを用いた。
その子孫である
二条良基
は13年にわたって
関白を務めた。
直接の血縁関係にない他家
の当主が関白になった後も
「太閤」を名乗って内覧
として権勢を振った。
その後3度も摂関に再任された。
後編に続く
正式名称太閤下は、
摂政または関白の職を子弟に譲った人物を指します。
敬称は「殿下」であり、
呼びかけの場合は
「太閤殿下」となる。
摂政・関白を子弟に譲った者が「太閤」と呼ばれた例は平安時代からあった。
例えば藤原道長は後一条天皇陛下の
摂政を息子より頼通に譲り、
続いて任じられた太政大臣の職も辞任した後は
「太閤」と呼ばれていた。
鎌倉時代の関白
二条良美
は弟の
一条実経
に関白の地位を譲った後に
引き続き内覧に任じられたことから
「太閤」の名乗りを用いた。
その子孫である
二条良基
は13年にわたって
関白を務めた。
直接の血縁関係にない他家
の当主が関白になった後も
「太閤」を名乗って内覧
として権勢を振った。
その後3度も摂関に再任された。
後編に続く