閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

さわやかに勝つということ

2016年07月14日 | 生活習慣

その昔、ゲートボールが老人の間で流行ったことがある。今は見る影もない。
人づてに聞いた話によれば、特定の人を狙い撃ちにできるのだそうだ。いつも狙われ人からすればたまったものではない。いつもいつも狙われるのであれば、やる意味がなくなる。そういう相手に対する怨念だけが残る。

同様に勝敗が付くスポーツも同様のことが言える。
ダブルスでは、弱い方に球を集め、ミスを待つ。セオリー的には当然だ。
しかし、弱い方にばかり球を集められると、球がこない方は、ムッとするものだ。狙われている方は、またかと思う。

勝者と敗者の間の会話も微妙な部分がある。無神経に勝った、勝ったと嬉しがると、あの人だけには負けたくない、と相手に思われることにつながりやすい。
相手が、多少調子を落としている時や、プレーで悩んでいる際の無神経な勝利者の談話は禁物と言える。なぜなら、相手に練習、体力づくり冷静に対応しようとする動機を与えることになるからだ。

ホームランを打ったプロ野球選手が、ベース1周ランンニングする際に、なぜかガッツポーズをとらない理由、お気づきであろうか?

お互い人間同士、楽しいことも嫌なことも起きることが世の常だと考えれば、楽しむためにやっていることについて、勝敗に異常にこだわればこだわるほど、仲間をなくすか相手が去っていくことを受け入れるしかなくなるであろう。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本人は嘘を見抜く能力が低い? | トップ | 歴史・時代小説ファン必携 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿