昨年訪れた桂林の夜景
最近の話題しとしては、コロナの自粛からなかなかブログを書く話題がない。昨日
ふとしたことからテレビのドギュメント番組で平安時代に中国に渡って、密教を学び
日本の宗教の開祖となった弘法大師の歴史から、若い頃の空海と言っていた頃、
昨年に中国の桂林を観光した地を訪れていたことを知って驚いた。空海は、讃岐
に生まれ、若いころから勉学に優れ、京都で僧侶になり、中国からの密教をより
勉強したいことから31歳で当時の嵯峨天皇の許しを受け、遣唐使して、中国の
唐の長安へ向かっている。しかし、この船が漂流して福建省の漁村へついている
が、幸いに捕えられも、空海は中国語を読み書きできたことから、役人にその
趣旨を伝え、陸路を数か月かけて歩き、長安を目指している。この途中で
桂林の町を訪れているのだ。この後、長安での密教の奥義を習得して、日本へ
帰ってきている。816年には真言宗を興し、高野山を開創している。帰国後
に日本の各地を歩き、広く、この宗教を広めることに努め、各地にその足跡を
残している。四国八十ハか所巡礼は有名であるがこれは、生まれ故郷の讃岐で
の布教を行ったことの残りであろう。62歳で亡くなるのであるか゛その行動
は、肉体を山林修行により鍛え、また語学だけでなく勉学により創設したもの
は計り知れない。中国から帰国して、わずか30年ほどの間に、この真言宗の
布教を行い、現在の日本の宗教の基を造ったことの実績は、このような、努力
があったことによると思う。この弘法大使の弘の一字を私の長男の名前に付け
たのは京都で生まれた時に、感銘を受けたことである。現在、長男が赴任して
いる工場が香川の坂出であるのは、何か運命づいているのであるが。