https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64803

「もっと演じたい」ショーケンが貫いた、生き抜くという矜持
昭和と平成を駆け抜けたスターの最後
自分から別れを告げた
〈もし君が倒れても、病気のおれはすぐに駆けつけることはもうできないんだよ。逆におれに何かあったときに、君が駆けつけて来てくれても、おれは迎えに行くことも、宿を用意することもできないだろう。だからまだお互いの加減がいいうちに、さよならしておこう。生きているうちに、このへんでひと区切りをつけようよ〉

前を向いて、いまを生きよう
まだ知恵が残っている
抗がん剤でかすれた声を
心の叫びがせりふになった
抗がん剤の副作用でかすれた声も演技に生かした。
〈『不惑のスクラム』では回を経るごとにだんだん声質を変え、私が出る最後のシーンは、かなりガラガラ声になっている。それが独特の効果を挙げている。
人の発する言葉は一つのトーンではない。非常に弱々しくなった人間の心理と感情をどう表現するか。かすれた声がその一つの引き出しになるかもしれないというアイデアが頭を巡る。それはまだ自分に残された知恵のひとつだ〉
悲鳴をあげる体に鞭を打ったのは、演じる役柄・宇多津貞夫に、自分の境遇を重ね合わせるからだ。それゆえ、時にはプロデューサーにこんな提案もした。
〈「宇多津という男は、仕事第一でもラグビー第一でもない。好きなラグビーができるのは、家庭があってこそ、支える妻への感謝があってこそなんじゃないか」
(中略)いまの自分にとって「家庭あってこそ」という前提は切実なことだった。妻と一緒に暮らしたことによって、自分の仕事への取り組み方は根底から変わった。「何が何でも仕事優先」ではない。仕事との距離がうまくとれるようになった〉
〈病を患ったことは、もちろん不愉快だし重く苦しいことだ。けれども、これもまた私の人生における難関だと考えている。悔いのない人生を送ることで難関を乗り越える。だから何がなんでも治そうとは思わない。病を抱えたままでいい。
一日一日を大切に生きようと思った。「大切に生きる」というのは、必死で勉強することでもなければ、心を入れ替えて暮らすことでもない。
ただ、一日をゆったりと過ごす。怠惰に暮らすわけでもなく、お迎えが来るのであれば、それに逆らわないということだ〉
死を間近にした萩原さんは、自分なりの「安楽死」を夢想するようになる。
〈私の言う安楽死とは、自分が逝くとき、逝った後のことを含めて不安に陥らず、心安らかなまま人生の幕を閉じることを指している。


「もっと演じたい」ショーケンが貫いた、生き抜くという矜持
昭和と平成を駆け抜けたスターの最後
自分から別れを告げた
〈もし君が倒れても、病気のおれはすぐに駆けつけることはもうできないんだよ。逆におれに何かあったときに、君が駆けつけて来てくれても、おれは迎えに行くことも、宿を用意することもできないだろう。だからまだお互いの加減がいいうちに、さよならしておこう。生きているうちに、このへんでひと区切りをつけようよ〉

前を向いて、いまを生きよう
まだ知恵が残っている
抗がん剤でかすれた声を
心の叫びがせりふになった
抗がん剤の副作用でかすれた声も演技に生かした。
〈『不惑のスクラム』では回を経るごとにだんだん声質を変え、私が出る最後のシーンは、かなりガラガラ声になっている。それが独特の効果を挙げている。
人の発する言葉は一つのトーンではない。非常に弱々しくなった人間の心理と感情をどう表現するか。かすれた声がその一つの引き出しになるかもしれないというアイデアが頭を巡る。それはまだ自分に残された知恵のひとつだ〉
悲鳴をあげる体に鞭を打ったのは、演じる役柄・宇多津貞夫に、自分の境遇を重ね合わせるからだ。それゆえ、時にはプロデューサーにこんな提案もした。
〈「宇多津という男は、仕事第一でもラグビー第一でもない。好きなラグビーができるのは、家庭があってこそ、支える妻への感謝があってこそなんじゃないか」
(中略)いまの自分にとって「家庭あってこそ」という前提は切実なことだった。妻と一緒に暮らしたことによって、自分の仕事への取り組み方は根底から変わった。「何が何でも仕事優先」ではない。仕事との距離がうまくとれるようになった〉
〈病を患ったことは、もちろん不愉快だし重く苦しいことだ。けれども、これもまた私の人生における難関だと考えている。悔いのない人生を送ることで難関を乗り越える。だから何がなんでも治そうとは思わない。病を抱えたままでいい。
一日一日を大切に生きようと思った。「大切に生きる」というのは、必死で勉強することでもなければ、心を入れ替えて暮らすことでもない。
ただ、一日をゆったりと過ごす。怠惰に暮らすわけでもなく、お迎えが来るのであれば、それに逆らわないということだ〉
死を間近にした萩原さんは、自分なりの「安楽死」を夢想するようになる。
〈私の言う安楽死とは、自分が逝くとき、逝った後のことを含めて不安に陥らず、心安らかなまま人生の幕を閉じることを指している。
