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あなたは死者についてどんな考えをお持ちですか Ⅱ ~ 聖書

2022年09月29日 | 日記

あなたは死者についてどんな考えをお持ちですか Ⅱ ~ 聖書

 

しかし,無意識ではあっても死者にはすばらしい希望があります。神の言葉は,「義者と不義者との復活がある」と約束しています。
「さらに、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いており ます」。
(使徒 24:15)

それは信じられないことに思えますか。実際,聖書にはすでにあった復活が数件記録されています。
イエス・キリストが死者を復活させた例を三つ考慮してみましょう。その最初のものについて聖書はこう述べています。

「イエスはナインという都市に旅行されたが,弟子たちおよび大ぜいの群衆がいっしょに旅行していった。彼がその都市の門に近づくと,なんと,見よ,死人が運び出されて来るところであった。
それは,その母のひとり息子であった。そのうえ,彼女はやもめだったのである。その都市の相当数の群衆も彼女といっしょにいた。彼女をご覧になると,主は哀れに思い,『泣かないでもよい』と言われた。そうして,近づいて棺台にお触りになった。それで,担いでいた者たちは立ち止まった。それからイエスは言われた,「若者よ,あなたに言います。起き上がりなさい!」すると,死人は起き上がって座り,ものを言いだしたのである。ついでイエスは彼をその母にお渡しになった。ここにおいて,すべての者は恐れに打たれ,神の栄光をたたえつつ,『偉大な預言者がわたしたちの間に起こされた』,そして,『神はご自分の民に注意を向けてくださったのだ』と言いだした。こうして彼に関するこのたよりは全ユダヤと周囲の全地方に広まったのである」。
(ルカ 7:11~17)

 

イエスが死者を復活させた,記録に残る二番目の例は,ガリラヤの会堂の主宰役員ヤイロの娘に関するものでした。少女が死にそうになっていたとき,ヤイロはイエスに,私の家に入って娘を治してください,と懇願しました。
「イエスが戻ると,群衆は親切に迎えた。皆イエスを待ち受けていたのである。すると,ヤイロという男性がやって来た。会堂の役員だった。そしてイエスの足元にひれ伏し,家に来てくれるよう嘆願し始めた。 12歳ぐらいの一人娘が死にそうだったのである。イエスが進んでいくと,人々が群がった」。
(ルカ 8:40~42)

聖書には次のように記述されています。

「イエスがまだ話しておられるうちに,会堂の主宰役員の代理者が来て,『あなたの娘は亡くなりました。もう師を煩わせてはなりません』と言った。これを聞いて,イエスは彼にお答えになった。
『恐れてはなりません。ただ信仰を示しなさい。そうすれば,彼女は救われます』。その家に着くと,イエスは,ペテロ,ヨハネ,ヤコブおよび少女の父と母のほかは,だれもいっしょに中にはいることをお許しにならなかった。しかし,人びとはみな泣き,彼女のことで身を打ちたたいて悲しんでいた。それでイエスは言われた,『泣かなくてもよい。彼女は死んだのではない,眠っているのです』。すると,人びとは彼のことをあざ笑いだした。彼女がすでに死んだことを知っていたからである。しかしイエスは彼女の手を取って呼びかけ,「少女よ,起きなさい!」と言われた。すると,彼女の霊は戻り,彼女はたちどころに起き上がったのである。それからイエスは,何か食べ物を与えるようにとお命じになった。そこで,彼女の親たちは我を忘れるほどになっていた」。
(ルカ 8:49~56)


イエスはこの二人を死んでまだ間がないときに復活させましたが,エルサレムに近いベタニヤに住んでいたラザロというイエスの友人の場合はそうではありませんでした。
ラザロは死後四日たっており,記念の墓の中に入れられていました。ヨハネによる福音書はこう述べています。

「イエスは,自分の中で再びうめきを発せられたのち,記念の墓に来られた。これは実際のところどうくつであり,石がそこに立てかけてあった。イエスは言われた,『石を取りのけなさい』。
故人の姉妹であるマルタが言った,『主よ,もう臭くなっているに違いありません。四日になりますから』。イエスは彼女に言われた,『信じるなら神の栄光を見るでしょうと,わたしは言いませんでしたか』。そこで彼らは石を取りのけた。それからイエスは目を天のほうに向けて,こう言われた。『父よ,わたしの願いを聞いてくださったことに感謝いたします。もっとも,常に聞いてくださることを知っておりました。でも,まわりに立つ群衆のゆえにわたしは言いました。あなたがわたしをお遣わしになったことを彼らが信じるようにです』。そして,これらのことを言い終えると,イエスは大声で叫ばれた,『ラザロよ,さあ,出て来なさい!』死んでいた人が,両足と両手に巻き布を巻かれたまま出て来たのである。そして,その顔も布でぐるっと巻かれていた。イエスは彼らに言われた,『彼を解いて,行かせなさい』」
(ヨハネ 11:38~44)


したがって聖書的に言えば,死者は単に無意識の状態にあると考えるべきです。死者は喜びも苦しみも経験しないのです。
しかし,地上におられたときにイエスが死者を復活させたことは,次の励みあるイエスの言葉を信じる上で確かな根拠となります。

「わたしにお与えになったすべてのもののうちわたしがその一つをも失わず,終わりの日にそれを復活させること,これがわたしを遣わしたかたのご意志なのです。というのは,子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからであり,わたしはその者を終わりの日に復活させるのです」。
(ヨハネ 6:39,40)