昨日の夜は、深夜2時頃まで、ICTタスクフォースの「過去の競争政策のレビュー部会」第9回会合のオンデマンド配信を観ていました。これ、見どころ(突っ込みどころ?)満載で面白いです。3時間以上あるのですが、ついつい止められなくなってしまいました。皆さんも、暇を見つけてぜひ観てみて下さい!
ところで、今日の午後、息子を連れて映画「ハートロッカー」を見てきました。
ご存じの通り、「ハートロッカー」は、今年の米アカデミー賞で6部門を獲得した映画です。舞台は2004年、イラクのバグダード。主人公は、米陸軍の爆弾処理部隊です。観る前は、単純な「イラク戦争の様子を描いた映画」なんだろうと考えていたのですが、違いましたね。相手は、最前線のいたるところに仕掛けられた「爆弾」で、それを死に直面したギリギリの状況の中で処理しようとする兵士=人間の姿をリアルに描いた作品でした。
最後まで、時間を感じさせない、圧倒的な緊張感でしたね。まるで、自分がその場にいて、自分も爆弾処理にかかわっているかのような気持ちにさせられました。そして、そういう極限の環境下で生き延びた主人公が、虚無感から再び戦場に戻っていく姿は、どの戦争映画よりも戦争の怖さを物語ってくれているように感じられました。
ところで、今日急に「ハートロッカー」を観に行こうと思い立ったのには、わけがあります。毎日新聞が連載している「テロとの戦いと米国」というシリーズの第4部「オバマの無人機戦争」を読んで衝撃を受けたからです。
そこには、ハートロッカーと全く逆の米軍兵士の姿が描かれていました。ここでの主人公は「無人爆撃機」。それを操作するのは、米国本土ネバダ州にいる米軍兵士。朝、自宅から車で基地へ行って、無人機を操作してイラクやアフガニスタンで爆撃を行い、終わればまた車で自宅へ帰っていきます。無人爆撃機から送られてくる映像をモニターを確認し、ターゲットを確認したら発射ボタンを押す---それはまるで、テレビゲーム機のような世界です。
でもそれは決して、仮想世界の話ではありません。ボタンが押された後、実際に爆弾がイラクで炸裂し、標的とされた人々が命を失っています。現実なのです。そしてこの毎日新聞の記事は、米軍の情報やモニターでの視認が確実ではないために、多くの一般市民が標的となってこの無人機爆撃の犠牲になっていると指摘しています。
また、オバマ政権になってからこの無人機による爆撃が拡大していて、それは戦争に対する「抑止力」が働かなくなることを意味していると主張しています。
なぜなら、ハートロッカーの世界で観たように、戦場で米軍兵士が命の危険に晒され、そして実際に大勢の兵士が命を落としたり、健常者でいられなくなったりしている限り、米国の中でも「これ以上、尊い命を犠牲にするのは止めよう、戦争はもう止めよう!」という世論が巻き起こるのです。それが、無人爆撃の拡大で、命の危険がなくなったらどうなるでしょう? 攻撃する側の痛みがなくなり、世論が無関心になった時、戦争を止めようとする力が働くなくなってしまう---それが、この記事の警告なのですね。
もしこの無人機爆撃の拡大が、イラクからの米軍の完全撤退を見越してのものだとすれば、この危惧が現実になる可能性があります。米軍が撤退してしまえば、米国内でのイラクへの関心は急速に冷え込むでしょう。その一方で、米軍撤退後のイラクの治安を守る(?)のがこの無人爆撃機だとしたら? 無人爆撃機が飛び回っている中で市民が生活し、子どもたちが遊び回っているなんて、とても想像したくない世界です。
無人機の使用が戦争の抑止力を弱める方向に作用するとすれば、その拡大が今後の世界をますます不安定にする要因になるかも知れません。他の国もこぞって無人機を導入することだって考えられるのです。とすれば、私たちも国際的な場で、この問題を真剣に議論する必要があるのではないでしょうか。