散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

天照大御神と高千穂

2018-11-29 10:26:21 | 日記

先日は、高千穂の旅を紹介したが、あまり天照大御神についてのべなかった。これは

この天照についての神話を知らなかったからだ。帰って来て、この日本書記などに

書かれていることを調べて、高千穂が何故有名になったか判った。天照大御神は、

日本書記では、自然の神(イサナギ)が左の眼を洗ったときに、この天照が生まれた

となっているが女神である。この天照に高天原(高千穂)を収めることを指示される。

しかし、天照の弟のイサナヲが根の國へ行きたいとイサナギへ願い出たが認められず

追放されるが、その前に、姉のいる高天原へ逢いに行くのであるが、姉は、弟が

この高天原を奪いにきたと思い、武装する。その後、弟が乱暴を働くので、天岩戸

へ隠れるのである。高千穂では、この岩戸を祭る神社を見たが、この神話と岩戸を

案内する人が来て、30分ほど案内することになっていたが、帰りの時間の都合も

あり、昼食の時間に代わってしまった。この天照は、平安時代以降は男神として、

紹介されるようになっているが、伊勢神宮では女神としている。

日本においては、この天照が天皇家の生みの親とされ、その後の神武天皇に

つながっている。写真は、高天原での天照の銅像であるが、男神である。また、

高千穂神社での神楽の前夜祭での飾り付けがめずらしい。

 

 

 


最後の秋だ

2018-11-28 09:55:59 | 日記

多摩川の土手を上流に向かっての散歩の朝だ。空は真っ青ですがすがしい

天気だ。このような天気を(小春日和)の日とよぶのであろうか。写真が

この秋の最後の風景をのべているようだ。12月に入ったら、急に寒くなり

散歩にも、手袋、マフラーと防寒着が必要になってくるのは、やはり嫌なものだ。

この最後の秋の日を、心行くまで感じながら歩いた。


私と水前寺公園

2018-11-26 12:00:33 | 日記

今日は晴天で、白い雪をいただいた富士山を見ることができるが23日の法事が午後

4時からであったので、午前中の熊本での思い出を載せたい。熊本でのホテルは、

県庁の前であったがこの場所は、私が中学の頃は、YS11の飛行機が乗り入れる

飛行場であった所であり、現在は、官公庁の集中する中心地となっている。

この場所の近くに水前寺公園があるので、そこまで歩いて行った。南門から入ろう

と思っていったが入れず、北門へまわることにしたが、この場所は、思い出の場所

である。小学校の時は、熊本城の東の町の中心地(水道町)に住んでいたが名前の

ごとく城東小学校と称た。このころは、春と秋には遠足があったがこの水前寺まで

の約4キロの往復を歩いたことを思い出すが、丁度この南門の近くで、遊んだのだ。

北門へ回ったが、10時からの開門と書いてあり、正面門へまわったが、台湾から

のバスの団体があっ待っているところを切符を購入してはいった。目の前に美しい、

写真のような公園が目に飛び込んできた。公園内を逆方向に巡ったが、湧き水の池

には、鯉の紅色が冴えて見え、また、白鷺が羽をばたつかせていた。

しばらく、歩いたが、きずいたのは、昔あった動物園がなくなっていた。聞いてみる

と絵津湖の方に引っ越したとのことであった。やはり時間の経過を感じさせられた。

その後は、市電に乗って、町の中心地へ行き、かねてから、食べたいと思っていた、

熊本ラーメンを食べた。このラーメンは、とんこつとは違って独特の味がする。懐かしい昔

の味だ。


高千穂の旅

2018-11-25 10:08:57 | 日記

23日の父の33回忌で、熊本の実家にきたついでに、熊本の中学の友達と3人で

高千穂へ行ってきた。九州の臍と言われているだけに、九州山脈の中にあり、

相当に高い山の中かとおもっていたが、最近開通した、九州自動車道からの

御船町からつながる道が舗装され短時間で到着した。到着後は、以前から予約して

いた小型タクシー観光で町の観光地を3時間かけて観光の運転手の案内で巡回した。

説明がじょうずで、日本の神話の世界を理解しながら、素晴らしい景色と古い天照

の天皇家が生まれた時代を思わせる建造物と遺跡をみてまわった。写真は、高千穂

神社で、今晩、神楽が実施される日とのことで、飾り付けがしきりに行われていた。

わかっていれば、今晩は、民宿に泊まって、この神楽を見られたのにと、友達と

残念がった。

この後、写真のメインの高千穂狭の滝を見てまわったがこの場所は、阿蘇が大昔、

大爆発を起こし、溶岩がこの高千穂にまで到達して、塊、数年で川の水で浸食されて、

出来上がった場所だとのことを知った。この地の高台からは、九州の中心地であること

がわかる眺めであり、遠くに阿蘇山、九重の山、九州山脈と周りは山に囲まれた盆地

となっており、素晴らしいながめであった。熊本にかえってきてからは、中学同級の

女性2人も含めての懇親会を辛島町の中心地の居酒屋で開催してくれた。昔の故郷の

友は、いつまでたっても良いものだ。

 

 

 

 


今は昔の女性の職業

2018-11-20 09:39:45 | 日記

私は、満州から引き揚げて来て、佐賀で暮らした後は、熊本で高校まで長年くらした。

その理由き、父が戦後立ち上げた電話関係の会社が熊本であったからだ。電話関係の

仕事を戦後選んだのは、当時においては、電話は殆ど普及していなかったからで、

必ず普及すると思ってのことであろう。私は、高校を卒業して、東京の大学へ行き、

寮生活をおくったことは、既に紹介したが、夏休みなどには、熊本へ帰省して、父の

会社でアルバイトを行った。天草や阿蘇地方の役場や郵便局や農協には、磁石式の

交換台が設置され、裕福な家には、磁石式の電話機が設置されていた。この電話機は、

横に手回し棒が付いていて、これを回すことで、高い電圧が発生し、交換台を呼ぶの

である。交換台には、交換嬢がいて、この加入者についているフタが落ちることで、

呼びがあったことを知り、その加入者の穴に、接続プラグを刺して、どこに繋ぐかを

聞き、相手のやはり穴へ、別のプラグを刺して、呼ぶのである。この交換台が、

古くなってきたことから、新式の交換台へ更新する工事であった。この新式は、

電話機には手回しはついておらず、共電式電話機(黒電話機のダイヤルのないもの)

が使用されており、交換台も、それに合わせて、呼ばれたときには、ランプで表示

するタイプになっていた。このようなタイプの交換台は、全国に相当数が設置されて

いたが、その仕事は、すべて、若い女性が従事しており、東京などでは、丸の内など

の電話局には、かなりの数の人が交換台についていた。しかし、この後、交換台に

とってかわったのが、自動式の電話機で、今でも、設置されているダイヤル式の電話機

であり、交換機は、ロスバー交換機式から電子交換式へと導入され、女性達の仕事が

奪われた。このように、時代とともに衰退して行く、職業は、数多くあるが、この仕事

が女性にとって一番印象的かと思う。男性では、石炭に従事した工夫など類似している。

現在は、デジタルの電話の時代で、スマホなどを扱う若者には、知りえない世界だ。


囲碁大会に参加

2018-11-18 09:47:59 | 日記

昨日は年に春と秋に実施される囲碁の大会に出席してきた。今年の3月に、近所の

福生福祉センターで囲碁のクラブがあることを知り、入会した。自宅から400m

ほどで行ける距離で、約30人ほどの会員があり、午後のひと時を過ごすことができる。

私は、カミさんの車で買い物やその他で時間を費やす、残りの午後の暇なときは、この

囲碁でたのしんでいる。昨日は、日ごろの囲碁をする人があっ待っての秋の大会で、

朝の10時から午後の4時まで、5局を討っての勝負であったが、3勝2敗であった。

福生市の各所からの65歳以上の囲碁の仲間であるが、6段の人から初段の人まで、強い

人から弱い人まで、19人が参加しての大会で、私は4段で、優勝したのは5段の人が

優勝カップをもらった。入会して半年以上になるといまでは誰とでも気楽に討つことができ、

楽しいひと時をすごすことができるようになってきた。囲碁はスポーツと同じく、友達

となることに役立つものだと思う。


散歩で知ったこと

2018-11-16 10:17:52 | 日記

今日は、朝から、気持ちいい秋の空で、少々寒いが、散歩には、最適だ。

多摩川の土手を上流へ向かっての散歩の途中、写真のベンチの場所で、

いつも集まっる人達と雑談に入った。いつも逢うhaさんがここ数日見かけない

ので、尋ねたところ、6日前に入院したとのこと。私には、6日前の朝、(今日

は、後楽園でポールマッカトニーを見に行く)といっていたが、その日に帰って来てから

具合が悪くなり、救急車で青梅総合病院へ入院したとのこと。彼は以前に、

脳神経外科に行き、脳動脈留の小さいものがあるといっていだ、それが原因

しているのだろうか、帰って来て、3日間ほど寝られなく、言語障害などがあり

近所のひとが救急車を呼んで担ぎこまれたそうである。彼の家には、90歳に

る介護を要するお母さんが同居しており、その後家の雨戸はしまっており、

様子はわからないそうである。しかし、あんなに元気だった人がと思うが、

私も気を付けないとと思った。彼が大事にいたらず、元気な姿を見せることを期待したい。


読書の秋は図書館だ

2018-11-15 09:51:42 | 日記

今日は晴天で、太陽が青空をなおいっそう濃くしている。落ち葉と紅葉した黄色

の木が秋の深まりをしらせているが、朝晩は寒くなってきた。秋は、散歩以外には、

昔から、食欲の秋、読書の秋といわれている。読書といえば、よく、カミさんの

お供で、買い物へ車で行くが、カミさんの買い物をしている間は、車で読書をして

いる。いつも行く伊藤ヨーカドウでは、本屋が最近閉鎖したため、購入することができなく、

読み終わって、次をと思っても困っていた。このことをカミさんが知っていたのか、

テレビで東京都の図書館が充実している事を教えてくれた。

福生市で調べたらとのアドバイスを受け、ただちに調べた。福生市には、

4か所に図書館があり、私の近くでは、散歩のコースから少々入った所に

(わかたけ図書館)があることが判った。すぐに、その場所へ行き、本を借りるため

の登録を実施した。2週間の期間に、10冊まで借りることができ、この日は

2冊借りることができた。ジャンル別と作家別に綺麗に棚に並べられ、新刊もあり、

コーナーには、読書できる場所もあり、時間をつぶすにはつごうがよい。

今後は、この図書館を利用することにした。義父は103歳で亡くなったが、

100歳ぐらいまで、近くの図書館に通っていたのを思い出す。つい最近、読書は、

ボケ防止だけでなく活力の要素があり、健康によいとのことであり、散歩の帰り

などに寄ろうと思った。

 


開閉ドアの修理完了

2018-11-12 11:12:26 | 日記

今年の7月に我が家で発生した台風24号によるアコーデオン式の開閉ドアが

夜中に、吹き飛んで、道路に長くよこたわった事故の修理が先日やっと終了した。

今回のドアは、前回の片開きから、両サイドからの両開き式に、カミさんが頑丈

な構造にしたほうがよいとのことで決めたようだ。この修理には、相当の金額が

かかるとおもっていたが、カミさんは、損保ジャハ゜ンの保険が使用できることを

知っていたのか、私に、ただちに破損したドアの写真を撮るように言われ、その写真を

印刷し、渡した。私は、この保険は、火災であり、台風の場合の惨害は含まれるとは

思っていなかったが、さすがに、カミさんは、保険のことには詳しい。その後、修理の

業者を呼び、見積書と合わせて、その写真を損保ジャパンへおくったのであるが、

ひと月前に、全額がおりたとのことで、その結果、先日、工事が完了し、写真のような

開閉式のドアとなったのだ。やはり、カミさんは、家のことには、いつも気を付けている

ことがよく判った。


冬至とは何か知っていますか

2018-11-11 10:10:24 | 日記

昨日から今日の2日間は、最もよい秋の気候で、朝の散歩に最適だ。今、散歩

から帰って来て、何を書こうかと考えたが、丁度、先日、常磐ハワイアンの帰りに、

バスの中で、隣にいた、友人との会話で、車外の景色が5時近くになってくると

暗くなってきたことから、冬至のことの話になった。冬至の定義について、私は、

昼間の時間が最も短くなる日と思っていたが、日本の各地での昼間の長さ

は異なると思っていたのでどの地点のことかと議論となった。彼は、知って

いたのか、12/21日の冬至の日は、日本では何処も同じと主張してきた。

帰って来てインターネットで調べた。この冬至とは、太陽が最も南寄りになり、

南中高度が一番低くなる日とのことであり、日本の場所でその値はこと

なってくるが、高度は最も低いのが12/21日なるだと分かった。冬至の12/21日

  東京では、日の出は6.45時 日の入りは16.31時に 高度は30.9度

  沖縄では、日の出は 7.21時 日の入りは18.00時に 高度は42度   

現在の11/8日 東京では 日の出は6.08時 日の入りは16.40時に 高度は37度

である。このことから、東京で゛は11月と冬至の日照時間は殆どかわらない

ことがわかる。この日の出と日の入りの時間は日本各地で異なってくるが、

冬至の日が最も高度が低くなるのは一緒である。このことを彼は知っていたので

あろうか、正しい。しかし、昼間の日照時間と夜の太陽が沈んだ後の時間が同じで

はなく、日本の場所によって、その時間帯は異なってくることを知っておきたい。