先日の成人の日に、昔に母親が着た着物を再生して利用することが、
今年は増えてきたとテレビで報道していた。昨年の成人式の晴れ着の
詐欺事件で借りることよりも、古着を仕立て直すことの方が安心との
ようだ。日本では、戦後、洗濯機、テレビ、自動車とほしいものが
発売され、争って購入し、ほとんと゛の家庭でそろってきた。そのため、
ほしい物がだんだんなくなって来て、飽食の世の中になってきた。
これでは、企業は、売れないと困ってしまい、そのためには、モデルチェンジ
で使えるものでも、新しいものを買わせようとしてきた。この良い例が、
自動車であり、4年もすれば、買い替えを行わなければ、世の中に流れ
に遅れを取ったような風潮を造ってきた。私が、昔勤めた会社では、
電話機を製造していたが、当初の黒電話機では非常に頑丈に造られ、
数10mの上から落としても、壊れないものであったが、全国に普及して
しまうと、売れなくなることからフルッシュ式の電話機では、こわれない少々
弱い構造とし、自己責任で買い替えるようにした。このように、あらゆる
物がモデルチェンジをしなければ、ならない世の中となってしまつたのだ。
このことが、着物でも、現れてきているのが晴れ着である。昔の母親が
着たものが、押し入れに眠っているが、実際には十分に、今でも着ることが
できるが、世の中が(企業か)古着として、位置ずけることをやってきた
ことではないかと思う。ヨーロッパなどでは、むしろ伝統を重んじること
から、祭りの祝いの日には昔の着物を着て、町の広場に集まると言うことだか。