散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

満州の我が5歳時の記憶を小説〈大地の子)がヨミガエさせる

2019-08-28 10:03:58 | 日記

この1週間は秋が早くもおとづれたのかと思える程に涼しい。朝の散歩が

快適だが来週はまた夏の暑さに戻るようだ。秋は読書の秋と言われているが、

図書館から借りて来た本で、最近読んでいるのが山崎豊子の大地の子である。

この小説の1冊目は、満州の奥地の開拓団に長野県から移住してきた両親

の子供の長男が第二次世界戦争の時にソ連が突然日本との不戦条約を破って

攻めて来た時に、両親が殺害されるが、長男と妹は、中国人に拾われ、孤児

として、満州の首都である新京(現在の長春)で、その後親代わりになる

小学校の先生に育てられるのである。この長春は私が5歳で、薄っすらと

憶えているが終戦になり、ソ連兵が日本人町の社宅に土足で入って来て、

貴金属などを探しもっていったのである。この町の様子をこの本では、

はっきりと記述していることに驚いた。私の社宅の前は、公園の向こうに

レンガ造りの役所の長い建築物あったが、終戦後に中国で起こった内戦で

昭和21年の8月ごろまでは、何とか蒋介石の国府軍がたてこもっていたが、

毛沢東の八路軍が一夜で、新京から国府軍を追い出してしまった。この時

の戦闘で、飛行機から白いパラシュウトが投下される様子は、私の記憶と

同じ光景をこの小説が書いていた。この小説は、その後戦争孤児の生涯

として記述されているが、まずこの1冊目で興味が一段と強くなった。

 

 


後期高齢者でAIを説明できる人がどれほどいるのか

2019-08-25 08:49:49 | 日記

雲ひとつない青空の天気だ。朝の散歩は、これからは、だんだん快適になるだろう。

昨日の晩は、丹沢の麓の山小屋で、いつもの昔勤めた会社の4人での合宿で、楽しい

日を過ごしてきた。山麓に青根地区の役所が経営する銭湯(いやしの湯)で体を

癒したあとは、いつものように、山小屋でのビールでの乾杯である。そうしていると、

近くの農家の1年ほど前に会ったことのあるAさんが我々が来るのを知って、自分の

畑から取って来たカボチャやキューリの野菜を持ってきて土産だと言って持ってきた。

この後は、夕食を取りながらの取り止めのない雑談である。この中で、我々の書く、

ブログの膨大なデータはどこに保管されているかとの話となるが75歳以上の4人で、

はっきりと説明できる人はいない。しかし、ブログを数年間前から行っているこの山

小屋の主のSさんがおもむろに紙の上にボールペンでそのを絵を書いて説明した。

私も、沢山のプロバイダーの集まりのグループが繋がっていて目的に合わせた場所に

記憶されているとは思っていたが、これもSさんのレベルである。それにしても、

現在のAI環境で、どのようなデーターの動きになっているのかを知っている人が

どれほどいるのであろうか。我々の高齢者の者には判らない。我々の育ったのは

アナログ技術であり、その実現したものの中身の仕組みを理解しなければと常に

考える。しかし、ソフトウエアのデジタル技術のAIの世界では、アナログ技術

は通用しないようだ。これも、半導体技術の進歩で、記憶容量が膨大になったと

同時に、処理スピードが上がり、瞬時に検索できるようになってきたことから

生まれてきていると思う。しかし、高齢者にはついていけない。


226事件の詳細を初めて知って

2019-08-21 09:25:56 | 日記

昨日は、午後4時頃、急に空が真っ黒になり、雷が突然鳴って激しい

雨が降って来た。ゲリラ豪雨だ。昭和記念公園のプールで泳いでいた

人達が慌てて、逃げ出している様子をテレビが報じていた。関東の各地

で゛このようなゲリラ豪雨が発生していたようだ。今日はの朝は、打って

代わったような涼しい天気で、散歩には、最適であった。

先日、NHKの番組で昭和11年に起こった226事件をテレビで

終戦記念日に合わせて放送された。この事件の詳細を初めて知って

驚いた。この事件が起こってから政府が軍部へものを言えなくなったようだ。

総理大臣と高橋是清蔵相のほか多くの大臣が殺害された事件であった。

陸軍の青年将校を中心とした反乱軍は、当初陸軍を動かし、天皇を担ぎ

だしてのクーデターを実施しようとしたが、天皇が、反乱を抑えることを

海軍と陸軍に要請して、鎮圧するのである。この鎮圧には、九州方面

に居た第一艦隊や潜水艦隊を東京湾に結集させ、いざの時には国会記事堂

への艦砲射撃をする準備をし、陸軍は、市街戦をも覚悟との体制を

ひいている。もし、この内戦が起こっていたらどのような事になって

いただろう。しかし、反乱軍の青年将校の中心人物が自決したこと

から、反乱軍は、投降したのであるが、これも、天皇の権威を一段

と向上させることへと繋がった。しかし、その後、この天皇の権力

を軍部が利用することになり、日本はとめることが出来ない軍国

主義の国家へと進んでいったのである。


秋が近いことを感じる朝だ

2019-08-17 08:58:20 | 日記

 

 

朝、7時30分から多摩川の下流に向かって散歩にでかけた。今日は

昨日までの台風10号の影響もなく、晴天の青空が、涼しい風を送って

くれる。何と気持ち良いものか。途中に、惣洞宗の千手院があり、立ち寄った。

ここは、大晦日に除夜の鐘を鳴らす、我が家からも聞こえる場所であり、この

鐘つき堂の写真を撮った。その帰りの途中で蝉が道路で動かずにいるのを

発見、スマホを向けたが、いっこうに動かない。よく見ると死んでいるうだ。

昔から、蝉の一生は短いというが、でも秋の近いことを教えてくれる。

蝉しぐれとは、いかに一生がはかないものかとの言葉であるか。先日は、

終戦から74年を迎えた記念日で、テレビが戦没者を祭った慰霊碑の前

で読まれる天皇陛下の風景を映していた。私が満州で4歳の時と思うが

薄っすらとラジオを両親が神妙になって聞いていたことを思い出す。

あれから74年もたったのであるかと思う日々である。

これからは、読書の秋、馬肥える秋、食欲の秋、紅葉の秋と

秋は、過ごしやすい季節の代表になっている。しかし、体

には、十分に気を付けよう。

 

 

 


韓国は北朝鮮がミサイルを討ち続けるのに融和で対応し続けるのか

2019-08-13 09:20:40 | 日記

今日は朝から幾分涼しい。台風が近ずいてきているからか。散歩で写真の

ように、崖に生えていた木を余りにも道路に覆っていて危ないことから、

切り落とした後が異常なじょうきょうであったので撮った。このところ

の新聞、テレビの記事で気になったのは、やはり日韓関係であろう。しかし、

韓国政府の行動は、国際的に見ても、異常としか見えない。北朝鮮が新型の

ミサイルを数回に渡って日本海に発射したのに対して、米韓軍事演習を一方

では行こなっている。しかし、依然として北朝鮮に対しては、融和政策を続

けながら、一方では、反日運動を展開している。この日本が行った貿易に

関するホワイト國除外に反発として、韓国は戦略物質の輸出に関し、日本

外しの報復措置を実施した。また、日韓の安全保障に関する機密情報共有化の

協定(GSOMIA)を破棄した。このことに対して、アメリカは文大統領への

不信感が高まるとともに、韓国に対して、ホルムズ海峡の防衛を目指した

有志連合への積極参加を半ば強制的に突きつけ、在韓米軍の維持費の増大

負担を強制しています。一方北朝鮮は、前回のベトナムでの米北会談が

不調に終わったことは文大統領に騙されたと思っており、またロシアや

中国からも信用されていない。このような状況で、反日運動を続けて

いれば、どのようになるのであろうか。最悪の場合は、アメリカは

韓国切を決行するかもしけない。このことも、また恐ろしい。


福島の原発汚染水のタンクはいつまで造るのだろうか

2019-08-10 08:52:19 | 日記

8月の猛暑がつづいている。しかし、盆の連休には台風9号、10号が接近してきて

楽しみの夏休みが悪天候になるようだ。これも、自然のやることて゛仕方がないか。

昨日の新聞で、福島第一原発の2号機からデブリを取りの始めることを開始したと

のべている。しかし、一方では、処理タンクが満杯で、また増設するとのことで

あるが、その設置場所も新たに確保しなければならないとのこと。汚染水の浄化後に

残る放射性物質トリチユムを含んだ水の処理方法では、海にながしても、それほどに

害はないと一部の学者がいっているが、福島近郊の漁民は、風評被害を恐れて反対

している。やはり、日本の近海での放水には問題あるか。しかし、今の政治と同じく

先延ばしの対策でよいのだろうか。ゆくゆくは、タンクの山になって、その汚染水

をどうすれば良いかに突き当たるはずである。これは、今の原発で発生する放射

性物質の処理をいまでもどこに捨てるのか決めきれないことと同じである。

私の考えは、この浄化後の汚染水は、大型タンカーに収めて、小笠原近辺の

海に放水する方法はどうであろう。このことも、反対者の抗議を恐れて、国会議員

は誰も言い出せないのが現状であるようだ。

 


74年になる広島・長崎の原爆投下の頃は

2019-08-07 09:01:59 | 日記

今日は蝉の鳴き声が夏の暑さを一段と強める朝に、多摩川の緑の土手を

歩いてきた。昨日は、広島に原爆が降下されて74年が経った記念日で

朝から、テレビで放送さけいた。74年前には、私は、まだ4歳で満州

に住んでいたので、原爆が投下されたことは、終戦になり日本へ引き

上げてきてから物心ついた頃であった。(ピカどんでハングリ、ハングリ)

と言って街頭で不良孤児が叫んでいることから、理解したのである。このころ

の生活は、生きることに、皆必死であったと思う。10数年後後にオリンピックを開催

するまでに、復興すると誰が思っていただろう。しかし、現在考えてみるに、日本

の国民は、アメリカが投下した原子爆弾に対して、アメリカを敵視していないのは、日本

国民が、統治後の民主主義に適したアメリカの人に、昔に教育された恐ろしい異人

ではないことを知ったからであろう。これも、戦後の民主化の教育と日本国民性

があると思えるが。これに比べて、今の韓国の在り方は、どうであろうか。74年

経っても、昔の日本統治時代を取り上げて、反日運動を盛んに行っている。戦後

日本が韓国の産業革命に資金を出して、協力してあげた恩など、どこ吹く風かと

言わんばかりの行為である。これも、国民性のせいか、いつまでも恨んでいる

のであろうか。


我が中学時代の夏休みは

2019-08-04 08:40:55 | 日記

8月にはいってからの暑さはものすごい。7月の冷夏の梅雨期のはんどうか。

朝に散歩の時間を30分早めたからなんとか暑さをさけることが出来ているが

帰りが8時30分を過ぎると背中が暑さで痛くなってくる。まだ、この猛暑は

続くようだが、夏休みに入った小学生や中学生はどのようにすごしているのだろうか。

私の孫の中学生は、サッカーを毎日と言ってよいほど練習にあけくれている。

私の中学時代の夏休みを思い出した。このころは、今と異なって林間学校や宿泊の

海水浴が行われていた。これは、学校が企画して、希望者を募って連れて行って

くれるのだ。林間学校は、阿蘇山の中腹の公民館のような施設で、朝食の前に、

国旗を揚げて、ボーイスカウトの歌を指導を受けて歌ったものだ。また、海水浴は、

熊本から汽車で約1時間ほどの宇土半島に面した、有明海岸で、民宿から海の見える

所に宿泊して行われた。このころの暑さは、今と異なって最高でも32度程度で、

熱中症になることはなかった。今の中学校や小学校の先生方はこのような夏休みの

企画を行っているだろうか。やはり時が進むにしたがって、事故の心配が先行して

きて、このような責任問題が発生した場合のことを避けることが優先してきている

ようにおもうが、少々寂しい。