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十戒は今でも役立つのか ~ 聖書

2022年09月07日 | 日記

 

十戒は今でも役立つのか ~ 聖書

 

はい,役立ちます。

なぜなら十戒は神の考えを反映しており,そこには教訓が含まれているからです。


「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもので,教え,戒め,矯正し,正しいことに基づいて指導するのに役立ちます。 それにより,神に仕える人は十分な能力を持つことができ,あらゆる良い活動を行う用意が完全に整います」。
(テモテ第二 3:16,17)

十戒の根底にある教えは時代遅れになることが決してありません。

「神の手による行いは真実で公正。神の命令は全て信頼でき,常に確実なもの。今もこれからもずっと。真実さと正しさに基づいている」。
(詩編 111:7,8)

実際のところ,これらの多くは一般的に新約聖書として知られる部分の教えの基礎となっています。

イエスは十戒を含むモーセの律法全体を,2つの重要なおきてにまとめることができると教えました。こう述べています。
「『あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神(エホバ,ヤハウェ)を愛さねばならない』。これが最大で第一のおきてです。第二もそれと同様であって,こうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』。律法全体はこの二つのおきてにかかっています」。

『さて,パリサイ人たちは,イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて,一緒に集まった。そして彼らの中のひとりの律法学者が,イエスをためそうとして質問した、「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた,「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な,第一のいましめである。第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている」』。
(マタイ 22:34~40)

 

ですから,クリスチャンはモーセの律法を守ることを求められてはいませんが,神と仲間の人間を愛さなければなりません。
「私はあなたたちに新しいおきてを与えます。それは,互いに愛し合うことです。私があなたたちを愛した通りに,あなたたちも互いを愛しなさい」。
(ヨハネ 13:34)

『「神を愛している」と言いながら兄弟を憎んでいる人は,うそつきです。自分が見ている兄弟を愛さない人は,見たことがない神を愛することはできないからです。そして,その方から次のおきてが与えられています。神を愛する人は,自分の兄弟も愛さなければなりません』。
(ヨハネ第一 4:20,21)

  


新約聖書に出てくる十戒を反映した教え

教え

新約聖書中の参照箇所

神(エホバ,ヤハウェ)だけを崇拝する
『これらのことを聞き,見たのは,私ヨハネである。聞いたり見たりし終えた時,私はこれらのことを見せてくれた天使を崇拝しようと,その足元にひれ伏した。 しかし天使は言った。「気を付けなさい! そうしてはなりません! 私は,あなたや,預言者であるあなたの兄弟たちや,この巻物の言葉を守っている人たちの,仲間の奴隷にすぎません。神を崇拝しなさい」』。
(黙示録・啓示 22:8,9)

 


崇拝に像を使わない
「ですから,愛する皆さん,偶像崇拝から逃げ去ってください」。
(コリント第一 10:14)

 


神の名を敬う
「それで,このように祈らなければなりません。『天におられる私たちの父よ,お名前bが神聖なものとされますように』」。
(マタイ 6:9)

 

神の崇拝をおろそかにしない
「また,互いのことをよく考えて,愛を表し立派な行いをするよう勧め合いましょう。仲間と集まることを怠ってはなりません。よく欠席する人たちに倣わないようにし,いつも励まし合いましょう。
定められた日が近づいているのですから,ますますこうしたことを行っていきましょう」。
(ヘブライ 10:24,25)

 

親を敬う
『子供は,主に喜ばれるよう親に従ってください。そうするのは正しいことです。「父と母を敬いなさい」とあり,これは約束を伴う最初の命令です』。
(エペソ・エフェソス 6:1,2)

 

殺人をしない
「兄弟を憎む人は皆,人殺しです。皆さんが知っている通り,人殺しは永遠の命を受けません」。
(ヨハネ第一 3:15)

 


姦淫をしない
「結婚は全ての人に尊ばれるべきであり,夫婦の関係は汚れのないものであるべきです。神は性的に不道徳な人や姦淫をする人を断罪するからです」。
(ヘブライ 13:4)

 

盗みをしない
「盗んでいる人は,もう盗んではなりません。きちんと仕事をし,一生懸命働いてください。そうすれば,生活に困っている人に物を分けてあげられるでしょう」。
(エペソ・エフェソス 4:28)

 

偽証をしない
「皆さんは偽りを捨て去ったのですから,隣人に真実を語りましょうa。私たちは皆で1つの体を構成しているのです」。
(エペソ・エフェソス 4:25)

 


強欲な人にならない
『それから群衆に言った。「じっと見張っていて,あらゆる貪欲に警戒しなさい。たくさんの物を持っていても,命は所有物からは生じないからです」』。
(ルカ 12:15)

 

 

 

 

               


ガブリエル(Gabriel)[神の強健な者]

2022年09月07日 | 日記

ガブリエル  (Gabriel)[神の強健な者]

ミカエル以外の聖なるみ使いたちのうち,聖書中に名前が出ている唯一のみ使い。
肉体を備えて現われたみ使いたちのうち,自分の名を告げたのはこのみ使いだけです。ガブリエルはダニエルに二度現われました。
最初は,「ベルシャザルの王政の第三年」にウライ川の近くで現われ,雄やぎと雄羊に関するダニエルの見た幻について説明しました。

「ベルシャザル王の治世の第3年,私ダニエルは,以前に見た幻とは違う幻を見た」。
(ダニエル 8:1)

『そうしてわたしダニエルが,幻を見ながら理解を得ようとしていると,見よ,強健な男子のように見える者がわたしの前に立っていた。またわたしには,ウライの中ほどにいる地の人の声が聞こえてきて,その者が呼ばわってこう言うのであった。「ガブリエル,そこにいる者に,見た事柄を理解させよ」。すると彼はわたしの立っている所のそばに来た。彼が来た時,わたしは恐れおののいてそこにひれ伏した。すると彼はわたしにこう言った。「人の子よ,理解せよ。この幻は終わりの時のためのものである」。そして,彼がわたしと話している間に,わたしは顔を地に付けたまま深い眠りに落ちていた。それで彼はわたしに触れ,わたしが立っていた所に立ち上がらせてくれた。そして彼はさらにこう言った。「さあ,わたしは,糾弾の最終部分に起きる事柄についてあなたに知らせよう。それは終わりの定められた時のためだからである。 「あなたが見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王を表わしている。また,毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間にあった大いなる角,それはその第一の王である。また,それが折れて,その代わりについに四本の角が立ち上がったが,彼の国から四つの王国が立つことになる。しかし,彼ほどの力はない。「また,彼らの王国の末期,すなわち違犯を行なう者たちが極みに進む時,顔つきが猛悪で,あいまいな言い回しをよく理解するひとりの王が立ち上がる。そして,その者の力は必ず強大になるがそれは自らの力によるのではない。また彼は驚くような仕方で滅びをもたらし,必ず成功を収めて,効果的に事を行なう。また彼は力ある者たちをまさに滅びに至らせ,聖なる者たちで成る民をも滅ぼす。そして,その洞察力によって欺き事を必ずその手中で成功させる。また,その心のうちで大いに高ぶり,心配なく過ごしている間に多くの者を滅びに至らせる。そして,君の君たる者に向かって立ち上がるが,人手によらずして砕かれることになる。「そして,夕と朝に関して見た事柄,それはここで述べられたことであるが,それは真実である。だがあなたは,この幻を秘しておくように。それはなお多くの日にわたるものだからである」』。
(ダニエル 8:15~26)

 

二度目は,メディア人『ダリウスの第一年』に現われ,「七十週」に関する預言を伝えました。

「メディア人の胤アハシュエロスの子ダリウス,すなわちカルデア人の王国の王とされた者の第一年」
(ダニエル9:1)

 

『わたしがまだ話し,祈り,自分の罪また自分の民イスラエルの罪を告白し,わたしの神の聖なる山に関して恵みを請う願いを自分の神(エホバ,ヤハウェ)のみ前にささげている間,まだ祈りの中で話している間に,わたしが幻の中で始めに見た人ガブリエルが,疲労しきって,夕方の供え物をする時分にわたしのそばにやって来るのであった。そうして彼はわたしに理解を得させながら,わたしと話してこう言った。「ダニエルよ,今わたしは,理解とともに洞察力をもあなたに得させるために出て来た。あなたの懇願が始まった時にひとつの言葉が発せられ,報告を行なうためにわたし自らここに来た。あなたは大いに望ましい人だからである。ゆえにこの事をよく考え,見た事柄について理解を得よ。「あなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められた七十週がある。これは,違犯を終結させ,罪を終わらせ,とがの贖いをし,定めのない時に至る義を携え入り,幻と預言者とに証印を押し,聖の聖なる所に油をそそぐためである。そして,あなたが知り,また洞察するべきことであるが,エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに,七週,そしてさらに六十二週があるであろう。それは元どおりにされ,公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが,それは苦境の時になされるであろう。 「そして,その六十二週の後にメシアは断たれる。自らのためには何も持たないであろう。「そして,その都市と聖なる場所とは,やって来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる。それで,その終わりは洪水によるものとなる。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である。「また彼は多くの者のために一週のあいだ契約の効力を保たねばならない。そして,週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる。「また,嫌悪すべきものの翼の上には,荒廃をもたらす者がいるであろう。そして,絶滅に至るまでは,定められている事柄が,荒廃に横たわるものの上にも常に注ぎ出されるであろう」。
(ダニエル 9:20~27)

 

ガブリエルは祭司ゼカリヤ(ザカリア)に,ゼカリヤとその年老いた妻エリサベツに男の子ヨハネ(バプテスマを施す人)が生まれる,という良い知らせを伝えました。

 

『すると,神(エホバ,ヤハウェ)のみ使いが彼に現われて香壇の右側に立った。しかし,ゼカリヤ(ザカリア)はそれを見て不安になり,恐れの気持ちに襲われた。しかしながらみ使いは彼に言った,「ゼカリヤ(ザカリア)よ,恐れなくてよい。あなたの祈願は聞き入れられたからである。あなたの妻エリサベツはあなたに男の子を産むであろう。あなたはその名をヨハネと呼ぶのである。そしてあなたには喜びと歓喜とがあり,多くの人がその誕生を歓ぶであろう。彼は神(エホバ,ヤハウェ)のみ前で偉大な者となるからである。しかし,彼はぶどう酒や強い酒をいっさい飲んではならない。彼は,まさにその母の胎にいる時から聖霊に満たされる。そして,イスラエルの子らの多くの者をその神(エホバ,ヤハウェ)に立ち返らせるであろう。また,彼はエリヤの霊と力をもってそのみ前を行く。それは,父の心を子供に,不従順な者を義人の実際的な知恵に立ち返らせるため,準備のできた民を神(エホバ,ヤハウェ)のみまえに整えるためである」。するとゼカリヤはみ使いに言った,「これが確かだということがどうしたら分かるのでしょうか。わたしは年老いていますし,わたしの妻もずっと年を取っているのです」。み使いは答えて言った,「わたしはガブリエル,神のすぐみ前に立つ者である。そして,あなたと話し,これらの良いたよりをあなたに告げ知らせるために遣わされたのである。しかし,見よ,これらのことが起きる日まで,あなたは黙ったままで,話すことができないであろう。わたしの言葉を信じなかったからである。それは,定められた時に成就するのである」』。
(ルカ 1:11~20)

 

ガブリエルは,ヨセフと婚約していた処女マリアに,「こんにちは,大いに恵まれた者よ。神(エホバ,ヤハウェ)はあなたと共におられます」とふれ告げたあと,マリアが男の子イエスを産むことになると述べ,その者は「至高者の子と呼ばれるでしょう。神(エホバ,ヤハウェ)はその父ダビデの座を彼に与え,……そして,彼の王国に終わりはありません」と告げました。

『六か月目に,天使ガブリエルは,ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう,恵まれた方。主(神)があなたと共におられる」。マリアはこの言葉に戸惑い,いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると,天使は言った。「マリア,恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが,その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり,いと高き方の子と言われる。神である主は,彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」。天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベツも,年をとっているが,男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに,もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」。マリアは言った。「わたしは主(神)のはしためです。お言葉どおり,この身に成りますように」,そこで、天使は去って行った』。
(ルカ 1:26~38)
 

聖書の記録から分かるのは,ガブリエルが天の法廷と密接な関係を持つ高位のみ使いである被造物,「神のすぐみ前に立つ者」であり,この地上にいる神(エホバ,ヤハウェ)の僕たちに特別の音信を伝えるために神から「遣わされた」者で,『天使は答えた。「私はガブリエル,神のすぐ前に立つ者です。あなたにこの良い知らせを告げるために遣わされました」』。
(ルカ 1:19)

「ダビデの子孫のヨセフという男性と婚約していた処女のもとにである。その名前はマリアといった」。
(ルカ 1:27)

幻の中に現われた,あるいは肉体を備えて現われたその姿が,その名の意味にたがわず,「強健な男子のよう」だったということです。
「そうしてわたしダニエルが,幻を見ながら理解を得ようとしていると,見よ,強健な男子のように見える者がわたしの前に立っていた」。
(ダニエル 8:15)