神郡・館から筑波山を望む
万葉の時代からの歴史を巡って歩く小道 Foot Path
スタートは、筑波山神社の御神橋前から。
「筑波(御神橋)」の道標を右に見て、東の小道を進みます。
道沿いにならぶ売店を楽しみながら、道なりに 白雲橋(しらくもはし)をわたって東山地区へ。
御神橋 *
御神橋の内部
(筑波山神社~東山~臼井) *
白雲橋
正面 「登山道 白雲橋コース」、 右 筑波・東山方向
左女やまへ(女体山) 右かしま(石岡→かしま)
筑波山は、2つの峰を男女二神の山として古代から信仰を集めてきました。
現在の筑波山神社の拝殿は、明治8(1875)年に造営、後に改修されたものですが、明治の廃仏盟釈・神仏分離の令が出されるまでは、筑波山中禅寺の本堂がありました。
中禅寺の中興に尽力した光誉上人は徳川家康に仕えていました。光誉上人が従軍した大阪の陣で負傷者に塗った薬が筑波山名物ガマ油の由来と語られ、「筑波山ガマの油売り口上」は伝統芸能として、筑波山神社の境内などで見られます。
家康が江戸に幕府を置くと、筑波山は江戸城の「鬼門(北東)の守り」とされ、中腹の中禅寺が祈願所に定められました。後に、家光による堂社の一新を機に、つくば道や門前町が作られ、参詣者で賑わうようになりました。
かつての中禅寺に祀られていた干手観音は、昭和35年に復興された筑波山大御堂に安置されています。
東山地区
現在の東山地区に残る一本道は、常陸国の国府があった石岡へと続く府中街道といわれ、筑波山の古道の1つとされます。その東方には、白滝、夫女ヶ石(ぶじょがいし)、六所皇大(ろくしょこうたい)神宮跡、蚕影(こかげ)神社など、万葉の時代から続く名所もあります。
(臼井~六所~蚕影神社)
神郡の街
神郡から六所、筑波のコース (約6km)
スタートは市営神郡駐車場から。
おすすめは、神郡のつくば道を経由するコースです。
観光案内板を正面に見て西進し、神郡の一つ目信号(点滅)を南進するとつくば道です。神郡の古い街並みを楽しんでください。
蚕影(こかげ)神社の道標で東進すると、蚕影神社方面、六所方面です。
(神郡・市営駐車場~神郡の街~館、蚕影神社~ 六所)
六所皇大神宮跡
この地には六所神社があり、明治43(1910)年に廃社されて蚕影神社に合祀されました。筑波山神社で行われている御座替祭(おざかわりさい)も、かつては当社を里宮として行われ、筑波山の男女の神が和合して宿した生命を里に迎える神事から始まったとされています。
廃社前は、本殿が2棟あったとされ、筑波山の男女二神を祀っていました。今では石垣が往時を偲ばせます。
六所、 ”筑波山を大きく写せるポイント” から筑波山を望む
蚕影神社 (こかげじんじゃ)
通称、蚕影山神社。神郡のつくば道沿いにある明治13(1880)年の道標には旧字体で「蠶影神社」。
館地区にあった蚕影山桑林寺も養蚕信仰の地として栄えましたが、明治の廃仏殻釈により廃寺となりました。蚕影神社は、全国にある蚕影神社の総本社として、養蚕業が盛んであった昭和中期まで関東一円、遠くは長野まで信仰を集め、今でも絵馬堂には奉納された絵馬が残っています。
本殿は江戸初期、拝殿は明治時代の建築。長い石段の登り口には、昭和初期まで参詣者の旅館・休憩所であった春喜屋も見ることができます。
養蚕発祥の地として「金色姫伝説」があり、天竺から桑の舟で流された姫が、この地で権太夫(こんだゆう)夫妻に助けられ、病で亡くなった後、姫は棺の中で蚕となり養蚕を伝えて恩返しをしたといわれています。
毎年3月28日は蚕糸祭、10月23日は秋の大祭が行われ、賑わいます。
蚕影神社
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筑波山ハイキングコース
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筑波山観光案内所
筑波山の祭りカレンダー
【参照資料】
『自然と歴史を楽しむ道しるべ! 筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波コース』