「わが子よ、主(神)のしつけを軽んずるな、主(神)にこらしめられてくじけるな。
主(神)は愛するものをしつけ、受け入れる子をみな笞打ちたもうゆえに」と。
しつけのためにお忍びなさい。神はあなた方を子としてお扱いです。父がしつけない子がありますか。
だれでも受けるはずのしつけがあなた方にないならば、あなた方は私生児であって、実子ではありません。
さらに、われらにしつけ手である肉の父があって尊敬したのならば、ましてわれらは霊の父(神)に従って生きようとしないわけがないでしょう。
肉の父は短い間、自らの考えでしつけましたが、霊の父(神)はわれらを益して彼の聖さにあずかるようになさいます。
しつけはすべて、その時にはよろこびでなく悲しみに見えますが、後にはそれで練られたものに義の平和な実を与えます。
聖書(ヘブライ人への手紙12:5~12:11)
「わたしの子よ、主(神)の訓練を軽んじてはいけない。主(神)に責められるとき、弱り果ててはならない。
主(神)は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。
いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、
なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、
たましいの父(神)は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。
しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
(ヘブライ人への手紙12:5~12:11)
「我が子よ、神(ヤハウェ、エホバ)からの懲らしめを軽く見てはならず、
また神に正されるとき、弱り果ててもならない。
神(ヤハウェ、エホバ)は自分の愛する者を懲らしめられるからである。
事実、自分が子として迎える者をすべてむち打たれるのである」。
あなた方が忍耐しているのは鍛練のためです。神は子に対するようにして
あなた方を扱っておられるのです。父親が懲らしめを与えない子はいったいどんな子でしょうか。
すべての者があずかる懲らしめを受けていないとすれば,あなた方は実際には私生児であって、子ではないのです。
さらに、わたしたちには自分と同じ肉身の父がいて、わたしたちに懲らしめを与えても、わたしたちはこれを常に敬いました。
霊的な命の父(神)にはなおのこと服従して生きるべきではないでしょうか。
父親は自分に良いと思えるところにしたがって数日の間わたしたちを懲らしめるのが常でしたが、
この方は、ご自分の神聖さにわたしたちがあずかれるようにと、わたしたちの益のためにそうしてくださるのです。
確かに、どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに思えず、かえってつらいことに思えます。
しかし後には、それによって訓練された人に、平和な実、すなわち義を生み出すのです。
(ヘブライ人への手紙12:5~12:11)