👆 御渡寺のある山裾
遺構名 |
御渡寺跡 |
読み |
ぎょとじあと |
住所 |
松阪市嬉野上小川町 |
築年 築造者 不明 |
遺構 |
削平地3段 |
規模 50m×50m |
標高 380m 比高 23m |
参考書籍 |
嬉野史・嬉野町史 |
歴史 |
長慶天皇(注1)が在所された時期があるという。御渡寺という名はそのことを現しているのかも知れない。 |
経緯 |
嬉野史文化財考証の項に御渡寺趾という一項がある。短いので全文を記す。 |
「上小川、花園垣内にあり山の中腹の平地を云う。 |
長慶天皇が多気より下られたときの御在所であったと伝えられる。」 |
以上である。 |
この場所を探索するにあたり、花園垣内という場所がキーポイントとなる。 |
花園における小字名を確認するが”垣内”という名称を見出すことはできない。 |
この記述における”垣内”の意味合いは小字名としてではなく”花園の地区内”という広義の意味で捉える方がふさわしいのではないかと考えるようになった。 |
そのようなある時、現地で犬と散歩する婦人に会い、経緯を話すと裏山に平らな所があると貴重な情報を聞くことが出来た。 |
婦人のご厚意により、そのご主人の案内で裏山へ登り、平地にたどり着くことが出来た。 |
現地 大きくは3つの曲輪から成り立っている。 |
上段曲輪;3つの曲輪の中で一番高いところにあり、一番狭い曲輪となる。小さいながらも削平感の質は高いと見受けられる。礎石などは表面上見当たらない。 |
中段曲輪;上段曲輪よりやや大きく面形状は自然地形を優先したようでいびつである。削平感の質は高い。礎石などは表面上見当たらない。 上段、中段の曲輪は狭い敷地でも可能な鐘撞堂や見張台などの建物があったと思われる。 |
下段曲輪;南北の長さは40m~50mほどある。東西の幅は15m程でそれほど広いとは感じさせない。石による構造物が何点か散見される。地面に加工された石を並べたもので一つは1m位の正方形、もう一つは1×1.2m位の長方形をしたものである。枯草や雑草に覆われた下には他にも痕跡があるのかも知れないと思わせた。 |
ご主人の説明の住宅があったという証拠のタイル貼りのおくどさんやコンクリートでできた洗面場がある。これらは昭和の匂いを嗅がせるがそれ以外は時代を想定させるものはない。 一つ気になるのは下段曲輪の周辺を施している石垣である。その石垣は14世紀のものとは考えにくいという点である。 |
花園地区はほとんどの家が斜面にありその境界を石垣で施し、頑強さを維持し宅地を確保ているようだ。その村内の石垣の様子と、下段曲輪の周辺の石垣の様子と見た目には相違が無いように思える。 |
もう一つの視点として、上段曲輪と中段曲輪を形造る境界には石垣が無いという点だ。下段曲輪を生活の拠点にするために頑強に施された多量の石垣に対して、上段曲輪と中段曲輪は住民の生活と縁がなかったということで何も施されず、14世紀の姿を残しているのではないだろうか。 |
下段曲輪の石垣がもし御渡寺の時代の石垣なら、上段曲輪、中段曲輪の周囲に石垣の片りんでも残っていても良さそうなものである。 |
上段曲輪と中段曲輪は14世紀の姿を現し、下段曲輪は14世紀の遺構を再利用した極近世のものではないだろうか。 |
感想 |
改変が多い下段曲輪からは御渡寺の痕跡を探すのは発掘調査をしない限り分からないだろうと思えた。 |
逆に、上段曲輪と中段曲輪はひそかに14世紀の様子を物語っているように思える。この遺構を考える場合は上段・中段に注目するべきではないだろうか。 |
上段曲輪の更に上には自然地形の尾根が残るが、そこには祠を祀ったような痕跡が2カ所ほどある。恐らく、村人がこの地のいわれを代々引き継ぎ、大切にするために祀ったものと考えた。 |
環境 |
花園の名称が語るように春は桜の谷となるようだ。7月末にヤマユリの群落に彩られるが、聞くところによると維持管理は大変なようだ。 |
考察 |
寺が御渡寺というある種のいわくを考えざるを得ないような名称であることから、長慶天皇を迎えるためにあらかじめ用意されたものではないかと考えることが出来る。 |
中世頃の山岳寺院の様子が参考になると考えられる。 |
注1 |
長慶天皇;1343-94 (興国4・康永2-応永元)(52歳没) |
第98代に数えられる天皇。在位1368-83年。南朝第3代。後村上天皇の皇子。 |
1368年に践祚(注2)後、南朝不振のころで吉野,河内国天野山,大和国栄山寺等に移った。 |
生誕から崩御までの事蹟を整理した” 長慶天皇の事蹟を追う ” 御参照ください。 |
注2 |
践祚(せんそ)天皇の位につくこと。 |
同行者 松阪山城会 会員2名 地図 |
👆 上段曲輪 右の大木はカエデ
上 中段曲輪
👆 下段曲輪 奥の石垣は14世紀のものではないのではないか
👆 下段曲輪に散在する石 草にまみれて全体像は把握しきれない
👆 下段曲輪の際を支える石垣
👆 下段曲輪を道路側から見る
👆 尾根にある祀られた杉
👆 その下に祀られていただろう祠の痕跡
👆 祀られたカエデの前の祠の痕跡
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