散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

飽食の世の中は誰が造ったのか

2019-01-29 09:54:37 | 日記

先日の成人の日に、昔に母親が着た着物を再生して利用することが、

今年は増えてきたとテレビで報道していた。昨年の成人式の晴れ着の

詐欺事件で借りることよりも、古着を仕立て直すことの方が安心との

ようだ。日本では、戦後、洗濯機、テレビ、自動車とほしいものが

発売され、争って購入し、ほとんと゛の家庭でそろってきた。そのため、

ほしい物がだんだんなくなって来て、飽食の世の中になってきた。

これでは、企業は、売れないと困ってしまい、そのためには、モデルチェンジ

で使えるものでも、新しいものを買わせようとしてきた。この良い例が、

自動車であり、4年もすれば、買い替えを行わなければ、世の中に流れ

に遅れを取ったような風潮を造ってきた。私が、昔勤めた会社では、

電話機を製造していたが、当初の黒電話機では非常に頑丈に造られ、

数10mの上から落としても、壊れないものであったが、全国に普及して

しまうと、売れなくなることからフルッシュ式の電話機では、こわれない少々

弱い構造とし、自己責任で買い替えるようにした。このように、あらゆる

物がモデルチェンジをしなければ、ならない世の中となってしまつたのだ。

このことが、着物でも、現れてきているのが晴れ着である。昔の母親が

着たものが、押し入れに眠っているが、実際には十分に、今でも着ることが

できるが、世の中が(企業か)古着として、位置ずけることをやってきた

ことではないかと思う。ヨーロッパなどでは、むしろ伝統を重んじること

から、祭りの祝いの日には昔の着物を着て、町の広場に集まると言うことだか。

 

 

 


大寒はどこへ行ったの

2019-01-25 09:44:21 | 日記

多摩地方は大寒であるのに、一月から、晴天が続き、雨や雪を

見ることがない日が続いている。今日も、朝の散歩では、写真のように、雨

をほしがる多摩川土手の色褪せた木々と葦が冬の風景を呈していた。散歩

の途中で、福生小学校の生徒が、野鳥を観察する集団を見かけた。多摩川の

白鷺を写真に撮っていたが、皆は、野鳥の種類の載ったパンフレットを手に持って

いたがこれらの鳥を見つけることは、この頃はできそうもない。昔と残念

ながら違ってきている。暖かい青空の中に、多摩川の水が少ない中に、白い

白鷺が目を引く。遠くに富士山が白い山肌を出す姿は、心を休める。

今日は、帰ってから、この暖かい日を浴びて、コーヒーを飲みながらの読書

をしようと思う。今読んでいるのは、(項羽と劉邦)の司馬遼太郎の本だ。

 


すべての道はローマに通じる

2019-01-22 10:11:17 | 日記

土曜日のテレビのグラタモリの番組で、今回は、ローマを紹介する

ものがあり、興味があったので見た。ローマの歴史は、ギリシャ文明を

引き継ぎ、紀元200頃には、有名にシーザーの元では、地中海を取り巻く

すべての国を征服してローマ帝国を築き上げている。しかし(ローマは

一日でならず)の有名な言葉のように、この帝国が造られるようになったのは

それまでには、数十年をかけて、まず水道設備を建設し、当時100万人が住む

町を建設したのだ。この水道は、ローマから数10キロ離れた湖から、水を

運ぶ石で組んだ10数メートルの高い櫓を造り、市街地まで運ぶことを行ったのである。

このローマはそれと合わせて、諸国を征服するための道路をローマからあらゆる

方向へ、軍隊をいち早く送り出すことが出来る道を造ったのだ。このことを地質学の

先生のタモリは説明していた。この時代に、日本は、まだ弥生時代であり、竪穴

住居から高床式の住居に変化してきた頃で、米の栽培と埴輪の時代であったのだ。

このように、文明は、場所によって、こんなにも、違いがあることを、このローマ

のテレビを見るに、よく判った。この時代、ローマでは、あのコロシアムの巨大

な建造物が完成していたのだが、これは、セメント技術がこの時代には、既に

あったことである。しかし、昨日、UAEで行われているサッカーをテレビで見た。

現在の文明は、世界のどもからでも、時間に関係なく、共有できる社会であり、

世界が一つの文明になっていることを再認識した。

 

 


新春の懇親会

2019-01-19 09:15:52 | 日記

新春の懇親会は、いつもの私を含めての4人で、いつもは、相模原市の

青野原の山荘でおこなっていたが、今年は、八王子市でやることになっていた。

八王子市に住んでいるkさんが幹事で、彼が選んだ八王子北口の京王プラザホテル

で開催された。八王子駅が窓越しに見える素晴らしい場所で、ランチの安価な

バイキング料理であった。通常の大人は3000円であるが我々シニアーは

500円安くなるので手ごろであった。複数のコーナーに利用ろいろの料理が並んで

おり、なかにはシェフがその場で造ってくれる料理もあり、お皿に好きな料理を取って

来てテープを囲むのだ。バイキングといえば、出始めた頃、上野の東天紅で、大学の

体育系のグループが何回も料理を皿いっぱいに盛って食べているのを思い出す。

その後は、店の方が考えたのか見かけなくなったが。この京王ホテルでのバイキング

は食事のスタートの時に、ビールを給仕の人がグラスについで回ってくれたのが感心

したことだ。ここでの話題は、メールでsさんが提案してきた、今年の年号の候補を

各人3つ持ち寄ってくることであったが、私が調べてきた過去の100件以上の年号

を紹介して、選んできた各人の年号がダブっていないかチェックして、集計した。

4月以降の年号が決定した時1字でもあたっていれば、商品か賞金を出し合うことで、

次回の青野原での合宿で当たったかどうかの判定をすることになった。今までの、

年号で最も使用されている字は永で29回であることを知ったが、一字でも当たって

いれば幸運であるが。

 


いつまで続く青空の日

2019-01-18 09:48:48 | 日記

 

 今日も朝から青空に太陽の陽が顔を覗かせた。いつまでこの暖かい晴天

がつづくのであろうか。いつものコースの散歩で、写真のように、水の

ない干上がった池を見つけた。やはり、上水から多摩川へ公園を通って

流れ込む水が不足してきたのであろう。大寒の日にはいつたが、いっこう

に雪も降らなしだ゛けでなく雨も降らない。帰りに、写真のように

公園の約2キロの周回コースを走る、早朝マラソンの一行と出くわせた。

福生高校生が体育の一環として、この場所を利用しているようだ。

やはり、若さを感じる走りは、良いものだ。ちょいとうらやましいが。


新しい年号の年を迎えて

2019-01-14 09:59:06 | 日記

 

東京は、雨や雪の降らない好天の日が続き、このままで行くと水の心配が出て

くるのではないかと思うこの頃である。今日も、青空の素晴らしい天気で、

朝から多摩川の土手を上流へ向けて歩いていると、恒例のどんど焼きに出くわせた。

このどんど焼きは、地域の活動として毎年今頃に行われているが今年で33回目に

なるとの挨拶があった。市長や衆議院の方々が行う樽酒を行った後に、点火が始まった。

写真のように、約8mほどの竹などで組まれた笹の葉などで飾ったところに、昨年まで

家内安全を祈願して飾っていたダルマなどを町内会の人達が持つて飾っているのである。

写真のように、点火を行うとものすごい煙と共に火が勢いよく舞い上がり、約5分ほどで

組まれたどんど焼きの塔が焼け落ちてしまった。この火は、朝からの寒さを、遠くで

見ている我々をも暖かくしてくれる。これは、今年の新年の年号を迎えることの祝い

の炎と思われた。


イスラム教はなぜ豚肉を食べないか

2019-01-13 09:54:00 | 日記

今日は、昨日のヒンズー教が牛肉をたべないのに対して、2大宗教の一つである

イスラム教を信ずる国の人達が豚肉をたべないことの理由をいろいろ考えてみた。

この理由は、古代エジプト時代にさかのぼり、豚はを飼育していた人々は被差別階級

の人で、そのことからか、マホメットが起こしたイスラム教ではその祭典で、死んだ

獣の肉と血と豚肉、それにアッラー以外の名に供えられたものは、邪心に挙げられ

食用禁止になっている。このことをイスラム教徒の人は、現在でも、守っているのだ。

しかし、考えてみると日本でも、いまでも、キツネやタヌキなとの肉を食べる人は

いない。これと同じかもしれない。インドでのヒンズー教で゛は、牛肉は、牛を聖なる

ものとして、たべないものとしているのに対して、イスラムの国々の人達は嫌な動物の肉

として、食べないと全く理由が反対なのだ。日本で、平和の象徴として鳩の肉を食べよう

と思わないのはヒンズー教徒が牛肉を食べないのと同様ではないかと思った。


ヒンズー教が牛肉を禁止する理由

2019-01-11 10:15:47 | 日記

本日は、朝から快晴の青空がいっぱいの天気で、散歩から今帰ってきた所で

何を書こうかと考えたが、兼ねてから疑問となっていたインドのヒンズー

教徒が牛肉を食べないだけでなく、牛を崇拝することを調べた。約4000

年前に歴史的には、中央アジアには、遊牧民のアーリア人がいたが、この

民族は牛は貴重な労働力としてだけでなく、牛乳やバターの供給源であったが

民族の大移動で南下して、インドの地へ移住するようになったが農耕を起こ

すに当たって、牛は、モーゼのような神が宿った聖なる獣とされ、道に落ち

ている牛の糞も避けて通り、その糞を額に塗って恵を得ることなどの

風習が長年をかけて宿ったようだ。しかし、約13%いるイスラム教徒は牛肉

を平気で食用としていることから、牛を秘密で殺害して食用とすることが起

こっているとの報道もある。また、現在、一帯一路の一環として、道路工事が

盛んにおこなわけているが、この牛が邪魔をするらしく、なかなか工事

が進まないらしい。日本では、昔から仏教の僧侶は、動物の肉は食べない

ことをおこなったようだが、現在は、そうではなく寛大になってきているようだ。

イスラム教やユダヤ教が豚を食用とすることを徹底していることに比べて、

仏教と新道の日本では、自由にあらゆる肉をたべることができるのは、有難い

ものだ。


神仏の融合は奈良時代から有ったのだ。

2019-01-09 10:26:34 | 日記

昨日の七福神は天台宗と仲良しのブログで間違った文章を 

書いてしまつた。この訂正は、仏教と神道とは奈良時代から

はじまっていることだ。これは、仏教を広めた人たちが、(仏様も神様

も同じものだよ)と説得した結果融合したのです。東大寺の大仏鋳造

にはじまり、明治の神仏分離令になるまで、お寺と神社が一体となっている

ところが多い。神様と仏様が習合してしまったものとしては、だいこく様(弁天様)

があるが、これは仏教の弁財天と日本の大国主命(おおくにのみこと)が合体した

ものであることを知った。七福神を祭ることが始まったのは、鎌倉時代からであるが

、もれも、お寺に神様を共祭したのと同じであった。明治に入って政府は、神社と

寺院を分離することの発したがこの理由は僧侶には還俗を命じたことと、神道の神

には仏具を供えることを禁止ことであったが、これは、より神道を純化するための

ものであった。しかし、いまでも、調布七福神巡りに見られるように、昔からの

お寺に七福神が共祭されているところが多いことは、お寺の生き残り策の一環で

あるかもしれないと思う。

 

 

 


七福神は天台宗と仲良しか

2019-01-07 10:49:49 | 日記

今日は、山の会の調布七福神巡りの散策に参加してきた。この日は、一週間前には

雨がふるかもしれないと、天気予報ではいっていたが、参加者の行いが良かったのか

午前中には、太陽が顔をだし、数年にかずすくない、日食の日であったこの時間に

黒塗のスライドを介して、太陽が欠けた姿をみることができた。この日は、朝から寒く、

歩くのは大変であったが、調布七福神の巡りは京王線の仙川駅をスタートとして

西調布駅の間に点在する七つの大黒天や布袋さんなどの祭られているお寺を、巡回して

歩いたが、寒さが厳しく、午後からは、風も吹き始めてお参りするのは大変であった。

しかし、途中の深大寺には、大勢の遅ればせの初詣客が訪れており、歩くのも大変で

あったが、この隣の毘沙門天を祭ってある寺院には、国宝の白鳳仏が公開されており、

長い行列になっていた。私が関心したのはこのようなお寺の多くが天台宗の鎌倉時代

からの古い寺で、その中に、中国や台湾で祭られている七福神が同居していることで

ある。これは、多分、明治の初期頃から日本では、お寺では、神仏共祭のを奨励して

いた一環としての表れかとおもわれるが、中国や台湾などの神とも共祭するように

なったのだと、理解した。しかし、日本のこのように、あらゆる宗教を受け入れる

寛大な国が、ほかにあるのであろうか。このような、国が沢山になれば、宗教戦争

はなくなるのでしょうが。