三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

加津良島館

2019-06-18 23:04:12 | 古城巡り

 

☝ 屋敷跡の下段石垣

☝ 崖上の土塁と小削平地

☝ わずかだが削平地

☝ わずかだが削平地

☝ 石で補強した痕跡

☝ 山頂のくぼみ

☝ 島中央の帯曲輪

☝ 勝手に名付けた「亀岩」

☝ 北曲輪の空堀

☝ 北曲輪の虎口

☝ 北曲輪周辺

☝ 屋敷跡2段目の石垣

☝ 不思議な遺構

 

城名
 加津良島館
読み
 かつらしまやかた
別名
 葛島館
住所
 三重県度会郡南伊勢町田曽浦
築城年
 不明
築城者
 加津良島氏
形式
 島城
遺構
 (麓)館跡、不思議な遺構 (南部)郭、土塁、塹壕 (北部)郭、虎口、空堀
規模
 (麓・館跡)15×30m (南部・主郭)10×15m (北部・出曲輪) 10×30m
城主
 加津良島太夫房
一族
 愛洲氏一族
標高 南部・主郭、見張り台(73m) 比高 73m
歴史
 鳥羽の法楽寺を侵略した(田中文書)
経緯
 南朝に属す海賊
書籍
 三重の中世城館 伊勢の中世
環境
 縄文時代の葛島遺跡がある。注1
現地
 田曽浦の港から船で5分で浜に着く。
 五ケ所湾の入り口を抑えるには絶好地である。また、外海に出る基地としても最適地である。
 島の南から西にかけて複数(6か所ぐらい)の見張台と思わしき構造物を見た。規模は小さく2名くらいの居座る面積しかないが削平地と風や視界を除ける土塁の組み合わせのよく似た組み合わせである。塹壕の趣である。
 石を組合わせた様子が島のあちこちに点在する。それぞれが何なのかを推定するにはあまりにも形が崩れているが、貴重な石を有効に利用しようとする思いだけは伝わってくる。
考察
 愛洲氏を中心に在地武士団がネットワークを組み五ケ所湾を警固したことが伺われる。
感想
 西側の主水道に主眼を置きながらも南、北にも見張台を置いている。東のこの島唯一の谷を利用した館跡は浜からも近く、外海の激しい風雨からも逃れられそうな絶好の位置にある。谷の水源も利用したと思われる。
 北の出曲輪は五ケ所城や田曽城を向いており、のろしなどの信号所の役割を考える。
注1
 指摘している葛島遺跡と合致するのか確証はないが、不思議な遺構を見た。時代や、用途は計り知れない。古墳にしては盛り土や石組みなど新しいつくりである。盗掘に合ったのかもしれない。
地図

 

 



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