いちおうプライベートには立ち入らないという「ドレスコード」なんだけど、これは例外というか、きわめて重要な論点だと思うので。長濱ねるさんの欅坂(けやき坂)加入の経緯それ自体は、前例の有無とかは一切無視してありそうでなさそうな、けれどもある意味、典型的とも言える経過を辿ったように思う。
長崎の田舎育ちで、両親が教師。3人兄弟の末っ子。高偏差値の地方の公立高校2年の優等生。たぶん地元の誰もが知ってるような評判のカワイイ子。こういう絵に描いたような背景のもと、真の動機とかはおいといてアイドルになりたいという夢に、とりわけ母親が強硬に反対するというのは、もう鉄板の展開というか常識みたいなものだろう。
で、オーディションに合格しそうになったところで、強引に引き戻された。御本人もその場で母親に逆らうことはなかったとのこと。この母親との関係性がいろんなことを語ってくれてるんだろうけど、そこは深入りしない。
父親はむしろ寛容で、姉が率先して母親に抗議した。この辺りの情報からは、母親の強権と家族関係のある種「歪み」とかが垣間見える感じで、ここで家族の外には決して漏れ伝わることのない何かがあったんだろうとかが推測されたりする。一方の欅坂運営サイドとしても、後に明らかになることになるその「能力」からしても、長濱さんはどうしても欲しかったはず。様々な手を尽くしたであろうことは想像に難くないし、その一端は「欅って、書けない?」でもそのように広報されてる。
AKBGが地方の「普通の子」へのアクセスに成功しつつある、そういうことを議論してきた。一例その代表が先ほど卒業した穴井千尋さんだろうと思うけど、長濱さんはそんな地方の「普通の子」の中でも、さらに特別な存在に該当すると思われる。嫌みに聞こえるのを恐れるのだけど、そして正確な情報があるわけじゃないけど、やはり旧帝大に届くレベルにいたというのに、それを投げ打った形になったというのは、ちょっとした事件ではないか。
もちろん宮脇さんや淵上さんの例を忘れているわけではないけど、現実にそのレール上に乗っていた、あるいは乗せられていたという意味で、そこには決定的とも言える違いがあるように思う。敢えて言うなら、目には見えないけど「階級」の壁。実際のところ、日本は階級社会ではないし、この辺り容易に誤解されそうなんだけど、まあ誤解されても良いや。そんな越えられないかに思える壁を乗り越えてきた、そこには気がつかれにくい「無への跳躍」があった。
そして何より、長濱さんの加入のタイミング。それは恐らくは欅坂のチームビルディング過程への、強烈な「異物」の混入だったと思われる。あからさまな「外部性」の侵入。それが長濱さんだったからこそ、このシークエンスは欅坂にとって決定的になったと推測される。しかもこの一連の出来事には、シナリオなんかなかった。つまりそこには「無への跳躍」の連続があったことになる。
AKBの歴史で、秋元氏は事あるごとに、グループの自立運動を尊重しつつ、そこに外乱や創発の働きかけを試みてきてた。欅坂の場合、それまでもが半ば自発的だったと見なせることになる。その視点からだけでも、乃木坂との違いが際立つことになる。そんな新しさもまた、欅坂の魅力なんだろう。
長崎の田舎育ちで、両親が教師。3人兄弟の末っ子。高偏差値の地方の公立高校2年の優等生。たぶん地元の誰もが知ってるような評判のカワイイ子。こういう絵に描いたような背景のもと、真の動機とかはおいといてアイドルになりたいという夢に、とりわけ母親が強硬に反対するというのは、もう鉄板の展開というか常識みたいなものだろう。
で、オーディションに合格しそうになったところで、強引に引き戻された。御本人もその場で母親に逆らうことはなかったとのこと。この母親との関係性がいろんなことを語ってくれてるんだろうけど、そこは深入りしない。
父親はむしろ寛容で、姉が率先して母親に抗議した。この辺りの情報からは、母親の強権と家族関係のある種「歪み」とかが垣間見える感じで、ここで家族の外には決して漏れ伝わることのない何かがあったんだろうとかが推測されたりする。一方の欅坂運営サイドとしても、後に明らかになることになるその「能力」からしても、長濱さんはどうしても欲しかったはず。様々な手を尽くしたであろうことは想像に難くないし、その一端は「欅って、書けない?」でもそのように広報されてる。
AKBGが地方の「普通の子」へのアクセスに成功しつつある、そういうことを議論してきた。一例その代表が先ほど卒業した穴井千尋さんだろうと思うけど、長濱さんはそんな地方の「普通の子」の中でも、さらに特別な存在に該当すると思われる。嫌みに聞こえるのを恐れるのだけど、そして正確な情報があるわけじゃないけど、やはり旧帝大に届くレベルにいたというのに、それを投げ打った形になったというのは、ちょっとした事件ではないか。
もちろん宮脇さんや淵上さんの例を忘れているわけではないけど、現実にそのレール上に乗っていた、あるいは乗せられていたという意味で、そこには決定的とも言える違いがあるように思う。敢えて言うなら、目には見えないけど「階級」の壁。実際のところ、日本は階級社会ではないし、この辺り容易に誤解されそうなんだけど、まあ誤解されても良いや。そんな越えられないかに思える壁を乗り越えてきた、そこには気がつかれにくい「無への跳躍」があった。
そして何より、長濱さんの加入のタイミング。それは恐らくは欅坂のチームビルディング過程への、強烈な「異物」の混入だったと思われる。あからさまな「外部性」の侵入。それが長濱さんだったからこそ、このシークエンスは欅坂にとって決定的になったと推測される。しかもこの一連の出来事には、シナリオなんかなかった。つまりそこには「無への跳躍」の連続があったことになる。
AKBの歴史で、秋元氏は事あるごとに、グループの自立運動を尊重しつつ、そこに外乱や創発の働きかけを試みてきてた。欅坂の場合、それまでもが半ば自発的だったと見なせることになる。その視点からだけでも、乃木坂との違いが際立つことになる。そんな新しさもまた、欅坂の魅力なんだろう。