散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

久しぶりの丹沢の山荘での合宿だ

2019-03-29 08:50:05 | 日記

3/27日は、久しぶりに、いつもの4人が集まる青野原のバンガロー(山荘)での

合宿で楽しいひと時を過ごしてきた。このバンガローは、相模原市の丹沢に向かう

途中のにある。我が家から八王子市を経由してのマイカーで出かけたが、途中では、

咲き始めた桜がちらほらと見ることができた。暖かい春の日である。山荘に着くと

友達のオーナーがいつものように、美味しい昼食を準備を始めていた。今日はパスタ

である。厨房から美味しいパスタの匂いがただよってくる。その間、私は、いつもの

ように、コーヒーを沸かして、準備をするのだ。昼食の間は、いつもの近況の話題

になるが、私が足の痛みでの医者通いのはなしで、皆も病気の話になってしまった。

昼食の後は、いつもの近くの温泉へ出かけて、体を温めて帰ってくるのが行動である。

今日も、この通りに帰ってくると、ビールでの乾杯で始まる雑談であるが、暖炉に

薪に火をつけて、部屋を暖かくするのがいつもの行動である。しばらくの間は、

雑談が続くが、今日の夕食は、私が前回の合宿でリクエストしたスキヤキである。

外国産と国産の牛肉が準備してあり、カセット付きのコンロに鍋を置き、スキヤキ

の開始で゛ある。肉は交互に入れたが、どちらかと言えば、少々固い外国産の肉の

ほうが、スキヤキにはあっているようだとの皆の意見であった。美味しい料理を

食べながらのお酒は本当に合っている。夕食後の二次会は暖炉を囲んでの場所

になる。11時頃には、二階の部屋に移って、寝袋に入っての行動となるが。

このような、合宿は、2-3か月に一度実施しているが、いつも、元気の素になっ

ているのだ。

 


鎖国の時代に中国へ渡って帰ってきた人がいたのだ

2019-03-26 11:02:35 | 日記

今は、朝の散歩を中止している。なぜかと言うと、森林公園への散策の

後から、腰の痛みが取れず、医者通いに入っているからだ。今日は、2週間

ぶりに、痛み止めの注射を打ってきた。良くならない時は、手術とのことであるが

しばらく、好きな散歩は諦めなければならない。このブログは、そのため、読書の

感想文などが多くなって行くと思う。今日は、やはり、司馬遼太郎の(韃靼疾風録)

の小説の感想を述べたい。時は江戸時代の初期で、まだ鎖国にはなっていない頃、

主人公は、平戸の庄助と言う若者で、女真族の女性の遭難者を助けるのである。

松浦藩の城主は、貿易を延ばすことから、この侍に、女真族の娘を連れ帰るを命令

し、女真族の国が、この当時、強力な力を持ち始めたことから、明朝が弱なり、

取って代わる貿易國と見なし、派遣することにしたのだ。この後、女真國は、50-60万

人の小国ながらヌルハチと言う部族の党首の手腕から、強力となり、明朝との度重

なる戦いの後に、明朝を破り、統一を果たし、清朝を樹立するのである。しかし、

庄助は、統一した頃には、日本では、キリシタン禁止のことから鎖国を実施し、

外国に渡った人は、帰国したら死罪としたのである。しかし、長崎だけは、キリシタン

でない唐人やオランダ人だけは、入国ができ、このため、唐人に名前を変え、平戸で

遭難した女真族の娘と結婚し、子供と一緒に帰国し日本で暮らすことになるのである。

このように、江戸時代の初期には、多くの日本人が東南アジアに出航して活躍していた

ことが判った。


日本と中国の国の統一を果たした武将は農村出の人だったのだ

2019-03-21 09:10:39 | 日記

今日は、春分の日で、桜の開花が本日には、発表されるようだ。

今回は、最近読んだ司馬遼太郎の(項羽と劉邦)本から感じたことを述べたい。

日本の戦国時代から国の統一を成したのは、実際は、豊臣秀吉であっただろう。

桶狭間の戦いで、この地を統治していた信長が、農村出の日吉と呼ぶこの人を草履取り

として、足軽にして、その後に猿と呼びながら、戦場での才能を認め、大名として

取り上げる。その後、信長が明智光秀の謀反で、その仇を討つことで、全国の統一

をはかっている。

これに、比べて、中国では、数千年まえに、劉邦が項羽を四面楚歌で有名な戦いを

制して、統一を果たし、高祖と称し、漢王朝を発足させている。しかし、この劉邦も、

農村の出で、秀吉とは異なって、農村のヤクザの親分のような人で、その当時、始皇帝が

築いた秦國が、その皇帝が暗殺された後、荒廃したのに乗じて、地方の将官を束ねて

力をつけるのである。この人は、体が大きく、威厳があり人望あり、いつの間にか

その周りを取り巻く韓信などの副官をうまく使い項羽を退けて統一をはたすのである。

このように、日本の豊臣秀吉は、部下を育てることに秀でた能力と、立身出世の中から

偉業を成しげたに対して、劉邦は、うまく、人を手名付けた武将により、周りの状況に

乗って、統一をはたしている。この違いが、何か、現在も続いているように感じるのは、

私だけだろうか。

 


英国のEU離脱に思う

2019-03-18 10:58:32 | 日記

今日も、青空の素晴らしい天気で、遠くに真っ白な富士山が見える。上さんを

青梅まで編み物教室で車で送ってきた所である。報道で似ぎ合わせているのは、

英国がEUに離脱をまたもや延期したことだ。英国が何故に、国民投票で離脱を

選んだかを振り返ってみると、やはり、英国だけでなく、世界的に、移民の問題

が一番の問題のように思う。EUは当初は第一次大戦と第二次大戦でドイツとフランス

との戦争が起こったとの教訓を反省して、フランスとドイツが中心となって

造られたのであるが、その後英国の加入を促し、より強硬なヨーロッバの組織を

つくったのである。この加入した国の間では、人、物、金、サービスなど

が自由に取り扱うことが出来るようになった。このことによりユーロ圏のGDP

は、アップしたが、その反面、国により、その財政の差が発生し、ドイツなど

豊な国はよいが、ギリシヤなどの赤字国を救うために、加入國間で不満がでてきた。

それ以外に、シリアでの戦争で発生した難民をヨーロッパで受ける移民が増加

してきたが、この受け入れた国では、自国民との間に宗教や人種や風習の違い

から溶け込むことが出来ないばかりでなく、国の財政面でも、この移民に対する

負担が大きく、このことを自国民が不満を呈してきていた。このようなことが

原因で、英国でもは、EUを離脱することになったのである。しかし、離脱

すれば、ヨーロッパの国々と自由に貿易が出来なくなることで、GDPは相当に

下がり、暮らしは悪くなると言われていることから、その結論を出す時期を

遅らせているのだ。メイ首相は6月にはその結論をださねばならないが、

どうするのであろうか。日本でも、安倍政権は、相当の外国人を労働支援

要因として入国させる方策を取ろうとしている。将来、移民が多くなって

来た時には、やはり英国と同じような問題が起こりうることになるであろう。

 


夏目漱石の(こころ)に思う

2019-03-15 09:51:06 | 日記

今日も晴天の暖かい朝を迎えた。多摩川の土手を、いつもの半分の距離を

歩いてきたところだ。最近読んだ夏目漱石の(こころ)の本をについての感想

を述べたい。この主人公が、田舎から大学へ入り東京の文京区に下宿するので

あるがこの下宿には、母親と娘が居て、何となくなくそのの娘を愛するようになり

、母親は、将来結婚させる予定である中に、同じような境遇に陥った同じ大学のK

と言う人を、同情するなかに同居するように勧めて、下宿させるのであるが、その

うちに、Kがこの娘を愛するようになってしまう。しかし、打ち気であるちkは

、そのことを、主人公に言えずにいが、本人は、母親に、将来、娘との結婚の約束

を取り付けてしまう。そのことを、数日後、Kに打ち明けるが、その晩、Kは自殺

してしまうのである。この事があって、その娘と結婚してからも、このKのことが、

心に、引っ掛かり、毎月、雑司ヶ谷の墓参りにでかけるのであるが、ついに、本人も

自殺してしまうと言う小説である。この小説を読むに、この時代の恋愛のほのかさ

は、今の若い人と比べると、相当に違いを感じる。今、このような恋愛をどう

思うかを若者に尋ねたら、何と答えるであろうか。

 


韓国の文丸は北朝鮮の港にはいつ着くのだろうか

2019-03-13 09:31:40 | 日記

今日は久しぶりに、足が少々いたいが、天気もよいので、散歩にでかけた。いつもの

半分を歩いたが、河津桜が綺麗にさいていた。春に入ったとの気持ちだ。最近のニース

からは、やはり、ハノイでの米朝会談のことか。北朝鮮が、またもや、非核化を隠しての

会談をトランプは、見破っていたのであろう。宣言もなしに、途中で帰ってしまった。

今のアメリカの北朝鮮を監視している体制は、いかに、胡麻化しても判ってしまうことを

認識したであろう。これからの北朝鮮の出方が注目される。しかし、韓国の文政権は、

予定が狂ってしまったようだ。経済緩和で南北が協力体制が取れて、朝鮮半島の統一が

近ずくと考えていたようだが。北朝鮮は、このような状況化で、今後完全な非核化を

して、米国からの経済緩和と、終戦宣言を受けることの体制を短期間で造ることができる

だあろうか。むしろ、国内で、反乱暴動起こらないように、金体制維持することに躍起

となっている。このような北朝鮮の港に文丸はいつ入港できるのであろうか。隣の日本は

このような状況でどのような協力をすべきか判らない。


人の脊椎と橋の寿命はどちらがながいか

2019-03-10 09:25:12 | 日記

今日は、朝から暖かい晴天の日で、今にも桜が咲きそう天気である。森林公園

の散策の後、右足に痛みが走り、なかなか、いつものように歩けなくなった。

近くの整形外科に行って、診てもらったところ、背骨の下の部分が神経に触っている

ためとのことで、ストレッチをすれば良くなるかもとのことで、しばらく様子を見る

ように言われていたが、良くならず、先日再度検診を受けた。今度の医者は、若い

人で、痛い箇所などを告げると、MRIで詳細に写真を撮りましょうとのことで

診断してもらった。結果は、推間版ヘルニアとのことで、腰の下の部分の骨が、神経

を圧迫していることを見ることができた。痛み止めの薬をもらったが、2週間ほど

様子を見て、どうするか考えましょうとのことであったが、最悪の場合は、手術をし

なければならないかも知れない。しかし、私の脊椎は、78年間の間、重い体重を乗せて

、よく維持してきたものだ改めて認識した。川に架かる橋が、よく崩壊して、落ちた

映像を見るが、人が造った橋にも、経年変化による寿命がる。人の脊髄の骨にも、寿命

があるが、メンテナンスの方法で、その長さは違うのだが、これは、自分自身でやるし

かない。 橋のメンテナンスは、大勢の人によって、工事をおこなうなどして、維持

して行くことができるのであるが。やはり、私の腰の痛みを治すのは、医者の助け

を受けて、私し自身が取り組むこと以外にないのだ。


韓国はどうして産業革命が遅れたのか。

2019-03-06 09:31:24 | 日記

3月に入って、暖かくなってきた。多摩川の土手の桜のつぼみが膨らんできた。

今年は、1週間ばかり、桜の開花が早いそうだ。今日は、先日に続いて、韓国が

どうして、産業革命が日本より遅れて、日本に併合することになったのかを調べて

見た。日本では室町時代から明治時代であった李氏朝鮮王朝は徹底した儒教(朱子学)

の国家であったが、この学問に基づき、保守的な政治制度を固守し、身分制度と上下

関係が絶対、生まれながらにして身分が高くなければ出世できず、体を動かす兵士や

職人は卑しくみられ、商売や新技術は悪とすら考えて規制された。このような状況

の中で、支配階級(両班)の権威と利権が著しく強くなり、一般庶民はただひたすら

搾り取られるだけの存在となってしまった。末期の李氏朝鮮では、両班階層の人口が

このようなことから、増加し、45%を占めるようになって、日本の武士階級が全体

の10%であったことと大きく異なり、国家を維持できなくなっていった。この頃

日本では、明治に入り、産業革命がなされ、朝鮮でも、近代化しなければだめとの

ことで開始するが、両班階層は利権を手放すことが死活問題であることから、税制

改革ができずに財政破綻がおきた。この李氏朝鮮を蛮族と見た日本が何かと圧力を

かけてくるのを嫌って、清やロシアに国を切り売りしてでも、保持しょうとした。

ところが、清もロシアも戦争で日本に負けて、朝鮮半島から追い出され、日本

の言うことを聞かなければならなくたった。日本は、この両班階層の利権を否定

し、近代化を図るべく、推進派の朝鮮人と日本人で組んで日韓併合を推し進め

て、日本国内にして、一気に資金を導入し近代化しょうと考えた。この時に

これに反対して、上海に臨時政府を樹立して、立ち上げたのが大韓民国であり、

この時から、日本を毛嫌いするようになったのであるが、この朝鮮は、中国や

ロシアと陸続きであり、常に、隣国からの侵入を受け、その属国としてでなければ

国を維持できないことを繰り返してきている。また、産業革命が行われたのは

実際は、日本の統治時代と、第二次大戦後の日本からの賠償資金で起したことを

いっこうに取り上げることもなく、強い周辺の国を見ながら、動く政権であり、

現在もその傾向があることに変わりはない。

 

 


日本の皇室が世界一続いているのはなぜか

2019-03-03 09:08:41 | 日記

中国や朝鮮半島の韓国や北朝鮮が日本のような王室が続かないのか不思議と

思い調べてみた。中国は7000年の歴史があるが、次々にその国土は、異民族

が入れ替わり、その都度、国が形成されて来て、つい最近では、清国が西太后

で有名になったように、王室を形成していたが長続きしていない。また韓国は、

1392年から1910年まで朝鮮半島を統治してきた李氏朝鮮が王室を形成していた

が明国や清国に毎年詣でることの属国として位置けられ、これも長続きしていない。

朝鮮半島では、日本が律令国家として大和時代に国が統一された時には、高句麗、

新羅、百済などの国が争っていた。すなわち半島を統一したのが日本の鎌倉時代の

頃で、高麗が中国の元と共に、蒙古来襲として、日本を攻めてきたのは有名である。

この高麗は、中国の属国として行動させられている。このように王室は長続き

していないが、これに比べて日本では、時代は、代わっても、天皇家は、神武天皇

依頼続いているのはなぜなのかとおもうが、これは、鎌倉時代に、武家が政権を

取って江戸時代までの間、決して天皇家を疎かにせず、同一民族の島国の日本の国

を治める代表者として認めてきていたことと、天皇がいつも、日本の国民を大切に

していたことがあったからだと思う。これに比べて、清国や朝鮮半島には、陸続き

の大陸で異民族が入れ替わり、その土地を統治してきたことから、国民を思い大切

にするような王室が存在しなかったことが原因であったかと思う。