幕末のドイツ人医師・博物学者 シーボルトが見た江戸の物価 江戸時代・文政期、ドイツ人医師シ-ボルトは1826年(文政9年)4~5月、がオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行した。その際、江戸・日本橋で売られていた食品の価格を記録した資料によると、魚の7割が米1-升(約1.5キロ)より高かったことがわかった。 江戸中期頃は、1両=4000文が相場。また、日本銀行貨幣博物館によると . . . 本文を読む
初代・永井兵助 筑波山麓の新治村(現、土浦市)の永井に伝えられる "永井村の兵助" の話によると、兵助は百姓の長男として生まれた。1753(宝暦3)年、16歳のときに江戸深川(東京都江東区)の木場問屋で働くかたわら、がまの油を売るため、居合い抜きで歯磨き粉の売った松井源水の技法を取り入れ、口上に工夫を凝らし、武士の衣装をまね竹光を派手に振り回してガマの . . . 本文を読む
つくば市神郡の蚕影神社の絵馬 大道芸、ガマの油売リ口上 ガマの油売り口上の冒頭に「さあさあ お立ちあい、ご用と お急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。遠出山越え笠の内、聞かざる時には、物の出方、善悪、黒白(あいろ)がトント分からない。山寺の鐘がゴォーン、ゴォーンとなると雖も、童子来たって 鐘に撞木を当てざれば、鍾が鳴るのか、撞木が鳴るのかトン . . . 本文を読む
第19代 永井兵助 吉岡名人に学ぶ 吉岡名人のガマの油口上は、見る者をして“筑波山に伝承された “ガマの油の口上、これか!” と納得させるものがある。その口上演技には軽薄なアドリブは一切ない。 見る者に媚、諂う言葉や仕草もない。見ている者が笑うことも声を出すこともない。皆、ジィット聞き惚れている。その場には、凛とした空気が漂っている。名人の口上演技に触れると、 . . . 本文を読む
ガマ油の売り口上は、筑波山で生まれた 大阪の陣後、筑波山大御堂門前でガマの油が店頭に並び筑波山名物となった。 ガマの口上は江戸で活躍した永井村の兵助により有名になった。 光誉上人の墓 〔ガマの油をつくって大阪の陣に徳川方として出陣した。〕 筑波山神社 隋神門脇 永井村の兵助、江 . . . 本文を読む
江戸の町の生業 膨大な消費人口を抱える百万都市江戸では目抜き通りに店をかまえる大きな店から、一人で売り歩くものまで多種多様な商売でにぎわった。一人で売り歩く商売は、プレゼンテーションの上手い下手が収入につながった。 【関連記事】 ガマの油売り 居合い抜きは薬売りや歯磨き売りの人寄せ芸だった . . . 本文を読む
ガマの油売り口上はセールストーク ガマの油売り口上は「ガマの油」を売るための口上を大道芸として演じるものであり、売り手(口上士)と買い手(見物客)のコミュニケーションの場である。 ガマの油を実演販売することはないが、”交渉力”を見せる場ととらえられる。 つまり、「ガマの油」を買ってもらうためには、買い手(見物客)は売り手(口上士)から提供された商品情報により、懸案であっ . . . 本文を読む
永井村の平助の活躍 ガマの油の由来は、1614(慶長19)年の大阪冬の陣に筑波山大御堂の光誉上人が徳川方として出陣し、外用にガマ成分を含んだ蟾蜍膏(通称“ガマの油”)を、内用に筑波橘の果皮(陳皮)を活用した。 この効能素晴らしく、全国から参戦した将兵によりその効能は津々浦々に知られることとなった。
1632(宝永9)年、徳川家光が筑波山大御堂に鐘楼を寄進した。この鐘楼の . . . 本文を読む
説得の成否を左右する対人距離 コ三ュニケーションは言葉だけではない。身体の動き、しぐさでもコミュケーションが行われている。他人に近づかれると不快に感じる空間をパーソナルエリア、対人距離とも呼ばれる。
一般に、親密な相手ほど対人距離は狭く、ある程度近付いても不快さを感じないが、逆に敵視している相手に対しては広い。 人によっては . . . 本文を読む
からくり人形 がまの油売り口上の「一寸八分唐子ゼンマイの人形」とは、からくり人形のことを言っている。人形劇に用いられる〈あやつり〉〈糸あやつり〉も、その初期は見世物の要素がつよく、ひろい意味でのからくりの一種である。 日本では〈あやつり〉の素朴な形態は、8~9世紀ころから傀儡師(かいらいし)によって行われていた。からくりの記録がみえるのは、12世紀ころの 『今昔物語』で、人形のもつ器( . . . 本文を読む
ガマの油売り口上は大道芸 行きずりの人に立ち寄ってもらい、聞いてもらわないと話ににならない。 わかりやすく話し、”情報”を理解させ、ガマの油を買う気にさせるためにどうするか。 売ってなんぼの世界、それ相応の工夫をして全力勝負でお立合いに応えなければならない。 真剣勝負である。自信をもって全身で表現することが求められる。 態度・風采 . . . 本文を読む
目つき、表情 人間の顔はよくできている。先ず、目である。 白目があるのは人間だけ、白目があるからどこを見ているか、どんな気持ちでいるか全て分かる。 「目は口ほどにものを言い」である。 表情も、顔の筋肉が随意筋のため、気持ちの動きを反映する。 しかし、顔は笑っていても、目の冷たい人もいる。 ものの言い方も丁寧に気配りの行き届いた話かただと、聞く方も安心する。 逆に乱暴なも . . . 本文を読む
筑波山伝承「ガマの油売り口上」 戦後、筑波の町おこし 観光業振興の目玉として復活 筑波山ガマ口上の誕生 1737(元文2)年、常陸国筑波郡永井村(旧新治郡新治村大字永井の農家に平助という者が生まれる。平助9歳の頃、永井村の普門院の雑役に雇われる。 16歳の頃、出火あり平助は責任をとってやめ江戸へ出ることになった。何とか深川のとある問屋の雑役に就くことがで . . . 本文を読む