話題の光宗薫が劇場デビューとのことだけど、関連して重要な情報が漏れ出てきた。なんと一次ソース(光宗薫の直筆)で、指導に当たったのが横山由依だったことが確認できてしまったのだ。四人連名になってるけど、他の3人は藤田奈那、森川彩香、小嶋菜月と全員が研究生。意味するところの桁が違う。
周知のように、この役目はかつてたかみな自らがやっていたこと。どんな世界でも、先輩が後輩を指導するというのはよくある光景であり、ありふれたもの、それがどうしたと思われるかもしれないけれど、AKBにおいてはその意味するところが全く違ってる、私は勝手にそう理解している。
どういうことか。それはAKBが共同体化しているということにある。以前に自己組織化について書いたけど、形成された存在は同時に共同体化している。そこに新たに参入するためには、一般的には共同体の成員の全員に、その一員に加わることを認めてもらう必要がある。様々な決まり事や約束事を受け入れ、儀礼を執り行い、価値観を共有する必要がある。これだけ書いてもピンと来ないかもしれないけれど、「村社会」とか「企業社会」とか「霞ヶ関」とか思い浮かべてもらえれば、あああれかと分かる人には分かると思う。
このあたり、「AKBは軍隊組織」と誤解される理由にもなってるけど、軍隊組織は運命共同体の中でももっとも特殊なもので、徹底した上意下達とか、退場の自由がないとか、AKBとは明らかに異なることは指摘しておく。
さてと、以前AKBにおける人心の集合離散はたかみなが管掌していると書いた。それが自己組織化過程になってると指摘したけど、その動的平衡過程が同時に共同体への参入条件ともなっていたと考えられる。たかみな自らが研究生の指導を担っていたというのは、正にそういうこと、AKB共同体への参加の許認可だったんだ。
その役割を、現在ニローニが担ってるとすれば、それはたかみなの機能、それもきわめて重要な機能の一つである、正にそのAKB共同体参加の許認可権が委譲されたことを意味する。かつてニローニが昇格したとき、たかみなが持ち上げ、麻理子様も「みなみの次に尊敬する」と宣ったけど、あれはお世辞でも何でもなく、正に言葉通りの意味だったんだということが推測できる。褒めるとかそういうことではなく、高位の共同体参加者として認める趣旨と言うことであり、そういう人間でなければ、この権限を行使することは許されないのだ。
そして、ニローニの「ごり押し」の真相も、この辺りではないか。たかみなといえども人事権はないだろう。しかし秋元康の人事には、一歩先のリスクはあっても無理はない。それこそ「ごり押し」はしてこない。時あたかもワロタの人事で大盛り上がりだけど、正にこれだ。
巨大化し続ける、インフレーションの真っ直中のAKBにあって、そのすべてを一人の人間が管轄することは不可能。もちろん、総選挙の舞台裏で、あっさんのフォローをたかみながする一方で、優子のフォローを麻理子様が担う、おそらくは誰かの指示とかではなく阿吽の呼吸、意識の高い超選抜達の高度のチームワークなのだろうけど、その一角にニローニは迎え入れられたんじゃないか。
かつて組閣祭りで、自然発生的にメンバーが選んだたかみなをチームAのキャプテンに指名したように、実力とか真面目とか、そんな「運営」側の評価とかではなくて、メンバー側、とりわけ超選抜が選んだ、その事実を秋元康が追認したのが「ごり押し」の真相なんじゃないか。
周知のように、この役目はかつてたかみな自らがやっていたこと。どんな世界でも、先輩が後輩を指導するというのはよくある光景であり、ありふれたもの、それがどうしたと思われるかもしれないけれど、AKBにおいてはその意味するところが全く違ってる、私は勝手にそう理解している。
どういうことか。それはAKBが共同体化しているということにある。以前に自己組織化について書いたけど、形成された存在は同時に共同体化している。そこに新たに参入するためには、一般的には共同体の成員の全員に、その一員に加わることを認めてもらう必要がある。様々な決まり事や約束事を受け入れ、儀礼を執り行い、価値観を共有する必要がある。これだけ書いてもピンと来ないかもしれないけれど、「村社会」とか「企業社会」とか「霞ヶ関」とか思い浮かべてもらえれば、あああれかと分かる人には分かると思う。
このあたり、「AKBは軍隊組織」と誤解される理由にもなってるけど、軍隊組織は運命共同体の中でももっとも特殊なもので、徹底した上意下達とか、退場の自由がないとか、AKBとは明らかに異なることは指摘しておく。
さてと、以前AKBにおける人心の集合離散はたかみなが管掌していると書いた。それが自己組織化過程になってると指摘したけど、その動的平衡過程が同時に共同体への参入条件ともなっていたと考えられる。たかみな自らが研究生の指導を担っていたというのは、正にそういうこと、AKB共同体への参加の許認可だったんだ。
その役割を、現在ニローニが担ってるとすれば、それはたかみなの機能、それもきわめて重要な機能の一つである、正にそのAKB共同体参加の許認可権が委譲されたことを意味する。かつてニローニが昇格したとき、たかみなが持ち上げ、麻理子様も「みなみの次に尊敬する」と宣ったけど、あれはお世辞でも何でもなく、正に言葉通りの意味だったんだということが推測できる。褒めるとかそういうことではなく、高位の共同体参加者として認める趣旨と言うことであり、そういう人間でなければ、この権限を行使することは許されないのだ。
そして、ニローニの「ごり押し」の真相も、この辺りではないか。たかみなといえども人事権はないだろう。しかし秋元康の人事には、一歩先のリスクはあっても無理はない。それこそ「ごり押し」はしてこない。時あたかもワロタの人事で大盛り上がりだけど、正にこれだ。
巨大化し続ける、インフレーションの真っ直中のAKBにあって、そのすべてを一人の人間が管轄することは不可能。もちろん、総選挙の舞台裏で、あっさんのフォローをたかみながする一方で、優子のフォローを麻理子様が担う、おそらくは誰かの指示とかではなく阿吽の呼吸、意識の高い超選抜達の高度のチームワークなのだろうけど、その一角にニローニは迎え入れられたんじゃないか。
かつて組閣祭りで、自然発生的にメンバーが選んだたかみなをチームAのキャプテンに指名したように、実力とか真面目とか、そんな「運営」側の評価とかではなくて、メンバー側、とりわけ超選抜が選んだ、その事実を秋元康が追認したのが「ごり押し」の真相なんじゃないか。