エムオンサキドリ!の「生駒里奈 卒業コンサート」のダイジェストを見ながら、やはり書いて置いた方が良いかなということで。もちろん記憶は曖昧なものだし、後付けでいくらでも書き換えられてしまうのは大脳生理学の語る通りとか、言い訳は先に書いとこ。
本エントリのタイトルには「想い出」と入れさせていただいた。もちろん乃木坂46は存続してるんだけど、私的には生駒さんの卒業で、乃木坂46は正に「想い出」という言葉のカテゴリーになってしまった。
既述の通り「制服のマネキン」と「君の名は希望」が転換点だったと思う。当たり前のことを言ってると思われるかも知れないけど、センターの交代以上に、これは乃木坂46にとって決定的なことだったと思う。結成当初からモヤモヤしていたものが、この2曲で「違和感」となって確定した。私的には、それで乃木坂46への関心を急激に失って行くこととなった。
乃木坂46の内部構造は結成当初から見えにくいものだったけど、現時点から遡って後付けで考えてみれば、それは生駒さんと橋本奈々未さんという座標軸上にマッピングされていたんだと納得される。少なくとも私は、そういう視線で乃木坂46を見ていたんだということを、橋本さんの卒業曲「ないものねだり」という、秋元氏自らによるネタばらしによって、ようやくにして気づかされた。
さらには先日のもう一つのネタばらし、「君の名は希望」が生駒さんへの当て書きだったという情報。これでバラバラに思えたピースが見事に填まった。「君の名は希望」と「制服のマネキン」は、あくまでも生駒さんを中心に置いた乃木坂46の設計に則った曲だった。そこに「違和感」を覚えた私が間違っていたのか、それとも秋元氏が「見誤った」のか。いささか烏滸がましくはあるけど、言い放ってしまえ。たぶんその両方とも正しかったんだろう。
初代センターはここでひとまずの役割を終え、秋元氏は当初のプロデュース方針の修正を迫られた。いや、「修正を迫られた」と記述するのは誤解の元か。秋元氏は当たり前のように変化を肯定し、虚心で現実と向き合い、そしてリスクを取った。この2曲は、そんな遷移の表現そのものになってしまった。現実(あるいは虚構)の乃木坂46の存在様式との齟齬、それが私の感じていた「違和感」の正体だったんだ。
その後、「君の名は希望」が、楽曲の持つ生命力の様な底力によって、生田さんと故佐久間正英氏の物語として、鮮やか生まれ変わり昇華していった。そんな奇跡の物語を紡ぎ出すことになったのには、心の底から感動させられた。
本エントリのタイトルには「想い出」と入れさせていただいた。もちろん乃木坂46は存続してるんだけど、私的には生駒さんの卒業で、乃木坂46は正に「想い出」という言葉のカテゴリーになってしまった。
既述の通り「制服のマネキン」と「君の名は希望」が転換点だったと思う。当たり前のことを言ってると思われるかも知れないけど、センターの交代以上に、これは乃木坂46にとって決定的なことだったと思う。結成当初からモヤモヤしていたものが、この2曲で「違和感」となって確定した。私的には、それで乃木坂46への関心を急激に失って行くこととなった。
乃木坂46の内部構造は結成当初から見えにくいものだったけど、現時点から遡って後付けで考えてみれば、それは生駒さんと橋本奈々未さんという座標軸上にマッピングされていたんだと納得される。少なくとも私は、そういう視線で乃木坂46を見ていたんだということを、橋本さんの卒業曲「ないものねだり」という、秋元氏自らによるネタばらしによって、ようやくにして気づかされた。
さらには先日のもう一つのネタばらし、「君の名は希望」が生駒さんへの当て書きだったという情報。これでバラバラに思えたピースが見事に填まった。「君の名は希望」と「制服のマネキン」は、あくまでも生駒さんを中心に置いた乃木坂46の設計に則った曲だった。そこに「違和感」を覚えた私が間違っていたのか、それとも秋元氏が「見誤った」のか。いささか烏滸がましくはあるけど、言い放ってしまえ。たぶんその両方とも正しかったんだろう。
初代センターはここでひとまずの役割を終え、秋元氏は当初のプロデュース方針の修正を迫られた。いや、「修正を迫られた」と記述するのは誤解の元か。秋元氏は当たり前のように変化を肯定し、虚心で現実と向き合い、そしてリスクを取った。この2曲は、そんな遷移の表現そのものになってしまった。現実(あるいは虚構)の乃木坂46の存在様式との齟齬、それが私の感じていた「違和感」の正体だったんだ。
その後、「君の名は希望」が、楽曲の持つ生命力の様な底力によって、生田さんと故佐久間正英氏の物語として、鮮やか生まれ変わり昇華していった。そんな奇跡の物語を紡ぎ出すことになったのには、心の底から感動させられた。