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112年続く日本最古の遊園地「ひらかたパーク」はUSJよりオモロイわ~ 2024/12

2024-12-17 01:08:40 | 🚇 旅選定の参考

112年続く日本最古の遊園地「ひらかたパーク」はUSJよりオモロイわ~
 現代ビジネス より 241217 関真弓


⚫︎枚方といえば「ひらパー」
 難読地名のひとつでもある枚方。平仮名で記載されることも多いが、平仮名の「ひらかた」を見て関西人が思い浮かべるのは、「ひらパー」こと「ひらかたパーク」だ。

 某日、京橋駅から京阪電車に乗った。たまたま乗り合わせた車両は、「8000系車両」の4号車、2階建て車両の「ダブルデッカー」。5段ほど階段を登ると、床には防音仕様のカーペットが敷き詰められ、二人掛けのクロスシートが並んでいる。いつもより高い位置から眺める景色のせいか、めっちゃ気分がいい。

🚃座席指定の特別車両・プレミアムカーは有料だが、2階建ての「ダブルデッカー」は追加料金なしで乗ることができて、特別感が味わえる。ええやん。お京阪。

 香里園駅で各停に乗り換え、枚方公園駅で下車。大阪側へ戻るように少し歩くと、大きな観覧車が目に飛び込んできた。来たぞ!

 スリル満点の木製コースター・エルフ。エルフの定期整備は、京阪電車車両の整備場で電車の整備と共に行っている
「ひらパー」。って一体、何十年ぶりやろう。
 広さ約16ヘクタール、甲子園球場の約4個分の園内は起伏に富んでいて、最高速度70km/hのローラーコースター・レッドファルコンや、イタリア製のメリーゴーラウンド、ドイツ製のウェーブスインガーなど39種類ものアトラクションが存在する。
 春と秋はローズガーデン、夏はプール、冬にはイルミネーションやスケートなどが楽しめる他、野外ステージなどもあり、年齢を問わず楽しめる。

 午前10時の開園を目指して、ベビーカーを押して歩いてくる親子連れやママ友のグループも多い。園内に入ると平日の朝ということもあってか、ゆったりとした時間が流れている。

「超ひらパー兄さん」などギャグとボケをかまし倒すCM戦略を打ち出している「ひらパー」なので、もっと尖ったイメージを想像していたが、意外にも近隣住民の憩いの場、という感じの遊園地だ。

 日本で一番古い遊園地は、菊人形から始まった
「ひらかたパーク」は、継続している遊園地としては日本で一番古く、1910(明治43)年、現在の京阪電車香里園駅付近に「香里遊園地」として誕生した(※)。2万8000坪の敷地には梅園、菖蒲園、小料理屋などがあり、自然豊かな市民の憩いの場であった。当時は、関西圏の私鉄が競って沿線開発に乗り出した時代で、京阪電気鉄道も旅客誘致を目的に「香里遊園地」を造った。

 同年秋、東京の両国国技館で人気を博した菊人形展を「香里遊園地」で開催、大好評となる。これが「ひらかたパーク」の代名詞となった「菊人形展」の始まりである。
 菊人形とは、等身大の人形に菊の花の衣装を着せた菊細工だ。色とりどりの小菊を着物の柄のように配置することで、造詣の妙と菊の美しさを鑑賞するものだ。

⚫︎1912/大正元年 菊人形アーチ
 1912(大正元)年には、遊園地が現在の枚方公園駅そばに移転、第3回菊人形展が開催された。
 1925(大正14)年ごろからはボートや飛行塔、滑り台など遊戯施設の整備も進め、秋の大イベント「ひらかた大菊人形展」を集客の柱とすると共に、遊園地としても人気を集めるようになる。

 しかし、太平洋戦争が勃発、戦局の悪化により1944(昭和19)年には休園を余儀なくされた。営業を再開したのは1949(昭和24)年のことだ。

 戦後のベビーブームを受けて、1953(昭和28)年にハリケーンコースターを導入したのをきっかけに、大バラ園、ミニ動物園、ひらかたファミリープール、屋外アイススケートリンクと施設を拡充。現在に続く「ひらかたパーク」の基盤が整えられていった。

※東京の「浅草はなやしき」は1853(嘉永6)年開園だが、1944(昭和19)年に解体、1947(昭和22)年に復活していることから、継続して営業を続けている遊園地としては「ひらかたパーク」が一番古い、としている。

⚫︎「遊園地黄金期」から「冬の時代」へ
 日本の景気が絶好調だった1970年代から1980年代は、関西の遊園地もまた黄金時代を迎えていた。京阪系列の「ひらかたパーク」、近鉄系列の「伏見桃山城キャッスルランド」「あやめ池遊園地」「奈良ドリームランド」「生駒山上遊園地」「近鉄玉手山遊園地」「PLランド」、阪急系列の「宝塚ファミリーランド」「神戸ポートピアランド」、阪神系列の「阪神パーク」、南海系列の「みさき公園」「さやま遊園」、そして大阪万博会場跡地の「エキスポランド」と当時、大阪近郊には13もの遊園地が存在していた。

 私も子供の頃、休みの日になると、近所の友達とそのお母さん、あるいは家族で、これらの遊園地に遊びに行った思い出がある。行ったことがないのは生駒山上遊園地ぐらい。遊園地は、レジャーの王様的存在であったのだ。

 しかし1990年代に入ると、バブルが崩壊。さらには商業施設や水族館などが近隣地域に次々と誕生し、遊園地に行く人の数が次第に少なくなっていく。

 2001(平成13)年にはアミューズメントパーク界の黒船こと、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)が大阪市此花区にオープン。これらの複合的な要因から、2000年代に入ると遊園地がどんどん閉園し、遊園地に冬の時代が訪れた。

⚫︎(閉園順)
・伏見桃山城キャッスルランド 2003(平成15)年閉園
・阪神パーク 2003(平成15)年閉園
・宝塚ファミリーランド 2003(平成15)年閉園

・あやめ池遊園地 2004(平成16)年閉園
・神戸ポートピアランド 2006(平成18)年閉園
・奈良ドリームランド 2006(平成18)年閉園

・エキスポランド 2009(平成21)年閉園

(※PLランドは1989(平成元年)年、近鉄玉手山遊園地は1998(平成10)年,さやま遊園は2000(平成12)年にそれぞれ閉園)

⚫︎金がないなら知恵を出せ!
 バブル崩壊、そして少子化が進む中、「ひらかたパーク」は1996(平成8)年に大規模リニューアルを実施、「ひらパー」という愛称名で呼ばれるようになる。
 しかし、こうした大規模投資の効果も長くは続かず、加えて「ひらかたパーク」誕生時から続く「大菊人形展」が開催に莫大なコストがかかることや、菊師や栽培者の高齢化による後継者不足等が理由で、2005(平成17)年、惜しまれつつ終了する。

 関西の遊園地が次々と消えていく中、「ひらパー」が生き残りをかけて打ち出した策が、大阪的にボケをかまして注目を集める広告戦略、「ひらパー兄さん」だった。「金がないなら知恵を出せ!」である。

⚫︎初代「ひらパー兄さん」誕生
 2010(平成22)年春、ひらパー兄さん選挙スタートのポスター
2009(平成21)年4月、お笑いコンビ・ブラックマヨネーズの小杉竜一さんが、通年イメージキャラクターとして初代「ひらパー兄さん」に起用される。テレビCMやポスターなど、小杉さんの「ひらパー兄さん」は意外性と面白さで、大いに話題となる。
 翌年には2代目をかけ、相方・吉田敬(よしだ・たかし)さんと「ひらパー兄さん選挙」を行うことに。吉田さんの父親が「ひらパー」を経営する京阪電鉄の社員であり、吉田さんもまた、子どもの頃から「ひらパー」に行っていたことから、「自分のほうが『ひらパー兄さん』にふさわしい」と立候補を表明した。
 2人の本格的な選挙ポスターを作り、来園者投票を行ったところ、小杉竜一さん(現職)117,567票、吉田敬さん(新人)70,076票で、小杉さんが圧勝。2013(平成25)年3月まで「ひらパー兄さん」を務めた。
ってこれ、ギャグのような話やけれど、大真面目に行われたのだ。面白過ぎる。
▶︎「超ひらパー兄さん」は岡田准一さんに
 小杉さんが「ひらパー兄さん」を務めていた時は、「スイムキャップ一斉着用人数世界一」「一斉にシャツの衿を立てる最多人数世界一」のギネス世界記録を達成するなど、かなり振り切ったお笑い・ギャグ路線のプロモーション戦略を行っていた。それ故、次の「ひらパー兄さん」は誰になるのか、今までの路線を踏襲するのか、注目が集まっていた。
 ところが、小杉さんの後に登場したのが、岡田准一さんだ。枚方市出身の岡田さんがライブ中、「枚方生まれ、枚方育ちの僕のほうが『ひらパー兄さん』にふさわしい」と話したのを聞きつけた「ひらパー」のスタッフが、岡田さんに手紙を送り、次の「ひらパー兄さん」就任を要請する。
 岡田さんは大阪育ち故、コンサートでも笑いを取ろうと思ったのか、はたまた真面目な思いで言われたのか、単なるいちびり(お調子者)なのか、そのあたりはよくわからないけれども、その一言からとんとん拍子に話が進んでいくノリの良さは、いかにも大阪的だ。
 地元愛からオファーを快諾した岡田さんは、大阪城で行われたコンサートの最中に「超ひらパー兄さん」就任を発表、これがニュースとなって全国に報道された。
 岡田さんが「ワイがッひらパー兄さんでおま!」と「ひらパー」を宣伝するというのは、小杉さんの「ひらパー兄さん」を越える衝撃だったのを、私も覚えている。
 こうして2013(平成25)年4月から岡田准一さんが「超ひらパー兄さん」に就任した。

▶︎「年間来園者100万人達成できなかったらさようなら」キャンペーン
 翌年、2014(平成26)年には「超ひらパー兄さん」が「ひらパー」の園長に就任。それと共に責任も増し、「年間来園者数が100万人に達しなければ園長解任」という企画を打ち出す。
 来園者が100万人に達することなく園長解任になれば、タレント活動にも影響が及ぶのではと危惧されるも,岡田園長効果で,2014年度は見事に,来園者数100万人を突破した。
 また、岡田園長の「超ひらパー兄さん」のプロモーションでは、「ひらパー」に行って、実際に体験してみたくなるような企画を次々と打ち出した。
 岡田さんの目をプリントしたアイマスクをしてコースターに乗り、恐怖感を倍増させる「目隠しライド」や、清涼剤を首に塗ることで体感速度とスリルが少しだけアップした気になる「スースーライド」などで、多くの来園者を集めることに成功している。
 他にも、岡田さんが主演した映画や大河ドラマのタイトルやキャッチコピーなどをパロディ化したポスターなどを制作。園内にある「園長資料室」には、これらの歴代ポスターが展示されている。小杉さんの「ひらパー兄さん」以上に振り切った内容で、見ていると時間を忘れてしまうほどだ。
 岡田さんの「超ひらパー兄さん」が誕生して今年で11周年を迎えるが、新型コロナウイルスの影響を受けた2020、2021年度を除いては入園者100万人越えを維持している。

▶︎周年早わかり園長像。「地元に自分の銅像があるのは嬉しい」と岡田准一さん
 地域密着を第一に、全世代向けの遊園地
「ひらパー」を運営する株式会社京阪レジャーサービス、ひらかたパーク事業部の山田有紗さんは言う。
「『ひらパー』は、京阪電車の旅客を誘致するために作った遊園地で、沿線に暮らす地元の皆様に楽しんでもらえる、地域密着型の運営を大切に考えています。
 テーマパークにはテーマがありますが、『ひらパー』はテーマがないことが強みです。小さなお子様連れのファミリー、カップル、学生、お年寄りと、どの年代の方でも楽しんでいただける、そしてひとりでも行きたくなる遊園地を目指しています」

 絶叫系のアトラクションもある一方で、バラ園をゆっくり散策できたりもする。お弁当を持ち込んで、ゴザを敷いて食べることもできるし、園内でBBQも楽しめる。
 また、フォトスポットや推しカラーのグッズ販売など、推し活を応援する企画があったり、ウェディングフォトロケーションサービスなども行っている。
 最近では、Vチューバーとのコラボイベントやロックフェスを開催するなど、ありとあらゆるエンターテインメントが楽しめる遊園地だ。

 テーマに沿った世界観を楽しむテーマパークに対し、テーマはないけれど、小さいお子さんからお年寄りまで様々な楽しみ方ができる「ひらパー」。地元での愛され度はナンバーワンの、ふざけているようで大真面目な、大阪ならではの懐の深さを持つ「ひらパー」は、今日も進化を続けている。

▶︎2025年4月6日(日)までイルミネーションイベント「光の遊園地」を開催中
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ひらかたパーク
〒573-0054 大阪府枚方市枚方公園町1−1

電話 0570-016-855

https://www.hirakatapark.co.jp/

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