2024年9月29日(日)、筑波山神社の風景 朝から曇天、寒い風が吹いていた。先週までは登山する人は相変わらず来ていたが、この週末は観光客が増た。コロナ禍後は見かけなかった団体さんが何組もやってきた。1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
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コロナ禍後の第50回筑波山梅まつり 筑波山ガマ口上保存会は“蚊帳の外” 開園式、コロナ禍と同じにできた、よかったよかったと思いきや しかし、筑波山ガマ口上保存会の代表者は欠席ですか、どうしてですか。 今まで、梅まつりの開園式でこのような事があったでしょうか。 ガマの油売り口上は筑波山観光の目玉商品のようなものです。 それが“蚊帳の外”これは前 . . . 本文を読む
ガマの油売り口上の「第7段 値下げ販売」で
「さあて、お立ち会い。お立ち会いの中には、 そんなに 効き目のあらたかなそのガマの油、 一つ欲しいけれども、ガマの油ってさぞ高けいだろうなんて 思っている方がおりまするけれども、 此のガマの油、本来は一貝が二百文、 二百文ではござりまするけれども、 今日は、はるばる、出張って . . . 本文を読む
幕末のドイツ人医師・博物学者 シーボルトが見た江戸の物価 江戸時代・文政期、ドイツ人医師シ-ボルトは1826年(文政9年)4~5月、がオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行した。その際、江戸・日本橋で売られていた食品の価格を記録した資料によると、魚の7割が米1-升(約1.5キロ)より高かったことがわかった。 江戸中期頃は、1両=4000文が相場。また、日本銀行貨幣博物館によると . . . 本文を読む
2024年9月8日 筑波山神社の風景 山頂は雲のに覆われていた。無風で蒸し暑く団体の登山客数組を見かけたが個人の登山客は少なかった。自転車で筑波山神社にやってきたフランス人の登山客は全身汗びっしょりだったが、意気揚々と女体山に向かった。日本人かと近づいてみる10数名のモンゴルの人々、ヴェトナム人の若者、スリランカ人一家やフィリッピンの男女と外国の人だった。彼らは「日本はむし熱い」と異口同音に言って . . . 本文を読む
筑波山参詣と登山〔庶民の社寺参詣〕 江尸時代になり、民衆の上昇や交通環境の整備により庶民の社寺参詣が急増した。旅の苦痛がなくなり、安易にできるようになると、信仰より遊楽・観光化が進んだ。これが門前町を一層発展させる要因となった。
筑波町へはどれくらいの参詣者が訪れたのであろうか。寛政から天保にかけて日光の一日の平均宿泊者は約100人、幕末の成田では旅籠屋34軒あったが、約100~140人位であ . . . 本文を読む
”腐った” 組織の総会 今年は会員が一堂に会して総会をすべきである! ”腐った”組織は、解体的出直しをすべきである。
今迄隠していた ”脱会” を急に持ち出した! 総会資料を一瞥すると、水戸地方法務局の”事実確認”を受け、「事件簿」登載されたこと、水戸地方検察庁や所轄警察署に事情 . . . 本文を読む
第50回筑波山梅まつりを考える ガマ口上保存会の役員の取り組み姿勢が問題なのだ。 第44回~第46回梅まつりで大久保会長、綾部事務局長、安副会長、寺川副会長はガマ口上をやったことがない。 特設ステージの運営を担当した者としては、これ等の役員は筑波山梅まつりのそのものに関心がないのではとの思いだった。傍観者なのだ。 大久保会長、事務局長や太線矢印の者が私を保存会から排除しようとし . . . 本文を読む