きままに日々あれこれ!

時々、遠方の友達と会ったり、美味しいもの食べたり
お酒も少し楽しみ、

呂さんの苦悩!

2012-01-30 14:59:09 | 思い出すこと



その年の秋に、私の母が亡くなった。
夏頃から、大阪伊丹~新潟空港間を何回も往復した。

私の、父と母は事情があって、高齢離婚をした。
母が亡くなる前、一時期、父も同じ病院に入院して、
二人で仲良く話していたらしい?  

そんなこともあり、なかなか呂さんとは会う機会がなかった
母の葬儀がおわり、ホッとしている時、呂さんが訪ねてきた
「どうしたの?」と声をかけるほど、思いつめていた!

事情を聴くと、
「お金は、目標額になるけど、勉強についていけない!
普通の授業でも、英語が理解できない、そこでつまずく・・、
日本語は、大丈夫なのに!!」と悔しそう

貯めたお金で国に帰れば、家が建てられる!
御国では、年金をもらえるのは一部の人だけ、お父さんは、働いているけど、
年金はつかない。
「このまま帰国しようか? 英語を勉強して、再度頑張りたいけど?」
帰ったほうがいいと思うか?」と聞かれた!

食事・お風呂・等々節約していた。勉強も頑張っていた・・けれど

「ハルビンに帰って、家を建てるのも良いかもね~!」と言った
どう見ても、勉強する時間がとれているようには、思えなかったから
呂さんは、中国と日本の、橋渡しをする仕事に就きたいと
言っていたから、「う~ん!」と考えていた

今朝寒い~と思ったら、2重サッシのガラス窓に、氷が張っていた。

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マイナス30℃だった!

2012-01-27 17:04:20 | 思い出すこと



呂さんは、授業が終わると、すぐに、アルバイト先へ、
勉強する時間はあるのか心配だった!

さらっとした長い髪を後ろで束ねて、お化粧はしない
珍しくオレンジ色の口紅をつけてきた。
ちょっと浅黒い呂さんの顔が、華やいで綺麗・・・
「良く似合うよ!いつも、つけたらいいのに」と言ったら

「ドラッグストアーでサンプル付けてみたの、この色似合う!」と言う

別の日には
「おばさん見て!これ300円だよ」と
紫色の地に、黄色や、竹色の幾何学模様 で パジャマのズボン
みたいのを買ってきて、とても喜んでいた!

「いつ着るの?」「シャワーの後に着る、涼しいよ」と言う
「洗濯する時、色が落ちしないか?確かめて洗ったほうがいいよ?」と言ったら
「ハイ」と嬉しそう!

生活を切り詰めて頑張っているのがひしひしと伝わる

何気なく出てくる英語の意味が分からず苦労しているらしく、
英語ができる留学生から、教わりたいけど、時間がとれないと、
思い悩んでいた
今はPCで世界のお天気が分かる今頃のハルビンは-17℃~30℃だった。
どんな風に暮らすんだろうなぁ~?
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呂さんの餃子

2012-01-23 20:33:41 | 思い出すこと



呂さんは会うたびに、
日本語が上達して、話している時は、遠いハルビンから来ているのを、忘れる!
勉強と、アルバイトで、目一杯頑張っているのが目に見えて伝わり、
日本の大学生は恵まれていると、呂さんと会うといつも感じる

呂さんは自国で、第1外国語を日本語にしていたので、英語はまるで分からない
夫と初対面の時、「マイ・ハズバンド」と紹介したら、おばさんは英語話せるの?
と聞かれたので、「話せない。何とか?単語だけ」

呂さんは、日本に来て、英語が話せないと、将来不利と分かり
年度末に、国立大学に移籍し、英語も学びたいと、前向きだった。

英語に関しては、私はまるでダメ!夫は聞いたことは、理解できるらしいけど、
会話は難しそう!
海外に行った時、娘が同行の時は安心出来る。辛うじて娘が対応してくれる

ある日、呂さんが、何だか?買い込んできた!
「おばさん、今日は餃子作ってご馳走するよ」と言う
「200個作るから、見ていてね」と言う 「えっ200個、そんなにいらないよ」

「水餃子だから、いくらでも食べられるよ!・100個は、彼に持って行くよ」と言う

見ていたら料理は手慣れているとは、お世辞にも言えないけど、
皮から練りこんで、作り始めた。

ぎこちないけど、2時間かけて200個出来た!水餃子と焼き餃子を作って、
ご馳走してくれた。水餃子はなじみがなかったけど、皮がモチモチして、
スープも美味しく、飽きない
「残りは明日焼いて食べてね!」100個はラップに包み、箱に入れ早々に帰った!
彼が出来たとは知らなかったなぁ~ 2人で100個も食べるのかなぁ~!
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留学生 呂さんの思い出!

2012-01-21 21:36:25 | 思い出すこと


雪か?みぞれ?か分かりにくいけど、降り続いている
傷口のテープもとれて、思いっきり髪を洗らってさっぱりした
夫は確定申告の書類作成で、悪戦苦闘している

時々、留学生の呂さんを思い出す
呂さんとは、大阪在住の時、自宅近くのバス停で知り合った
黒竜江省ハルビンから来て、近くにある大学の留学生だった
片言の日本語で話しているうちに、25歳の彼女の真剣さが伝わり
日曜に時々お昼ご飯に招待した.

彼女は国から奨学金をもらい、年間日本で80万働かないと、
留学生活は挫折すると、勉強、仕事を目一杯頑張っている!

3回目頃には、気心も知れて、疲れているのか、椅子に座りながら
寝込む。タオルケット掛けてあげてそっとしておいた!

ある時、伊予柑の皮をむき、袋から出し食べやすくして出した
夫は呂さんに「ゆっくりして行ってね!」と玄関近くにある洋間に戻った。

夫は結婚した時からTVを見る時、ゴロンと横になる。
若い時から今も変わらない。呂さんが、
「あのおじさんは、どこか悪いのか?身体に障害があるのか?」と聞かれた
「えっどうして?」
「何時きても寝ている。自分でミカンむけないのか?」と聞かれた
「TV見るときは昔からそうなの! ミカンは剥いてあげないと、面倒がって食べないのよ」と言ったら
「中国の女性は、男性と同じに働いているから、ミカンの皮をむいてあげたりしないよ。
男でもできることは自分でする。おばさんは優しいけど、良い事じゃないヨ!」

目を吊り上げて言った
へえ~・・呂さんの中国での生活を少し感じた!
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言わなくてもいい事だったのに!

2011-07-17 16:09:27 | 思い出すこと


私たちは、娘が中2の時に東京から、夫の転勤で仙台に来た。夫は3ヵ月ほど先に来ていた、任期が長期間になるであろうと
その間に思い切って、住宅を購入、夫は仕事に専念、私は、なかなか慣れない

娘もだいぶ学校に慣れてきて、友達もできた頃
「ママ、仙台には、ハゲの月という、有名なお菓子があるよ!」と教えてくれた

それから3日後、家庭訪問で、担任の先生が来られた。丸顔の温厚そうな、若い?男の先生
娘の学校の様子など聞いて、先生もそろそろ次のお宅に行く気配

何気に「仙台には、ハゲの月という、美味しいお菓子があるそうですね!」と私!
「はぁ~?」うんっ?という顔をした、「ハゲの月です。」
先生はなんと言ったか忘れたが、帰られた。そういえば先生は若いけど額がかなり禿げていた

娘が帰ってきて、その話をしたら、「ママごめん!萩の月って言うの」・だって・・・・

この間、震災のニュースで、20?年ぶりTVでお見かけした、校長先生になられていた。
被災した学校の子供たちを受け入れ、心使いされていた。
あの時と同じ丸顔のいいお顔していました!
時々、ふっと思い出してしまう!

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