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猫を殺傷し動画公開した、ある税理士の実像~東洋経済オンライン~

2017年10月17日 | 日記

 

【クリック】

猫を殺傷し動画公開した、ある税理士の実像
ガスバーナーで焼かれ黒焦げに…



一部引用


大矢被告の横柄さは、逮捕後の供述に、如実だ。

「猫は糞尿が臭く、爪で壁などを傷つけるので、有害動物の駆除をしただけ。法律違反ではない」

と、トンデモない強弁を繰り返したという。反省の様子は、まったくない。







猫は動物愛護法で定められている『愛護動物』にあたる。殺したり、傷つけた場合の罰則は、

2年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金になる。ペットはもちろん、野良猫も同様だ。

しかし猫の虐待、殺害事件で裁判になるケースはまれ。2016年、同様の事案が33件起訴されたが、29件が罰金刑を求めた略式起訴だった。

懲役刑を求める署名活動


大矢被告に懲役刑を求めるインターネット署名の活動をしている綿引静香さんは9月6日、約3万7000筆の署名を東京地検に提出した。

事件を知り、ショックと怒りを覚えました。虐待、殺害をして罰金で終わりなんて社会、おかしくないですか?

と署名活動の理由を語り、その効果を次のように期待すると同時に、被告に償いを求める。

「初公判に向けて10万人分の署名を提出したいと思っています。難しいかもしれませんが、実刑になれば、他の虐待への抑止力になります。

猫を虐待し、その動画で盛り上がるのは、異常です。心の闇が広がっているように思います。猫が嫌い、苦手だからといっても虐待していいわけではない。

被告には一生かけて償ってほしい。可愛がれとは言いません、罪の深さを考えてほしい」

このような一般市民の動きを、「罰金刑ではなく、懲役刑を求めるムーブメントが高まっている」ととらえるのは、ペットや動物の問題を専門としている石井一旭弁護士だ。

「少しずつですが、厳罰化に向け動きだしています。小動物の虐待は再犯率も高く、何らかの犯罪の温床、きっかけになることもありますからね」

そう話すと同時に、人間の事件と違って人材を投入できない捜査当局にかわる新たな組織づくりを提案する。

「“アニマルポリス”のような専門機関を設置することが必要です。加害者たちは罰則を知っているから、隠れて虐待する。

それを捜査で明るみにしなければ、新たな事件が起きる。罰せられることをアピールする必要はあります」

 

 

 




死を受け入れる  悲しむ人のための助け ~聖書

2017年10月17日 | 日記

 

悲しむ人のための助け


【死を受け入れる】

 



「父が亡くなったという知らせにショックを受け,目の前が真っ暗になりました。
死に立ち会えずに申し訳なかった,という思いにさいなまれました。愛する人の死ほど,苦しいことはありません。
父が亡くなって本当に寂しいです」。―サラ


文化や宗教に関係なく,多くの人は死について話すことをためらいます。言語によっては,不快感を和らげるための婉曲表現が幾つもあります。

日本語では,人が「死んだ」と言う代わりに,「亡くなった」,「旅立った」,「帰らぬ人となった」というような言い方をします。

しかし,どんなに優しい言葉を用いても,愛する人を失った深い悲しみを和らげることはできません。

悲しみのあまり,事実を事実として受け入れられない人もいます。

愛する人と死別した方は,必死に死を受け入れようとしておられるでしょう。

本当は違うのに,平静を装っているかもしれません。もちろん,人の悲しみ方は同じではないので,

悲しみを表に出さない人がすべて,自分の気持ちを押し殺しているわけではありません。

しかし,悲しみに暮れている家族などの前では気丈に振る舞わなければいけない,と思っていると,問題が生じかねません。



【自分が悲しむ時間はありませんでした】

24歳の時に母親を亡くしたナサニエルの経験を見てみましょう。こう言っています。
「最初はどうしてよいか分かりませんでした。父や,動揺している母の友人たちを支えなければならない,と思いました。自分が悲しむ時間はありませんでした」。

1年余りたったころ,ナサニエルは自分が母親の死を受け入れられずにいることに気づきました。
「父は今も,辛い気持ちを時々電話で伝えてきます。それは良いことです。父はそうする必要があるからです。
わたしは喜んで助けになりたいと思っています。ただ,わたしに支えが必要な時,だれにも頼れないような気がします」。

 


死という現実によく直面する医療専門家を含め,介護をする人たちも,自分の感情を抑えなければいけないと考えるようです。

20年余り医師の仕事をしてきたエロイザもその一人です。その職場には連帯感があり,エロイザと患者との間には強い絆がありました。

こう言っています。「わたしは大勢の人の死を看取ってきました。その中には,わたしの心の友と言える人もいました」。

涙を流せば自然と楽になることをエロイザは知っていました。

「でも,泣けませんでした。人を助けるためには強くなければならず,感情は抑えるべきだと思っていました。ほかの人もそれを期待していると思いました」。



【母がいない家はがらんとしていました】

愛する人を失って直面する大きな問題の一つは,孤独感かもしれません。例えば,19歳の時に母親をがんで亡くしたアシュリーは,こう言っています。

「その後は,どうしてよいか分からず,独りぼっちでした。母はわたしにとって一番の友達でした。何をするにも一緒でした」。

アシュリーは,家には母親がいないので,帰りづらくなりました。それも無理はありません。

「母がいない家はがらんとしていました。ただ自分の部屋に入って母の写真を眺めては,一緒にしたことを思い出して泣きました」。



あなたが家族や親友を失ったとしても,悲しんでいるのは決してあなただけではありません。多くの人が,悲しみを乗り越えてきました。

どのようにでしょうか。

見てみましょう。

 

 

つづく >>>>

 

 

*悲しみ方には個人差があるので,家族などが亡くなっても感情を表に出さない人について,他の人があれこれ言うのは,正しいことではありません。