早咲きの桜
歳をとると自分の家の宗教が気にってくるのは私だけではないだろう。
我が家は浄土真宗の西本願寺派であることは、両親の葬儀のことから知っていた
が、その宗祖である親鸞を知らかった。このことから、図書館から借りて来た
五木寛之の親鸞の本を先月から読んでやっとより終わった。その感想としては、
やはり、仏教の宗教を起こす人は、どの人も、人々の苦労は、仏様の力を介して他人を助けることにより幸福になるのだと説いて、広く全国を巡っている。真言宗を起こした空海や日蓮宗の日蓮も同様に各地を巡って、その教えを唱えている。この親鸞が日本で一番多い信者の宗教である理由が、この本からよく判った。それまでの宗教は、自力本願的な宗教であり、各派が争ってその教えを広げようとしていた。この教えに疑問を抱いた親鸞は、比叡山を下り、人は念仏を唱えれば、どんな人でも幸せになれると説教する法然上人の元で他力本願の教えを学ぶのだ。親鸞は平安の末期から鎌倉の中期までの90年間も長生きした人で、早くから両親と死別したが肉食はかまわない妻帯は自由だとして一家を構え多くの子供と生活し、それまでの僧侶とは違ったことをおこなっている。また悪人でも、念仏を唱えれば救われると唱えたために、越後へ流刑になっている。日蓮宗が広がり始めた関東で、信者がなびいて行くことにもや、長男の考えが違うことなどから勘当したりして、自分の考えは、たの宗派になびこうとも、それを許す寛大な心をもっぺきだと唱えつづけている。このような教えを教行信証に書いたものが浄土真宗の元となったのだ。日本で宗教が各派での争いがなく、今日の仏教が他のイスラム教やキリスト教やユダヤ教が他の宗教を排他していることなどと比べるといかに優れているかが理解できる。これも親鸞が起こした浄土真宗の仏教がもたらした貢献によることを知らなければならない。