その年の秋に、私の母が亡くなった。
夏頃から、大阪伊丹~新潟空港間を何回も往復した。
私の、父と母は事情があって、高齢離婚をした。
母が亡くなる前、一時期、父も同じ病院に入院して、
二人で仲良く話していたらしい?
そんなこともあり、なかなか呂さんとは会う機会がなかった
母の葬儀がおわり、ホッとしている時、呂さんが訪ねてきた
「どうしたの?」と声をかけるほど、思いつめていた!
事情を聴くと、
「お金は、目標額になるけど、勉強についていけない!
普通の授業でも、英語が理解できない、そこでつまずく・・、
日本語は、大丈夫なのに!!」と悔しそう
貯めたお金で国に帰れば、家が建てられる!
御国では、年金をもらえるのは一部の人だけ、お父さんは、働いているけど、
年金はつかない。
「このまま帰国しようか? 英語を勉強して、再度頑張りたいけど?」
帰ったほうがいいと思うか?」と聞かれた!
食事・お風呂・等々節約していた。勉強も頑張っていた・・けれど
「ハルビンに帰って、家を建てるのも良いかもね~!」と言った
どう見ても、勉強する時間がとれているようには、思えなかったから
呂さんは、中国と日本の、橋渡しをする仕事に就きたいと
言っていたから、「う~ん!」と考えていた
今朝寒い~と思ったら、2重サッシのガラス窓に、氷が張っていた。