最近に読んだ本では、(忘れられた日本人)と言う岩波書房の宮本常一著で、この
題材を思いついた。江戸時代から戦前までの農山漁村の集落の生活を作者か゛戦後に
全国を歩いて、当時の風習などを語った本であった。この本から、私が4-5年前で
あろうか奥多摩の日原集落で原島と言う一人暮らしのお婆さんの家に取り付けてあった
緊急通報装置をその方が病院に入ったことから撤去することになり、行ったことが思い
出された。なぜ思い出したかと言うと、この集落へ来て、原島さんで一人暮らしのお婆
さんの家で緊急装置が付いている家を教えてほしいと近くに居た人に聞いたら、隣の家
だと教えてくれたが、今娘さんは近所に用事で出かけ、すぐに帰ってくるから上って
いったらとのことで撤去を始めた。装置は指示のあった機種でもあり、問題ないと思っ
て開始し始めた折、娘さんが帰って来て、どうして、装置を撤去するのですかとのこと
で驚いた。下の名前を聞くと、指示のあった原島さん宅は2軒先の家で、そのお婆さん
が入院したから撤去するのだとのことが判った。このことで、撤去中の装置を元に戻す
工事を無駄に実施してしまった。このように、集落を訪れるときは、必ず、苗字だけで
なく下の名前を言わなければ、同じ苗字の家ばかりで判らない。むしろ、あだ名の方が
通じるようだ。東北地方のある集落では、100軒ほどの家の内、渡邊と言う名前か80軒も
ありまた、顔も同じような人が多く、訪問者と1度会っただけでは、わからないらしい。
こらの理由はこれらの集落では、昔から、同族結婚がほとんどで、そのため顔も似て
くるのであろう。本を読むと、若い男女は、集落の祭りなどで、お互いを知り合い、
夜になって、男が女の家に忍びこんで子供ができる習慣(夜這い)で結婚することが多く、
そのため、生まれてくる子供が自分の子であるかも判らないことも起こっているとの
こと。しかし、昔から、男は、戦などで早く死ぬことで未亡人になった人が多くなるが
、集落の全員が、このような家の未亡人や子供を助けて暮らしていくのである。いまも、
残っている集落を訪れるテレビの(ぽっんと一軒家)が離れた場所からでも知ることができ
るのは、このような、みんなで助け合う日本の暮らしが根ずいていることにあるだろうか。