今朝は、打って変わって朝から霙の雨が降って、寒さが増して雪になり始めた。ついに千葉県で集団感染で58人の発生が起こったことが報道された。アメリカでは、1週間で1万人から10万人へ感染者が爆発的に増えているとのこと。アメリカでは、中国の武漢でコロナが騒がれていた頃、既に、インフルエンザで数万人の発生と死者が数千人にのぼっていたことが報じられていた。この発生の原因は、アメリカの医療保険制度が日本のような制度でなく、加入していない人が多く、この人達は、初期の風の症状では、自己判断で薬を購入して直そうとするようだ。このように、している状況の中に突然、コロナウイルスが増えて来ても、気が付いた時には、広く感染が広がっていたようである。このことから考えると、日本では、全員が健康保険制度に加入しているので、安価で受診できるため、ちょっとした症状が出ても、すぐに病院へ行くため、感染者が少なく、また発症しても、医療体制の充実で、死者が少なくなっているものと思える。ヨーロッパでは、イタリア、スペインでは、アメリカと同様に、初期の封じ込めに失敗し医療崩壊に陥っている。ドイツは、感染者は多いが、医療体制が充実しているため、死者が少なく、何とか、拡大を抑えているようだ。しかし、これは、第2次世界大戦の戦時中の状況で、見えないコロナとの戦いであるといっている。そのため中国のように、個人の人権を抑えて、町全体の封鎖を実施して、その封じ込めをおこなっている。しかし、日本、特に東京では、そこまでやれないので、これから先が、心配である。
多摩川の土手の桜並木
昨日の26度の暖かさで、今朝の散歩で、多摩川の土手は、一気に桜が開花して、写真のような光景となった。(花咲か祖父さん)の童話のように、灰をまいたらパット満開になったのが本当のようだ。コロナの騒ぎから、我が家ではいつも、散歩と買い物以外は外出禁止の状態で、自然と読書がおおくなってくる。最近読んだ本は、三島由紀夫の金閣寺だ。この本から、昔をおもいだす。私が高校2年生のころ、修学旅行で、京都、奈良、東京と約5泊ほどの日程で、貸し切り専用列車で、京都まで一晩かけて行ったことがあった。この観光コースの中に、金閣寺がはいっていたが、こんなに素晴らしい景色があったのだと思った。丁度この本に書かれている昭和25年に焼けた旧の金閣寺を放火した若き僧侶の心境が、当時の状況をよく表していると思える。その10年後に、再現したばかりの金色の金閣寺を私がみたのであるが。カミさんは、京都の育ちで、太秦の東映撮影所の近くに住んでいので、よく京都には、行っていたので、この本に出てくる地名は、よく判る。この当時の京都の町は、やはり、戦争からの復興の半ばで、世の中が灰色に覆われた時代であったように思われる。このことが、金閣寺があまりにも凛とした建てもに思われ、妬みと美の欲望から発生した事件であったろう。この頃は私は小学生の頃であり、よく覚えている。
多摩川の土手の桜の蕾
今日は、真っ青な空に、雪に覆われた富士山がくっきりと浮かんだ朝たあった。散歩で多摩川の土手に、今でも開花しそうな桜の蕾を見た。都心から1週間ほど開花は多摩地方は遅れるようだ。しかし、今日は20度を超える温度になるといっているので、はやまるのではないか。しかし、いっこうにコロナの猛威は収まらない。今度はヨーロッパからアメリカを襲って、その感染者の数が、中国を追い抜いた。この騒ぎで、我慢がでないのか、北朝鮮が弾道ミサイルを打ち上げて、世界の関心を引き寄せようとねらったが、一向に関心を示さない。これも、コロナが世界の諸問題を後回しにしているのだ。北朝鮮の問題、中国とアメリカの貿易問題、イランの問題、などが後の方に吹き飛ぶばされている。これに代わって、コロナによる問題がクローズアップし
てきたのだ。株価の下落に合わせての経済の問題、鎖国による貿易の問題、オリンピックの開催の問題などである。しかし、これらの問題の解決は、決して楽ではない。見えないコロナウイルスとの戦いに勝たなければならない。これは、相手國があってこれと戦うこととは、全く違う。やはり、早急に、新薬とワクチンが開発され、これを抑えることが肝要か。
数年前に行った台湾の観光地
先日と打って変わって、寒い霧雨の朝だ。今、散歩から帰ってきたところである。昨日、近くの図書館へ借りていた本を返しに行ったが、受付は開いてたが、本棚の並んでいる館内は、テープが張られ、入ることが出来ない状態になっていた。コロナの関係でしばらくは、閉館とのことであったが、電話で欲しい本を言っていただければ、手配して、連絡する方法で借りることができるとのことで安心した。早々、三島由紀夫の本を4冊予約した。昨日、ついにアメリカが、ヨーロッパの国々からの入国を遮断した。やはり、コロナの感染を恐れての行為である。このことから、株価がこの1週間で約2000円も下落して、経済が落ち込んでいる。この現象は止まることをしらない。まさに、世界は鎖国の状態である。もし、このような、感染が昔におこっていたら、貿易が止って特に、日本のように、貿易に頼っている国では、恐慌になっていただろう。しかし、現在このようなことになっていない。これは、通信ネットワークの発達で、人が行き来しなくとも遠隔で、仕事ができるためである。テレビ会議もできるし、工場が稼働すれば、十分に貿易はなされる。一番の打撃は、サービス業や観光関係に従事する人達であろう。はやく、感染が収まり、元の状態になることを願わずにはいられない。
数年前に訪れた台湾の風景
世界的に新型肺炎が蔓延しはじめた。アメリカでも、新たに日本と同様にクルーズ船で感染が発生して、同様に港で停泊した中に隔離して、感染者の検査を実施し始めた。日本と違って、早々に、検査キットで全員の検査を実施し、陰性者はすべて、上陸させて、2週間隔離するとのことで、陰性者が船内で感染することを避ける方法を取っている。日本でこのような方法を取らなかったのは、厚生省の判断ミスと言っても過言ではないと思う。この厚生省がためらった一つの原因は、スイスの製薬会社の遺伝子検査キットを採用して、全員の検査を実施すれば、よかったのである。一人約30分ほどで、検査結果が出る簡易なものであるが、その検査に多少誤差があるらしく、これを日本の厚生省は、完全に判定できる方法を取り一人当たり6時間を要している方法を取っている。このため全員の検査を行わずその症状を表した人のみ検査していたのである。日本政府は厚生省に検査方法を独自開発するための予算をつけ、公共事業としたために、外国の検査キットを購入することをためらったのです。現在やっと国内で検査キットの開発に成功したとの情報が流れていますが。このように、日本は、従来から、臨機旺盛なことを実施できない。官僚機構の決定が遅いのも日本の特徴か。韓国で、日本より遅れて、多くの発生を見ているが、宗教団体の集会に参加した人全員の検査を検査キットにより実施し、一日数千人を検査している。高速道路の検問所でこの検査キットを使用すりば、短時間の30分ほどで結果がでるようである。しかし、最近は、感染者が多くなり、軽症で元気な人でも、病院に隔離するため、病院での受け入れができず、重症者が入院できずに、自宅で亡くなる人が多発しているとのこと。これも、新たな問題である。しかし、日本でも、やはり、疑わしい人の判別を医者が判断し、該当者のみ、早期に簡易検査キットで判別し、診断すべきである。この手段を早急に導入し、インフルエンザと同じような検査方法を実施すべきだ。いまは、スイス製の検査キットは購入できるようだが、国内で自由に検査できる体制が完成していない。やはり厚生省が率先してやるだけである。
鶴が城
今日も晴天の好天気である。北海道では、吹雪の大荒れの様子であるが、これ以上
に新型肺炎の猛威が怖い。感染症の歴史では、天然痘やペストがヨーロッパを中心
にして猛威をふるい死者が数千万人にたっしている。一日に1万人が死んだとのいわれている。しかし、医学が進み、種痘などの免疫の方法と感染症の病原体への対処方が判って来て、現在ではほとんど死者が出たと聞いたことがない。最近の感染症は殆どインフルエンザのものとエイズであろう。しかし、これらの感染症も、時間がかかったものの対処方法が見つかり、現在では、その予防法としてワクチンができあがっている。このため一安心ではある。日本で最も多い感染症は何といっても結核であろう。昔から発生していたようであるが、明治時代の正岡子規が結核での闘病生活の後死亡したのはよく知られている。その他の有名人が同様に結核でなくなっている。日本においては、戦前まで、その対処方法がなく、感染し発症すると死の宣言を受けたようであった。しかし、戦後は、ストレットマイシンなどの抗生物質の注射で治すことができるようになり、現在は、ほとんど騒がれなくなって来た。私もこの結核に小学校の6年生の頃に感染し、休学の期間を過ごしたことがあった。これは、父が、満州から帰国して熊本で最初に過ごしたころに、父の弟がよくわが家に来ていたが、その弟が結核を病んでいて、よく咳をしていた。その頃は、食料が十分に行き渡らず、免疫力が落ちていたことから感染したのか、長男が発病し、1年間学校を休学したり、私も感染し、ストレットマイシンの注射をうったことを思い出す。肺に病原菌の空洞がある状態であれば、肺を切断しなければならないのであったが、子供の肺から大人の肺に拡大することから、病巣を抑えすことができて、治すことができたのである。現在も、その根治した形跡が肺には残っているが。父もこの後、同様に、結核にかかり、肺の一部を切断している。この間に病院を母と連れ立って数回訪問したが隔離された病棟で肺の上に砂袋を押し当てて治療していたことを思い出す。このように、日本では、結核が一番であったが、この度の新型肺炎は死亡率は低いが感染力が強く、どのような経路で感染したのかの追跡が出来にくいだけでなく、感染しても、熱も咳もしない内に直ってしまう人と発病してしまい重傷化する人との原因がよく判らない内に、感染が拡大することである。これをくい止める手段は早く特効薬とワクチンを開発することである。
想定外の新型肺炎で、日本じゅうが大騒ぎになっているが、天気は素晴らしい青空の晴天だ。3月に入り、暖かい春がおとづれたことを伝えている朝であったが、小学校から高校までの早めの春休みに入ったのはウイルスのせいか。想定外と言えば、東北を襲った地震と津波の大災害であったろう。このうちいまでも復興していない原発事故であろうが、その様子をつい最近、テレビのNHKの再生録画(88時間の福島第一原子発電所の記録)を見たが、この恐ろしさを認識した。私も、当時地震後様子をテレビでみていたが、その後に起こった津波で、原子力発電所の電源が失われたとのことを知ったが、格納容器の厚さが20数センチあり、破壊することはないとのアメリカの学者の見解が出ているのをインターネットで知り、安心していたのであったが、そうではなかったのだ。当時の現場でのなままなしい状況の88時間であるが、吉田所長の置かれた立場は、刻々と迫る状況の変化で、どうすればよいかの判断の瀬戸際であったのがよくわかる。第一号機では、既に、メルトダウンが起こっていて、格納容器の圧力が増してきてそのままでは、爆発することになる状態で、その圧力を下げる手段としては、バルブを開けて、容器ないの放射能を含むガスを水で冷やして、煙突から放出する(^ベント)の手段が必要で、その操作には、放射能の影響を受けながらの操作を行う人を選ぶことであったあった。これが旨く行った後に、水素爆発が起こり、バッテリー車からの電源供給もできなくなり、刻々と時間がたっていくのであるが、その後、第3号機、と第4号機ても同様に、水素爆発が起こり、同様にベントをおこなっている。しかし、それ以上に、第2号機で起こったことが一番恐ろしいことになったのだ。水素爆発はなかったが、やはり、メルトダウンを起こしており、格納容器の圧力が限界に達してきて、ベントを行おうとしたが、このガスを抜くためのバブルが開かないと言う事故がおこってしまった。このままでは、容器が爆発してしまい、若し、爆発したら、その放射能の影響で関東地方まで含めた東日本には住めないことになる状況に至ったのだ。この最終手段は、格納容器の上部にある蓋を開けて、ガスを放出する以外はないとの結論から、それを実施する作業者が選ばれ、上部の蓋を開けに行くのであったが、その場所の放射能の値は、15分もその場所に居られないほどで作業を中止している。この状態では、容器の爆発がないことを神に祈ること以外になかったのだ。しかし、救われたのは、格納容器の上部の割れ目からガスが放出され爆発が起こらなかったことである。しかし、今でも、この福島の周辺地域は、住めないほどの放射能の汚染がつづいているのだ。もし、格納容器が爆発していたらと思うと、東京に住んでいた私も含めて、東日本の人達はどうしたであろうか。このことから、今後、全ての世界の原子力発電所では、このような事故が起こらないとは決して言えないと思う。電源をコントロールするケーブルが切断されただけで、恐ろしいことになることを知る必要がある。