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かつてのブラック企業が高待遇ホワイト会社に
https://goo.gl/Uw931B
:一部引用
従業員を不当な待遇で働かせることが問題視されるブラック企業。
残業なし、完全週休2日、さらに年収600万円以上となれば、それはかなりのホワイト企業だろう。
神奈川県で金属加工会社を創業した吉原博さんは、そうした、働く者にとってはありがたい(?)待遇を実現して注目されるようになった経営者だ。
「労働」をめぐっては近年、ブラック企業の告発が目立つようになり、安倍内閣は「働き方改革」の取り組みを加速させているが、
吉原さんは『町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由』(ポプラ社)を刊行し、企業ホワイト化のススメ、私家版働き方改革の提案を披露している。
同社創業前に吉原さんは3つの会社で勤務。
鹿児島の工業高校を卒業した1969年に大手電機会社に就職し神奈川・川崎工場に配属され、そこでワイヤーカット加工の研究に従事した。
同社がワイヤーカット加工からレーザーカット加工に軸足を移すのを機に、ワイヤーカット加工機械を扱う商社に転じて営業職に。
その後、機械の販売先である金属加工会社からスカウトされ再度転職したものだ。
これらの勤務経験で得たことを独立後には生かすようにし、それは「社員が喜んでくれる経営」を考えるうえで役立っているという。
たとえば、サービス残業や手当のない早朝出勤、終業後の研修、急なシフト変更、連絡で代替えできる会議、朝礼など、不合理を感じたことは従業員に求めないよう努めている。
吉原さんは3度の経営危機をとらえて、報酬面でのカット、投資の抑制をする一方、経営幹部を10人以上リストラ。
「汗をかいて働いてくれる人だけを残し、少人数で再出発する道を選びました」と当時の経営決断を述べる。
そして、その決断と同時に「経営を立て直したら、一生懸命働いてくれる社員にきちんとお返ししたい」と考えていたという。
吉原精工のような加工を業務にする町工場には「名人」や「達人」と呼ばれる、高い技術を持つ職人肌
の社員がいてメディアで紹介されることがあるが、吉原さんはそうした存在を好ましくないと考えるようになっていた。
そうした一部の社員に対する依存度が高いと、そういう人たちが辞めたり、ライバル会社に引き抜かれたりなど
有事の可能性を常に抱えることになり、有事が実際に起きれば会社に与えるダメージは非常に大きい。
そして、吉原さんは触れてはいないが、同社にかつていた「名人」や「達人」は、
吉原さんが再出発のために必要と考えた「汗をかいて働いてくれる人」ではなかったことが読み取れる。