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🔢 算額から見える江戸時代の数学文化の素晴らしさ  20/08

2020-08-21 02:20:00 | 📚 豆知識・雑学

算額から見える江戸時代の数学文化の素晴らしさ  (控え)
    論座 200821 より 深川英俊

⚫︎和算とは、江戸時代に発達した日本独自の数学のことである。
 江戸時代に入る直前に中国から「そろばん」が輸入され、その運用方法を書いた『算法統宗』(さんぽうとうそう、1592年)という本も入ってきた。
 これを参考に吉田光由(1598-1672)が『塵劫記』(じんこうき、1627年)を著した。
日本で最初の本格的算法書である。これが今で言うベストセラーになった。
 和算の特徴は多くの庶民が参加して楽しむ数学世界を作ったところにある。
 その点が、日本よりむしろ海外の数学者たちから注目されている。

 筆者は高校の数学教員になって間もないころに何か良い教材がないかを求めて和算に出合った。以来、「オタク」的に一人で調査研究を続けて半世紀。調べるほどに江戸時代の数学、とくに「算額」の魅力にはまり、世界の数学者たちとの思いがけない出会いも重ねてきた。
 世界では江戸時代の数学が高く評価されているのに、国内ではあまり関心を持たれていないのは誠に残念で、「制限時間もなく、数学の問題を考えて楽しむ」という文化が江戸時代にあったことをぜひとも多くの人に知ってほしいと思う。

⚫︎江戸時代から明治まで続いた「算額奉納」
 和算といえば、関孝和(せきたかかず、1640?-1708)の名が思い浮かぶ人が多いかもしれない。彼をはじめとする和算家の多くはそろばんの名手であった。

 『塵劫記』が出てから多くの和算書が出版され、幕末の人気の和算書千葉胤秀編『算法新書』(1830年)は和算全体を網羅した大部の書である。
 内容は現在の中学からの計算問題をはじめとして後半は大学レベルの楕円周の計算、すなわち楕円積分まである。
 同じ出版所「算学道場」から出版された内田久命編『算法求積通考』(1844年)は中学の数学で理解できる積分の解説書で、一番難しい例題は一般楕円体の表面積を直接に無限級数で表したものである。

 算額とは、和算を勉強した人が感謝の気持ちとさらなる精進を願って問題を絵馬に記して神社仏閣に奉納したものである。
 この方法は本の出版よりも手軽であったため、多くの和算家が自分の力量を表現するのに利用した。算額を調べると、和算書だけから見える数学世界とは違って人間味ある江戸時代の人々の生き方が垣間見えてくる。

 それは現代の人々に指針を与えてくれる点がある。すなわち、江戸時代に普通の人々が日常生活で好きな数学解法を楽しんで人生を謳歌した事実である。
 旅する数学者を迎え入れ余暇として楽しんでいるところなど、実にうらやましい。

 現存する最古の算額は栃木県佐野市星の宮神社に天和3(1683)年に奉納された算額である。縦90cm横180cmと、かなり大きい。
 この頃には「算額奉納」が盛んになっていたと思われ、その風習は明治時代まで続いた。現在約1000面の算額が現存しているが、江戸時代に記録されてその後に失われた算額も多い。
 これから筆者が調査した事項を中心に算額について紹介していくが、ほとんどは2005年に朝日新聞社主催『庶民の算術展』(名古屋市科学館)の準備のため筆者が全国の算額を調査したときの記録をもとにしている。

⚫︎海外の数学者たちは算額の問題に喜々として挑戦
 岡山県瀬戸内市にある片山日子神社の算額。問題が16問、書いてある。
 岡山市の東に隣接する岡山県瀬戸内市にある片山日子(かたやまひこ)神社に、シンガポールの進学校の生徒10人が2014年にやってきた。ここにある算額を見学し、その問題に挑戦するためだ。
 筆者はその場に立ち会って「身分や性別に関係なく、幅広い人たちが数学の問題に取り組んだ」と解説し、算額から選んだ3問を大半の生徒が30分ほどで解答するのを頼もしく見ていた。
 この算額は明治8(1873)年に奉納されたもので、奉納した方は隠居して次の生きがいを求めて文学・数学に心を向けたそうで、和算の専門家に指導を受けている画像が掛け軸として残されている。

⚫︎新潟県長岡市上岩井町にある根立寺にひっそりと掲げられている嘉永2(1849)年奉納の算額は、書かれている問題が素晴らしい。
 新潟県長岡市上岩井町にある根立寺の算額。問題が素晴らしく、海外の数学者がこれを解いて論文にした。

 筆者は4年前にオーストリアの学会でこの問題を紹介した。算額は見学者を刺激する問題を掲げていることが多い。予想通り、学会に参加していた2人の数学者が刺激を受けた。
 ポーランド・ワルシャワ大学の幾何学者と地元オ-ストリアの数学者が算額の狙いにまんまと捕まったのである。
 この2人は目を輝かせて筆者の講演を聴き、日本ではだれも相手にしなかった算額の問題を解いて論文にした。

⚫︎江戸時代には旅する数学者がたくさんいた
 文化4(1807)年に福井県鯖江市朝日山観世音に奉納された算額は旅する和算家山口坎山(?-1850)の日記に記載されていて現存する貴重な算額である。

 拙著『Sacred Mathematics』(Princeton Univ. Press.2008)を作るときにページ数が不足したので「山口坎山の道中日記」を入れようと考え、そこで数学者山口が旅の途中で目にした「未解決問題」の算額問題(年期記載なし)を収載したところ、これを目にした読者がこの問題にトライしたのには驚いた。
 パソコンを駆使して解答を送ってきたのはアメリカの数学者とイギリスの研究集団だった。残念ながら、いずれも不十分で算額の求める解ではなかった。

 旅の数学者法道寺善(1820-1868)の指導で奉納した算額が、長野県埴科(はにしな)郡天幕社にある。慶応元(1865)年の算額は法道寺の門人としての掲額である。
 当時、門人を集めたり、旅をしながら数学を教えて日銭を得たりする数学者がかなりいたことは間違いなく、彼らを受け入れる江戸時代の庶民の文化的教養の高さは特筆すべきではなかろうか。

 旅する数学者といえば、20世紀にもいた。世界のトップレベルの数学問題を研究したハンガリー生まれのポール・エルデシュ(1913-1996)である。30年ほど前にブルガリアでの国際会議で筆者が算額の紹介をしたとき、最前列にいた高齢男性に「算額に未解決問題はありませんか」と質問された。
 あとで現地の友人に「エルデシュだ」と教えられて驚き、そして感動を覚えた。改めて、江戸時代には旅する数学者「ミニ・エルデシュ」がたくさんいたのだと思いをめぐらせたのであった。

⚫︎数学+美術=算額
 岐阜県大垣市の明星輪寺には元治2(1865)年奉納の中型算額(縦58cm横224cm)がある。ここには1人の少年と2人の女性の名のある12個の問題が記載されている。
 このお寺の住職の方のご厚意でほとんど毎年外国の学者や大学生が見学に訪れ、筆者が算額講演を行っている。まるで江戸時代の国際交流のようである。

 山形県羽黒神社には文政6(1823)年に奉納された縦151cm横453cmの大型算額が現存している。これはちょうど半分で残りは紛失して記録にだけある。合わせると縦151cm横約9mの巨大算額である。
 40年ほど前に筆者が訪問したとき、残っていた半分が外に雨ざらしだったので室内に保存をお願いした。当時は「算額」の重要性はあまり認識されていなかった。現在は表面をガラスで覆って室内に保存されている。

 明治10(1877)年に福井県鯖江市石部神社に奉納された小型算額(縦37cm横119cm)はとてもきれいで、数学+美術=算額(M+A=S)を体現している。左にある問題はやさしい。
「男女合わせて307人いて、酒が2石(2000合)飲まれた。女性は男性より3人少なく、女性は男性より3合少なく飲んだ。男性は1人につき何合飲みましたか。
 答。男性1人で8合」。額面に解法はないが、以下のように計算できる。
 女性の人数は、304/2=152人。男性が飲んだ量をx合とすると、
155x+152(x-3)=2000となり、x=(2000+456)/307=8。

⚫︎算額で罵倒の応酬もした元気な人々
 三河藩士斎藤為五郎(?-?)は文化年間に京都を通り城崎に出張になった。これで積年の思いである算額見学ができるとの思いで、長岡天満宮の寛政2(1790)年に12歳の少年が奉納した算額を見学した。
 しかし彼はこの算額について疑問を持ち、帰宅後の文化12(1815)年に自ら訂正算額を作り氏神様に奉納した。この京都の算額と三河の算額はともに現存している。

 1799-1805年にわたり名古屋市大須観音で、泥仕合と言っていい「事件」があった。初めは純粋に算額に書かれた図形問題の誤りを指摘して、隣接して絵馬として掲げて非難したのであるが、これを発端にして罵倒の応酬となった。
 まさに現代のブログ炎上のようである。 あぜんとする一方で、見学してはやし立てる人々の元気の良さにむしろ感心してしまう。残念ながら関係した算額は1枚も残っていないが、記録は残っている。全文を拙著『日本の数学と算額』(森北出版)に掲載した。

⚫︎著名な数学者に英語で手紙を送って和算を世界へ
 こうしたすごい数学文化が誰にも認められずに埋もれるのではと危機感を持った筆者は、英語が苦手だったにもかかわらず1983年に数人の海外の著名な数学者に英語で江戸時代の数学紹介を送った。

 返信をくれたのは英国生まれの幾何学者ダン・ペドー氏(1910-1998)だけであった。彼は和算の図形問題を検証して広い意味でのユ-クリッド幾何の範疇としたためこれが定説となり、多くの外国の数学者が算額の図形問題に興味をもった。
 筆者がカナダの国際数学問題解法雑誌Crux Mathematicsに和算問題を紹介すると多くの読者が算額問題にトライして解法を楽しんだ。もちろん筆者は日本でも数学専門雑誌に多くの問題を紹介したが、あまり反応はなかった。

 氏の自慢の教え子が著名な物理学者フリーマン・ダイソン氏(1923-2020.2.28)で、ペドー氏の紹介により江戸の数学に興味を持ってくださり、先に言及した拙著『Sacred Mathematics』(邦訳『聖なる数学』森北出版)に推薦文を書いてくださった。筆者は2017年に米国のランドルフ・メーコン大学で招待講演をした際、帰りにプリンストンの高等研究所を訪問してダイソン氏にお目にかかった。

 寡黙で謙虚な英国紳士だった。今年の2月末に研究所のレストランで倒れ急逝されたという国際ニュ-スを見て大変に残念であった。ダイソン氏は、江戸時代の数学の内容より、人々の生き方に興味を持たれたようである。大学などの教育機関が存在しない中で生き生きと数学問題を解くことを楽しんだ庶民の生き方に魅力を感じたのだろう。

 筆者もまた、そこに大きな魅力を感じ、今でも江戸時代の数学に現代の子供が興味を持ちそうな題材を探る旅を続けている。



💋世界的に見ても凄い文化!どこぞの国と大違い!
  こうして知ると、現代の本邦マスゴミの低レベル、低モラルが情け無い。

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