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🧠 「意識とは何なのか?」京都大学名誉教授が語る研究の結果とは 202206

2022-06-17 22:25:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「意識とは何なのか?」京都大学名誉教授が語る研究の結果とは
  幻冬社ゴールドライフオンライン より 220617  平野 丈夫

 本連載は京都大学名誉教授平野丈夫氏の著書『自己とは何なのか?』より一部を抜粋、再編集したものです。

⚫︎第一章 意識とは
意識とは何であろうか? 意識は感じたり考えたりする精神活動を担う主体といったイメージをお持ちの方が多いのではないだろうか。
 意識に関するさまざまな書籍・文献を読むと、「意識」という単語が異なった意味で使用されていることがある(参考文献※1)。

 そして、「意識」が何を意味しているかの定義が不明確な状態では話がかみ合わない。「意識」には大きく分けて少なくとも三通りの意味がある(参考文献※2)。

「第一の意識」は、医師が意識レベルと表現する際の「意識」で、目覚めている、寝ている、昏睡こんすい状態といった人の覚醒かくせい状態を表現している。この「第一の意識」は、通常私たちが持っている「意識」のイメージよりも単純かつ機械的で、型にはまった脳・神経系のはたらきを示す単語になっている。

「第二の意識」は、気がついている状態を示している。ある事物に注意が向いてそのことに気づいているときに、「意識」しているといった表現が使われる。私たちは常時多くの感覚入力を受けているが、その多くには注意が向かうことはなく、「意識」されず、それらは「無意識」の状態で処理されている。

 ただし、意識されない情報にも私たちの体は反射的な応答をするし、意識されていないことが行動選択にも影響を及ぼす。「第三の意識」は、自己の状態を観察・内省ないせいして思考する「意識」である。デカルトが記した「我思う」の「我」である。この「第三の意識」がもっとも高次で、心の本体に近いものである。

 このように、「第二、第三の意識」は主観的な現象あるいは体験を表現しており、定義の共有化が難しい単語である。そして、何を意味しているかがあいまいだと、なんとなく分かった気になることはあっても、「意識」の分析や考察の共有性または客観性に乏しくなり、真の理解を得ることが困難になってしまう。

 以降では各々の「意識」について説明していくが、各「意識」の内容を明確にしつつ、その分析と各々の神経科学的な基盤について検討していこうと思う。

⚫︎第二章 医学的意識(第一の意識)
 医師は医学的に適切な対応をするために、意識・覚醒かくせいレベルについて医学的な判断を行うことがあり、各レベルについての判断基準が定められている。ジャパン・コマ・スケールおよびグラスゴー・コマ・スケールによって設定された基準が知られている。
 以下で各々の判断基準を具体的に説明するが、ここで説明する「第一の意識」は、主観的な自己体験というよりも脳・神経系の外形的な応答性を表している。

 ジャパン・コマ・スケールの基準は、
Ⅰ刺激しないでも覚醒している、
Ⅱ刺激すると覚醒する、
Ⅲ刺激しても覚醒しない、という3レベルに大別され、
 さらに各レベルに細分レベルがある。
 Ⅰには、意識清明、時・場所または人物が分からない、氏名または生年月日が分からない、の3レベルがある。
 Ⅱでは開眼に着目し、普通の呼びかけで開眼、大きな声または体を揺さぶると開眼、痛み刺激と呼びかけの反復で開眼、の3レベルがある。

 そしてⅢでは痛み刺激に対する応答に注目して、はらいのけ応答、手足を動かすか顔をしかめる、反応しない、の3レベルがある。
 ⅡおよびⅢのレベルは、反射応答の程度による分類と考えられ、これらは通常「無意識」の応答と判断する現象である。
 ただし、レベルⅠでは「第三の意識」に関係すると見なせる、自分のおかれた状況を判断する見当けんとう識しきのはたらき具合が評価されている。


※1:・意識とは何か、苧阪直行著、1996、岩波科学ライブラリ─
・ 意識の探求 神経科学からのアプローチ、クリストフ・コッホ著、土谷尚嗣、金井良太訳、2006、岩波書店
・脳の意識 機械の意識、渡辺正峰著、2017、中公新書
・クオリアと人工意識、茂木健一郎著、2020、講談社現代新書
・What is consciousness, and could machines have it ? Dehaene S, Lau H, Kouider S. 2017, Science 358, 486-492
・Origin and evolution of human consciousness. Fabbro F, Cantone D, Feruglio S, Crescentini C. 2019,Progress in Brain Research 250, 317-343
・The disunity of consciousness. Zeki S. 2008, Progress in Brain Research 168, 11-18
※2:意識とは何か、苧阪直行著、1996、岩波科学ライブラリ─


 一方、グラスゴー・コマ・スケールでは、E開眼、V言語音声反応、M運動反応に着目する。
 そしてEについては、自発的に開眼、言葉により開眼、痛み刺激により開眼、開眼しない、各々に4~1点をつける。
 Vについては、見当識あり、混乱した会話をする、不適当な単語を発する、無意味な発声、発声なし、各々に5~1点をつける。
 Mについては、指示に従う、痛み部位に手をもってくる、痛みに対して手足を引っ込める、異常な手足屈曲反応をする、手足の異常伸展をする、動かない、各々に6~1点をつける。

 いずれの意識レベル判定基準でも、反射の有無および応答性の違いや簡単な見当識の有無を外形的・客観的に判定しており、ここで扱う「意識」では、自我や気づきなどの主観的現象についての判断はなされていない。
 「医学的意識」では、通常私たちが「無意識」の反応と考えている応答を含めて「意識」のレベルを定めているにすぎない。

⚫︎第三章 気づいているという意識・クオリア(第二の意識)
「第二の意識」は気づいている状態を示す。無意識に対して「意識」という単語を用いる際の「意識」は、ほぼこの「第二の意識」を指している。
 この章の以下の節で詳しく説明していくが、私たちは外界からの刺激による感覚入力のほとんどに気づいていない、つまり知覚ちかくしていない。

 感覚を受けることと、知覚することはレベルが異なっている。私たちがあることに気づく時に、そのあることにはそれ特有の主観的体験が伴う。例えば、焚火で赤い炎を見れば、熱そうな赤色を主観的に感じ、冬に雪の積もった川岸から川の水に触れれば、冷たさを生々しく感じる。
 この生々しい主観的体験はクオリア(質感しつかん)と呼ばれ,「意識」に上がってくる。

 そして、ある事柄に注意していれば、それに関係する事柄や感覚入力に気づきやすくなる。気づくことに関係した神経活動の研究により、興味深い新知見が得られてきており、気づきが特定の神経細胞集団の活動によって引き起こされることは確かである。

 ある感覚入力が知覚されることにかかわる神経活動について、以下のいくつかの節で具体的に説明する。しかしながら、神経活動によって主観的なクオリアがいかにして生じるかは、答えることが困難なハードプロブラムである。

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