閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

朝鮮半島をどう見るか

2015年06月10日 | 書評 国際
朝鮮半島をどう見るか/木村幹/集英社新書/2004

出版された時期においては、常識的視点からの、出版化ではなかったかと評価できるかもしれないが、日韓関係史を知れば知るほど、韓国とは、意思疎通はおろか、議論、当たり前の契約履行も期待できないことを多くの日本人は気づきつつある。

著者は大学の教官として、韓国に関心を示す(帰化)日本人学生向けに、この本を書いているようである。

私は、安重根による伊藤博文暗殺、関東大震災での朝鮮人暴動、敗戦直後の朝鮮進駐軍による暴虐、満州引揚者に対する凌辱・殺人、竹島不当占領、慰安婦問題、世界遺産登録、神社・仏閣油撒き事件、靖国神社などでの韓国人による騒動、サッカーや柔道の試合での韓国人選手による反則の続出、李明博大統領による天皇陛下に対する侮辱、パククネ大統領による告げ口外交などにより、韓国人とまったく係わる気がしなくなった。

2010年くらいまでは、まだ、私のように考える人は少なかった。日本人は抑制した行動をとってきた。韓国が一線を越え、気が狂ったように、日本を目の敵にしているに過ぎないことは、誰の目から見ても明らかである。

大学教官として、社会的役割を認識するのであれば、もはや日本人に対し、何かを要請するとか義務を課すことではなかろう。なぜなら、問題となっている騒動の発端の原因が、韓国側にあるからだ。

それなりの大学を卒業しそれなりの大学の教官をしているという自覚があるのなら、学生の韓国に対する研究態度教育の本ではなく、常識を逸脱した韓国ならびに韓国人の態度・言動がどう是正されるべきかという前提で、本を出版してもらいたいというのが、この本を読んだ率直な感想である。

十分に日本人は、韓国に配慮してきたはずだ。日本人は限界を越えたのだ。

そういう意味で、現時点では、私にとっては役に立たない本であるし、著者は、視点を示しているだけで、結論を書いていない点も不満である。

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