転落事故続くAKB48グループ、失敗から教訓得て
AKB48グループは、失敗をしないアイドルグループではない。14年の握手会襲撃事件しかり、失敗や不測の事態から教訓を得て、最善の対応策を探り、目に見える形で実践していくことで、ファンを納得させてきた。今回のアクシデントを受け、メンバーも安全に歌って踊り、ファンも安心してコンサートを見られる環境作りがなされることを期待したい。
何というか、例によって非難の意図はないとあらかじめ断るしかないし、あくまでも私的な見解に過ぎないよと念を押しておくしかないけど、上記引用の記事を含めて、奇妙な論調を多く目にしたような気がする。
まず、これまで秋元氏自ら何度も語ってきたように、秋元氏の、そしてAKBGの「勝利条件」は勝ち越しなんであって、つまりは8勝7敗ということ。7回負けても8回勝てば良いとする思想。つまりは「失敗をしない」どころではない、失敗を恐れず、最大限まで失敗を許容するということ。
実際には、これはかなりの危険思想というか、考え方によっては、程度問題ではあれど、安全性を犠牲にしかねない、実際のところは安全係数を削ることを許容することに直結するわけで、実際、今回の転落事故は、一例、この枠組みで議論されるべきものだろうと思う(別の枠組みは芸能界の非常識)。
次に、今回の転落事故と握手会の襲撃事件を並列するのは、根本的な誤りであるということを強く指摘しておきたい。襲撃事件で露わになったものは悪意と暴力なんであって、今回の転落事故には、どこにも悪意なんてない。暴力と外力は全くの別物。そこが決定的に過ぎるまで違ってしまってる。
一つの考え方として、秋元氏の戦略とは、善意と信頼と愛の存在を前提としてリスクを取るということでなんであり、限界まで失敗を許容することでたどり着けるかも知れないリムワールドから立ち現れるに違いない、幻のような「運」という名の「川の向こう岸」、「1ミリ先の未来」を取りに行くものということになる。
そんな戦略に対して、悪意と裏切りと暴力は破滅的に働くことになる。これに対し不慮の事故は、安全係数を削ってる分、発生率は高くならざるを得ないけど、同時に能動的に回避することもまた不可能ではない。だから、ここでのとりあえずの「正解」は、マーフィーの法則との付き合い方なんであり、指原さんの削除されたツイートということになる。
そして当然の帰結なんだけど、この勝ち越しの思想である限り、そこに安全、安心が現れることは期待できないと考えられる。
AKB48グループは、失敗をしないアイドルグループではない。14年の握手会襲撃事件しかり、失敗や不測の事態から教訓を得て、最善の対応策を探り、目に見える形で実践していくことで、ファンを納得させてきた。今回のアクシデントを受け、メンバーも安全に歌って踊り、ファンも安心してコンサートを見られる環境作りがなされることを期待したい。
何というか、例によって非難の意図はないとあらかじめ断るしかないし、あくまでも私的な見解に過ぎないよと念を押しておくしかないけど、上記引用の記事を含めて、奇妙な論調を多く目にしたような気がする。
まず、これまで秋元氏自ら何度も語ってきたように、秋元氏の、そしてAKBGの「勝利条件」は勝ち越しなんであって、つまりは8勝7敗ということ。7回負けても8回勝てば良いとする思想。つまりは「失敗をしない」どころではない、失敗を恐れず、最大限まで失敗を許容するということ。
実際には、これはかなりの危険思想というか、考え方によっては、程度問題ではあれど、安全性を犠牲にしかねない、実際のところは安全係数を削ることを許容することに直結するわけで、実際、今回の転落事故は、一例、この枠組みで議論されるべきものだろうと思う(別の枠組みは芸能界の非常識)。
次に、今回の転落事故と握手会の襲撃事件を並列するのは、根本的な誤りであるということを強く指摘しておきたい。襲撃事件で露わになったものは悪意と暴力なんであって、今回の転落事故には、どこにも悪意なんてない。暴力と外力は全くの別物。そこが決定的に過ぎるまで違ってしまってる。
一つの考え方として、秋元氏の戦略とは、善意と信頼と愛の存在を前提としてリスクを取るということでなんであり、限界まで失敗を許容することでたどり着けるかも知れないリムワールドから立ち現れるに違いない、幻のような「運」という名の「川の向こう岸」、「1ミリ先の未来」を取りに行くものということになる。
そんな戦略に対して、悪意と裏切りと暴力は破滅的に働くことになる。これに対し不慮の事故は、安全係数を削ってる分、発生率は高くならざるを得ないけど、同時に能動的に回避することもまた不可能ではない。だから、ここでのとりあえずの「正解」は、マーフィーの法則との付き合い方なんであり、指原さんの削除されたツイートということになる。
そして当然の帰結なんだけど、この勝ち越しの思想である限り、そこに安全、安心が現れることは期待できないと考えられる。