第19代 永井兵助 吉岡名人に学ぶ
吉岡名人のガマの油口上は、見る者をして“筑波山に伝承された “ガマの油の口上、これか!” と納得させるものがある。その口上演技には軽薄なアドリブは一切ない。
見る者に媚、諂う言葉や仕草もない。見ている者が笑うことも声を出すこともない。皆、ジィット聞き惚れている。その場には、凛とした空気が漂っている。名人の口上演技に触れると、本物とは、こういうものなのであろうと納得する。
名人の口上演技の素晴らしさは、刀剣の美しさに例えられるだろう。
日本刀の持つ、機能を追求し一切の無駄を省いた姿・形に美を感じる人は多いと思う。その姿や反り格好は、その製作された歴史の中で、それぞれの必要性に応じて生まれ、その歴史や時代の思潮や様相を物語っている。日本刀には、独特の魅力や文化が秘められている。
日本刀の秘められた魅力、独特の文化とはどのようなものだろうか。
研ぎ澄まされた地がねの肌や刃文は、美しい。
和鉄の鋼を何回も折り返し鍛錬し、強靭な地がねを作ることによってもたらされた鍛えた肌は、美しく趣がある。地がねの美しさは、和鉄の鋼を何回も折り返し鍛錬し、強靭な地がねを作ることによってもたらされた鍛えた肌の美しさである。
この美しさは、刀がどのような過程を経て出来上がったのかなど誕生の経緯を教えてくれる。
また、刃文の文様は、製作された時代、刀工の系統、特色をよく現し、変化に富んだ刃中の様々な働きを見せる。
刃文の、互の目、丁字、沸でき、匂いでき、足(焼き入れの際の土置きによって、足と呼ばれる、刃文の縁辺より刃先に向かってほぼ直角にはいる線状の焼き入れ瘢痕)を鑑賞するためには、刀身に打ち粉を振り、懐紙で汚れを取り除き、電灯に斜め方向からかざしてみないと、その存在に気づかない、かすかな現象である。
透かして見ると秋の夜空に輝く星のようにきらきらと見える刃文に、刀剣の美が凝縮している。また、切っ先も、刀の部分は長辺の刃の部分とは違った磨きかたを施されており刀剣の美を左右する。
日本刀は、武器として発達してきたため作られた時代背景を反映し、武士道の精神を表している。そのため武士の魂をあらわすものとして恩賞、下賜されてきた日本刀は、わが国独自の世界に誇る美術品といえる。
第19代吉岡名人の口上演技が見る者の心をとらえ感銘を与えるのは、刀剣の美に見られる歴史の長さ、文化的な重さ、深さ、厚さなどを感じるからであろう。
ガマの油売り口上を披露するためには、“軽”、“薄”、“奇”や“媚”を排し、何度も繰り返し鍛錬をふみ、強靭な“地がね”を作り、鍛え抜いた“地がね”の美しさを、”お立会い”に提供する姿勢がなければならない。
筑波山ガマの油売り口上に“美”を感じることは、伝承芸能を“感じる”ことでありたい。
19代名人の口上演技
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